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[第211回] 誕生日のポルトガル 6 リスボン 2 (最終回) [2022年05月15日]
市内巡りの始め、今はテージョ川の貴婦人と言われる、通行の監視塔だったベレンの塔は静かな川面に白いスカートを広げたようですね。
修復がお正月に終わった[発見のモニュメント]がピカピカの白さで迎えてくれます。
ジェロニモス修道院の巨大さと装飾の過剰さに少し辟易です。
近くの有名なエッグタルトを食べて満足!丘の上の展望台から圧観の街並みが広がります。
百年以上前から丘へ独立して建つエレベーターが面白いですね。
何時も長蛇の列ですが午後のフリーでは裏技で乗りました。28番の市電で丘の町へ。
天正遣欧使節が訪れたカテドラルをざっと見て、下りはガラ空きなレトロなエレベーターで広場へ降ります。
12番の市電で狭くすれすれの道幅を、ゆっくりでもスリル満点の揺れを楽しんで城跡へ。 ここから市街地の眺めが最高です。
20人ほどの学生達がダンスと演奏をしています。
ホタの様です。バレンタインウイークの土曜日なので、町中でカーニバルの仮装の行進やら、資金集めの学生のバンドとダンスがあちこちで繰り広げられてそれは楽しいですね。
少し仲間になって踊ってしまいました。
町で1番人気のハンバーガーを探して食べたりしましたね。
夕日がテージョ川を染めています。18世紀の大地震で崩壊した宮殿跡の広場に立ち、僅かに残った大航海時代の帆船の門出を見送った海の門を眺めながら、素晴らしい旅に感謝してお別れです。
ポルトガル、おいしい食事と親切な人たちを忘れません。
このツアーが人気1番というのに納得しました。
☆ 2005年04月[第1回]から2022年05月[第211回] まで続いた「キーちゃんの旅行シリーズ」も今回で終了となりました。
17年間の長い間、ご愛読ありがとうございました。 m(_)m
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[第210回] 誕生日のポルトガル 5 リスボン1 [2022年04月15日]
このホテルの朝食も素晴し過ぎです。生ハム、サーモンが山盛りで言う事なし、高台の部屋からの眺めも良いでね。
バスで行く歴代の王妃が愛した丘の町オビドスは、城壁に囲まれ中世の雰囲気がそのままで、何より16世紀の水道橋がずっと連なっているのです。
お土産屋さんの応対もどこよりも親切でした。
のんびりした雰囲気の中で校外学習の大勢の小学生達に『こんにちは』の日本語を教えて皆で大合唱をして楽しいです。
午後はシントラ王宮へ。
この世のエデンと言われる景勝地の宮殿は装飾タイルのアズレージョの宝庫です。
豪華な館内をもっとゆっくりできたら良いのですがさっと見てしまうのが惜しい所ですね。
最後のお楽しみが今回の目的地ロカ岬です。 険しい山道の急カーブの先に現れましたね。
ユーラシア大陸の西の果てに来ていました。 「ここより地終わり海始まる」の碑を眺めて感慨深いですよ。
もう行くところが無くなった?断崖に打ち寄せる波は、嵐の岬と恐れられるほどの強風も今日は無く、
暖かな夕焼けの前の淡い茜色の雲と柔らかい日差しが私を包んでくれています。
とうとうここまで来たよねと、巡礼の『同行二人』の亡き母にそっと言う幸せな私でした。
リスボンに戻りデナーではファドを聞きながらの私の誕生祝をして頂いてこれが最高の夜となりました。
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[第209回] 誕生日のポルトガル 4 リスボンまでの道 [2022年03月15日]
今日はリスボンへの途中の観光です。
コインブラ大学は中世からの雰囲気そのままの、格式と素晴らしい装飾的な図書館が特に素敵で圧倒されます。
予想以上の豪華さで本好きにはたまりません。
学生の有名な黒いマントの制服が一層引き立っています。
のどかな農村が広がる先がイワシの塩焼きで有名なナザレです。
キリストの生まれた地にちなんだこの町は、宗教的な小さな漁港から、深い海と美しいビーチがサーフィンの良い波で評判の一大観光地となりました。
町一番美味しいレストランだと自慢するお兄さんは、カタコトの日本語も交えてのサービス満点です。
しゃれた雰囲気の中で食べると名物のいわしの塩焼きも格別な味ですね。
暖かな日差しの中で、見事なカーブを描いた湾内のサラサラ白砂の広い砂浜で大西洋を楽しみました。
丘の上の町では有名な7枚重ねのスカート姿のおばさん達のナッツ売りの屋台があちこちに見かけます。
ここからの大西洋は見飽きることがありません。
青い海のはるか先がアメリカです。
またバスで行くシトー派の巨大なサンタマリア修道院は厳格な教義で知られ装飾が少なく、装飾過多の他教会とは違った威厳を持っています。
リスボンには坂の町らしく夜景が美しい夕刻に着きました。
繁華街から少し離れますがシェラトンホテルですから嬉しいですね。
3連泊なのでゆっくり楽しめそうです。
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[第208回] 誕生日のポルトガル 3 ポルト2 [2022年02月15日]
目を見張るほどの朝日を眺めながらの朝食は美味し過ぎて、このホテルに一日中居たい位ですが観光はもつと大切です。
暖かくて良いお天気の中、見どころ満載ですからまずはカテドラルで歴史をお勉強、テージョ川にかかる美しい2重構造の鉄橋のシルエットと、橋からのポルトの町並がカラフルで写真を撮るのが忙しいですね。
名高いポートワインの試飲なども良い雰囲気です。
壁一面にこの国の歴史を描いた美しい装飾タイルで飾られた世界遺産の駅が最高です。
午後のフリーでは世界一美しい本屋さんへダッシュします。
本好きの聖地ですからね!ハリーポッターの作者のお気に入りだったのがうなずけられる、なんとも言えない良い感じです。
直ぐ近くの壮麗な教会でミサにも参加して、賛美歌も何とか歌っていました。
同年代女性が多いのが午後の時間と納得です。
またバスで夕方に着いたのがブサコパレスという100年以上前の離宮のホテルですが、広いフランス庭園がある装飾過剰な古風さが雰囲気を出しています。
ディナーではちょっとおめかしで、素晴らしいダイニングルームで特産のワインも楽しみました。
食事も美味しく、翌朝の庭園の散歩では美しさにうっとりしました。
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[第207回] 誕生日のポルトガル 2 サンチャゴへ [2022年01月15日]
天気予報が当たりで、小雨がちょっと残念ですが国境を越えでスペインのサンチャゴコンポステイラへのバス旅です。
6年前にフランス人の道を13日間かけて楽しみましたが、今回はポルトガル人の道を340キロ、片道3時間余りの道中です。
山越えや美しい海岸を眺めた後、小雨のゴゾの丘からサンチャゴの大聖堂をまた望んで感無量です。
町に入り懐かしい街角では、ここでお茶をしたとか楽しく思い出します。
大聖堂は修復中ですが堂々とした荘厳な姿は健在で、また来られたことに感謝します。
ガイダ演奏の人も同じ場所にいて、さすがこの地方がケルト人の故地だからで、しばらく聞きほれました。
花盛りの6月のお祭りのようなにぎやかな以前と違い、
小雨の中の静かな聖地はこれも良い雰囲気で思い出になるお別れです。
ポルトに帰り早速お目当てのショッピングセンターへ。
物価が安いので買い物好きにはたまりません。
ホテルの隣ですから安心で爆買いします。
広い魚売り場を占める強烈な臭いの干しだらの山にはさすがの魚好きの私でも逃げ出しました。
国民食だと言われてもねー。
明日からがポルトガルの本番です。
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[第206回] 誕生日のポルトガル 1 ポルトへ [2021年12月15日]
17年2月13日早朝、関空発で目指すのはポルトガル。
昨年モロッコで眺めた大西洋の白い壁のような荒波を、対岸のユーラシア大陸最西端のロカ岬から眺めて味わうためです。
今年こそ誕生日を海外でとの目的もあります。
フランクフルト空港で6時間半の待ち時間を入れて、自宅からポルトのホテルまで、フライト11+3時間、待ち時間10時間というお疲れです。
格安旅行ですから期待していなかったのに、添乗員さんが中年の男性で関西人の気配りとユーモアで最高の旅を演出してくれました。
34人を見事に操ってコンダクターにふさわしい指揮ぶりです。
ドイツまでのお隣席で2人の男子学生が、初海外での卒業旅行でうれしさ満開なので、こちらも祖母ちゃん気分のアドバイスで楽しいですね。
旅の初心に帰れました。
入国の係官の遅い仕事ぶりがまず印象的で、ラテンらしいお国振でのんびりです。
ようやく着いたのがなんとショッピングセンターに隣接の豪華ホテルで、窓からは有名な巨大サッカースタジアムが道路越に見えます。
試合は無いのですが内部が良く見えてうれしいですね。
この旅が面白くなってきました。
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[第205回] 花いっぱいのモロッコ 10 マラケシュ 2 [2021年11月15日]
アフリカの旅も終わりが来ました、見所をまずバスで回ります。
繊細で豪華なタイルで彩られた王宮や離宮、中世からの独特の商業と庶民の町の旧市街メディアを回ります。
イヴサンローランの別荘の目にも鮮やか青い建物と、華やかなブーゲンビリア達の燃えるような彩り、熱帯の花々が競い合って咲き誇り素敵です。
午後から待望のフリー。 まずは評判のアルガンオイルを大量買い。 いざフナ広場に突入します。
コブラ使いの周りはカメラ片手の人が一杯。 私のお目当ては勿論軽快な太鼓の演奏とダンスです。
女性は踊っていないので陰になっている所で踊りを真似て楽しんでいました。
世界一大きいとも言はれる商店街がまた楽しくてあれこれとお買いものに熱が入ります。
ホテルでのお別れパーティーで皆さんと名残を惜しみました。
翌日カサブランカからの帰国時に、 私がこんなにアフリカ好きになったのが不思議なくらいの気持ちでのお別れでしたね。
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[第204回] 花いっぱいのモロッコ 9 マラケシュ1 [2021年10月15日]
オリーブの花が咲く小さな村があちこちに見えるカーヴの多い道をバスに揺られながら、ようやく夕刻に賑やかな街並みが見えてきました。
最終の目的地マラケシュに到着です。
なんと夕食が大道芸で有名なフナ広場!です。
電球色の素朴な照明の下では数えきれない程の食べ物屋台と、 名物のジューススタンドがそれぞれお客を大声で呼び込んで面白いですね。
蛇使いや太鼓の賑やかな音が鳴り響く踊のグループなどで、 これぞお祭りと言った大賑わいです。
レストランの2階テラスから眺めながらの食事は気もそぞろで、 少しのフリータイムで賑わいに突入。
明日も来ることだしと気持ち良く見て回れます。
付近は商店街でお土産をゲットするのにも良さそう。
ホテルが大きくて庭も素敵なのですが部屋まで遠いのが困りますね。
大きなショッピングセンターが近いのと、フナ広場に徒歩圏内なので良いとしましょう。
明日は頑張るぞ!
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[第203回] 花いっぱいのモロッコ 8 カスバ街道 [2021年09月15日]
カスバとは砦のことで、通行の安定を守るため街道の要所に築かれ、一時は4百以上在ったのが今はほとんど廃墟の様ですが、
世界遺産になり人気の観光地となっている所もあります。
例年なら雪道でカーブだらけの事故の多い道を、雪が無いのでバスも快適です。
窓からはアーモンド満開の風景があちこちで見られて最高ですが、通り過ぎる民家の暮らしの貧しげな様子、
小さな川で洗濯をする女性達の姿にこの夏にはどうするのかと心配です。
世界遺産の有名なカスバに行き、崩れそうな民家を抜けて最上部から眺める風景は素晴しいの一言で思い出に残りますね。
映画のロケにも使われるそうです。
やっと着いたホテルが騒がしく、部屋が足りないと添乗員が困っているのは、明日近くの砂漠に太陽光発電所が開設され、
国王が来られるからだそうで、 こんな事はもうないだろうと翌日はお祭り騒ぎで近隣住民だけでなく道は車で溢れて、 着飾った人達がトラックの荷台にまでぎっしりです。
道が反対方向なので、 皆さんの楽しそうな様子を眺めながらのドライブとなりました。
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[第202回] 花いっぱいのモロッコ 7 砂漠へ2 [2021年08月15日]
早起きしてさあ目の前の砂漠へ。
今回のハイライトの砂丘の中を縫ってラクダに揺られながら朝日見物です。
ひとこぶラクダは大きいので乗っている時は落ちないように緊張しますね。
エジプトやチュニジアなどで4回目ですから辺りを眺める余裕も出来ます。
さあ 砂丘を登る為に降りてからが大変です。
砂は柔らかくて足が埋まってしまい、助けてもらいながら登るのも一苦労。
でもちゃんと報われましたよ、オレンジ色の輝くそれは大きな朝日が昇ってくれたのです。
生涯最高のお日様です。このままずっと居たい気持ちですね。 爽やかな風の中ただ無言でこの時間を楽しみます。
ゆっくりの帰り道にラクダ隊の影が朝日に作られて、映画で見たように砂漠に写っています。
「アラビアのロレンス」私を砂漠に駆り立てたあのシーンを思い出して旅は良いなーとの感慨の時です。
ホテルに帰り朝食の後はひたすらまた4駆自動車とバスに乗りカスバ街道を西へと向かいます。
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[第201回] 花いっぱいのモロッコ 6 砂漠へ1 [2021年07月15日]
予想以上に楽しんだ名残惜しい迷宮の町にさよならをして一路南へ。
アルジェリア国境近くのサハラ砂漠で1番の見所と言われるシェビ大砂丘が今夜の目的地です。
サハラ砂漠は大昔、海が隆起した後が乾燥して残され、 古代から塩の産地となり、金と共に商業の重要商品でラクダのキャラバンにより遠方まで運ばれました。
そのルートを走るのでバスから頑丈な車に乗り換えてガタゴトと荒れた道を行きます。
放牧されているラクダがあちこち見えて砂漠らしさに皆のテンションも上がります。
砂漠も平なところは少なく山が連なっているのが面白いですね。
夕日の中に着いたのがなんと巨大な彫刻の門が迎える予想以上の素敵なホテル! 内装もアラブ風の豪華な装飾できらびやかです。
お部屋も流石に浴槽は無くシャワーですが、可愛く飾られていてうれしくなります。
レストランの品数の多さもお味も申し分無く、 ここが砂漠の中とは思えないですね。
民族音楽の演奏を楽しんだり、ヤシの茂った広い庭から見る星空に感動していました。
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[第200回] 花いっぱいのモロッコ 5 フェス [2021年06月15日]
迷宮の町と言われるフェスでのホテルは、庭も広くて素敵な雰囲気の上に大きなショピングセンターが徒歩圏内なので町歩きが楽しいです。
翌日はまず街を見渡す城塞で白く輝く街並みを確かめ、陶器製造のお店などを見た後、
いよいよ細い路地が入り組んだ巨大な
市場に入り、
迷宮と言われるのが分かりましたね。
きらびやかなアラブ風衣装、バブーシュという革製のかかとを踏める靴、香水の瓶の可愛い事とあちこち見て回り、とうとう本当に道に迷いました。
ツアーの集合場所に行けなく困っていると、今まで大きな声でお店の客引きだった沢山の男たちが、
携帯電話などで日本人が迷子だと捜してくださって
無事に合流できました。
本当に嬉しくてこの町が大好きになりましたよ。
治安がこんなに良いのには驚くほどです。
民家でのお茶の時間では、やさしいご夫婦の結婚式の写真なども見せて頂きほっこりしました。
豪華なアラブ風のきらきらの装飾で埋め尽くされたレストランでの食事も美味しくて、忘れられない町となりました。
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[第199回] 花いっぱいのモロッコ 4 ヴォルビリス [2021年05月15日]
見渡す限りに広がるオリーブ畑の向こうの高台に石柱が見えます。
モロッコで唯一の世界遺産の古代ローマ遺跡です。
二千年以前から栄えた農業の中心地として広大な領土を持ち、美しい都市を築きました。
ギリシャ神話をモチーフとした神殿や凱旋門。
歳月の風化にも負けず、過去の栄華を語っている列柱や、今も残る美しい色彩の数々が見事な床のモザイク画の浴場にはうれしくなります。
私の遺跡巡りの一番遠方を記録しました。 朝の疲れが出て気分が悪いのが少し悔しいですが、爽やかな風の中で念願がかなって満足です。
ワインの名産地のメクネス旧市街の王宮には素晴らしいムーレイイスマイル廟があります。
非イスラムでも入れるので、その豪奢で繊細なモザイク画に埋め尽くされた内部に感嘆します。各地で食事の度に名物の三角形のタジン鍋料理が出ますが、ここのレストランが一番美味しかったですね。
メクネスは大っぴらにワインが買えたり飲んだりできるのです。
さあ一路迷宮の町フェスに向かいましょう。
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[第198回] 花いっぱいのモロッコ 3 シャウエン [2021年04月15日]
山あいの小さな谷に有るのが今、青の町として大人気のシャウエンです。
中央の広場の大きな木の周りは観光客と、ゲゲゲの鬼太郎のねずみ男そっくりの民族衣装の土産物売りや客引きで込み合っています。
フリータイムに狭い階段が曲がりくねった路地をあちこち歩きまわり、青い家に映える可愛い鉢植えの花達をカメラに収め、珍しい絵柄の民芸品を探して忙しいですよ。
女性の衣装も他とも違っていて素敵ですがこれは私には無理ですね。
山の中腹のホテルが問題でした。2月で寒いのに暖房が効いていない。
おまけに朝食の後、部屋のカギがどうしても開かないのです。
ホテルの人がカギを壊してやっと入れる始末で、長年旅をしていて初めての大騒ぎで、もう朝からくたくたです。
大きくて眺めが良いのが売りのホテルがこれですから。
これから行く古代ローマ遺跡のヴォルビリスは今回私の1番の目的地なのにね。
気を取り直してさあ出発です。
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[第197回] 花いっぱいのモロッコ 2 ラバトからシャウエンへ [2021年03月15日]
早起きをし、近くの城壁を巡って風の門を眺めこの町の歴史を考えます。
フランス料理のおいしい朝食の後は古都らしい落ち着いた町並の中、フランスから独立を勝ち取ったムハンマド5世の霊廟へ。
祭日らしく華やかな民族衣装で着飾った女性が沢山で見惚れてしまいます。
子供たちがとても可愛いし、人々が親切で気持ちが良いですね。
内部も豪華な装飾でイスラムの誇りを感じます。 ここの見事なタイル張りの公衆トイレの立派さは最高です。
王宮では門番の騎馬兵が格好いいし、衛兵の交代が見られてラッキーでした。午後から地中海を眺めながらぐるりと北部を回りティトアンの町へ。
スペイン領だったこともある古い町でモロッコのアンダルシアとも呼ばれています。
世界遺産の旧市街の市場での雑踏は細い路地が曲がりくねり、商品から道行く人まで何もかもごちゃまぜです。
お菓子のケースに蜜蜂が群がっていたりは当たり前、アフリカは3度目の訪問ですがまだ慣れませんね。
またバスで山道を走り抜けた先が青の町シャウエンです。
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[第196回] 花いっぱいのモロッコ 1 ラバトへ [2021年02月15日]
2016年1月29日から11日間、アーモンド満開のモロッコへ行きました。
とにかく遠くて時間がかかります。
この時期は卒業旅行の若者たちが大勢で賑やかですね。
ドーハまでのお隣さんは同年代の女性で超行動派の素敵な方、話し相手に最高で良かったのに、乗り継では英語もしゃべらない無口のアラブ女性でつまらないね。
やっと着いたら中年男性添乗員は頼りなく、同行の同年輩の女性の気分が悪くても無視で私がお世話したり、入国に大変手間取ったり。
それでも全員で14人と少なく気分は楽ですね。
アフリカとは思えない高層ビルの立ち並ぶカサブランカから落ち着いた雰囲気の首都のラバトまで、高速道を一気にバスで行きます。
窓から恐ろしい位の大西洋の白い荒波が直ぐ近くに見え、アフリカの西端まで来たとワクワクです。
風の門と呼ばれる遺跡の近くで、フランス領時代の雰囲気の残る街並みの中の大きな素敵なホテルについたのでやれやれしました。
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[第195回] '98 姪の結婚式でアメリカ東海岸へ 8 [2021年01月15日]
毎日のように行っているメット、メトロポリタン美術館の愛称です。
路線バスに揺られて島の北端に在る分館の、クロイスター修道院に行きます。
ニューヨーク中に多額の寄付をしているロックフェラーが大切にしていた元個人の祈りの場所です。
ゆっくりのバス旅ですがセントラルパークの広大な緑、豪華な邸宅群を眺め、延々と見えるハーレムの古いビル群と道沿いの商店の貧しい様子は胸がちょっと痛いです。乗客はほとんどが黒人になっていきます。
今は美術館として中世の豪華な品も沢山ですが、私の目的は世界一の富豪が愛していた、ロマネスク様式の装飾も無い素朴な祈りの場を見ることでした。
ここを見たら矢張り本場のスペインやフランスのバスク地方のロマネスク建築を見なければと決めました。14年後にやっと行けましたよ。
帰り道にまたメットに行き、ここが沢山の富豪たちの寄付でこんなに貴重な品々が見られるのも良いものだとも思いました。
あちらこちらと言葉も不自由なのによく歩きましたが、いつもより慎重に行動したおかげで何のトラブルもなく楽しく帰国できました。
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[第194回] '98 姪の結婚式でアメリカ東海岸へ 7 [2020年12月15日]
市内巡りはちょっとドキドキです。
治安に問題有りと姪の夫テムからも言われているので慎重に、でも予習には今までに無い最高の力を入れてきましたから、バス、地下鉄も路線図を読みバッチリ乗りこなせます。
ソ−ホーのちょっとクラシックな街並みや、ロックフェラーセンターなどをぶらりと回ります。
ブロードウェイミュージカルへも。
「キャッツ」が 着ぐるみなので、もの凄く強い冷房の中で薄着の私たちは震えていましたが、リピータ達は暖かなコート姿でした。
ここは予習不足でしたね。
探してプロダンサーが行くお店では靴も買いましたが、今でもタンスの肥やしになっています。
食事は安くておいしい出来合いの総菜がずらりのデリカテッセンがどこでも沢山あるので、レストランより今日はあの店へと選んで楽しんでいます。
街角のホットドックも良いですね。
ホテルはキッチン付きで便利な場所ですから何処へ行くのも楽です。
この町が最高に好きになりました。
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[第193回] '98 姪の結婚式でアメリカ東海岸へ 6 [2020年11月15日]
タクシーで国連本部へ。
川の近く、遠くからでも目に付く広大なビルは迫力が有り過ぎです。
ガイド付きのツアーは15人位で日本人は私達だけ、英語ですがまあ何とか納得していました。
広い国際会議場にも入り、テレビニュースなどで見ているので、各国のずらりと並んだ国旗を眺めてちょっとうれしい気分です。
お土産コーナーではユニークなTシャツや絵本が買えました。
次は今回の目的地のメトロポリタン美術館へ。
これから毎日のように行きますが、胸がどきどきの場所です。
エジプト地区へ急ぎます。
湾岸戦争でおじゃんとなり、テロなどの為延期していたエジプト旅行。
アスワンハイダムの水没から救われた有名なデンデラ神殿がまぶしく見えます。
大英博物館にも無い素朴さが素敵な石の門を見てしまうともう待てないので翌年に念願を果たしましたよ。
テファニーの美しいガラス細工、フェルメールの6枚の絵画など、一週間かかっても全部は見られないモノたちの宝庫です。
がんばるだけです。
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[第192回] '98 姪の結婚式でアメリカ東海岸へ 5 [2020年10月15日]
急いでおしゃれをして出かけるのはあのワールドトレドーセンターの108階にある
「トップ オブ ザ ウィンドウ」、
世界最高の眺望を誇るレストランです。
気後れするほど美しい鏡のようにキラキラ輝くシースルーの高速エレベーターで一気に到着! 広い店内は着飾った人たちで満席の様で、予約の時間に少し遅れた私たちは何とかセーフしました。
次々と出るワインやご馳走より、私は窓の外に見事に広がる、光を一杯まとう摩天楼が輝いて見えるのに気が行ってしまいます。
勿論皆さんもそんな気分でしょうね。 姪夫婦の幸せに乾杯を何度もします。
写真も撮り大切なこの豪華な雰囲気を記憶に留めた3年後、なんと9、11テロの為あの辺り一帯と共に崩壊したのは何とも残念です。
夢のような素敵な時間でしたからね。 テレビにかじり付で見てため息をついたものです。
次の朝からは娘と二人、みんなと別れて観光に便利なキッチン付きの別のホテルへ移動します。
さあこれから5泊6日の私が考え抜いたドキドキ大冒険が始まります。
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[第191回] '98 姪の結婚式でアメリカ東海岸へ 4 [2020年09月15日]
10人一緒に車でニューヨークに出発です。
片側8車線の高速道路の幅が広いことに驚き、それが車で埋まっているのですから!長距離移動の為どの車も大型なのは納得します。
渋滞が激しくなっていよいよハドソン川を超える時は興奮します。
今日の観光ではまずは私の提案の3時間でマンハッタン島一周の船旅です。
余り大きな船ではないのですが、青空の下でゆったりと安全な船上から眺めるのは楽しいですね。
次々と現れる高層ビル群にはドキドキさせられます。
最高の高さのエンパイヤステイトビルはさすがに直ぐに分かります。
この島が実は超巨大な一枚の岩で出来ているからこそのこの建築群だと思うと、日本の高層ビルは地震などに本当に大丈夫か?とも思います。
自由の女神像の島が見えてくると、ここは皆のお目当てですから船中が大騒ぎとなります。
下船後にホテルに入り休憩です。
さあ、これからが皆のお待ちかねのびっくりのハイライトですよ。
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[第190回] '98 姪の結婚式でアメリカ東海岸へ 3 [2020年08月15日]
大学で有名なプリンストンへ出かけましょう。
大学見学より目的はこの辺り一番の青空市場です。
大きな広場に色々のお店が品物を広げて目を楽しませます。
私たちのお目当ては衣類ですから、珍しいものが沢山で選ぶのも忙しく、インド産のブラウスなど沢山買いましたよ。
次は巨大なショツピングセンターヘ。 ハローウィンが来月なので大きな赤色カボチャがずらりと並ぶのが珍しく楽しいですね。
日本ではこの行事がまだ知られていない頃です。
ここは普通の規模とのことですが、売り場が広すぎて品物を探すのも、買い忘れて戻るのも嫌になる位です。
お客さんは一週間分位買うそうで、特大のカートに山積みしているのも当たり前ですが、この広さはいくら沢山買うとは言えかえって不便ではと思います。
現在はネットに押されどのお店も衰退しているようです。
日本でもこの規模をまねたお店はさびれましたね。
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[第189回] '98 姪の結婚式でアメリカ東海岸へ 2 [2020年07月15日]
素敵な庭園が有名なホテルでの結婚式です。
輝くような青空が広がり、緑の芝生に池がある広い庭での、二人の色々のポーズの写真撮影から始まります。
私と妹、二人の美容師が腕を振るった花嫁姿は、可愛くてしっかり者の姪を輝かせていますよ。
手元から飛んで行ってしまう娘を、妹は明るい笑顔で送り出しています。
緑の中の教会で神父さんに導かれる二人を見ていて、2年前の長女の結婚式を思い返してジーンとしてしまいました。
沢山の友人達がお祝いに駆けつけてくれています。 夜になるまでダンスや歌で大騒ぎの賑やかなパーティーが続きます。
私たちも負けずに大いに踊ってお仲間入りして楽しんでいました。
アメリカの暖かさを感じた一日でしたね。
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[第188回] '98 姪の結婚式でアメリカ東海岸へ 1 [2020年06月15日]
1998年9月に妹の娘が留学時のホームステイ先の息子と結婚式を挙げるとのことで、妹夫婦に友人達、末娘と8人で出かけます。
手荷物が多いので広い空港での2回の乗り換えはなかなかの苦労です。
ようやく東海岸の田舎の空港ニューアークへ。
また車でと遠いですね。 大きな楡の並木道に沿って、緑一杯の感じの良い住宅が広がっています。
これがアメリカの田舎町という広さで、家の前の広い芝生でご近所さんがウエルカムバーベキュパーティーでもてなして下さいました。
大きな分厚いステーキがやはりアメリカです。
言葉が分かればもっと楽しいのにとちょっと悔しいのですが、片言でお相手をします。
ポルトガル系で背高の彼はとても優しそうで、姪に習って日本語が少し分かりまずは一安心、
家はお客さんが多いのでまるで合宿の様にワイワイとにぎやかです。
明日から普通のアメリカ生活を味わい、この2週間を大いに楽しく頑張ります。
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[第187回] フランス南から北へ10日間 その 8 パリ [2020年05月15日]
さあ、終わりの始まりです。
2泊なので2日目用に個人手配で良いホテルを予約。 なんとパリマラソン大会とかち合い料金は倍でした。
ツアーとはルーブルに入ったところでお別れ、好きな絵だけを堪能できました。
朝イチで入ったのでモナリザもゆっくり鑑賞。 お気に入りのニケの像の前でにっこりです。
オルセー美術館に急ぎます。 ロートレックのポスターが沢山でお気に入りです。
ここのランチを始めて食べてうれしいです。
目的のホテルは川向うにノートルダム大聖堂が見えて、お隣が中世美術館と言う絶好のポジションで古風な味わいが有ります。
気分よくどちらもゆっくり鑑賞出来ました。 早起きして名物の朝市の賑わいをのぞきパリジャン気分です。
白大理石が輝くパンテオンの優雅さに感動します。 カフェでカプチーノとサンドの朝食も楽しいですね。
セーヌ川のさざ波にお別れして、又メトロを乗り継ぎツアーに合流します。
大満足でパリにお別れできました。
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[第186回] フランス南から北へ10日間 その 7 モンサンミッシェル [2020年04月15日]
ロワールから平野を抜けて、大西洋岸のモンサンミッシェル修道院です。
広い草原の向こうに高い塔が見え歓声を上げます。 10世紀末からの建築を重ね、何層にもなる巨大なその構造は見事なもので、どの角度からも良い被写体です。
潮の干満の激しいこの地は満潮になると陸と切り離されるそうですが、近頃は道路も出来て孤立することも無いようです。
堤防道路を渡り、門をくぐると狭い道沿いにそれは騒々しくお店がずらりで、なんじゃここはと思う程、石畳の坂道はちょっと疲れます。
それに修道院の中は広大で見て回るのも大変。 歴史を感じる重々しい雰囲気が満ちています。
何十もの大小の部屋を見るのはとても無理で、城壁の上から美しい砂のアートに見える干潮の海で気分が爽快になります。
さあ、パリが待っています。 草原でのんびり草を食む羊たちを見ながら気持ちは飛んでいます。
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[第185回] フランス南から北へ10日間 その 6 ロワール [2020年03月15日]
焼き物の町リモージュからロワール地方のお城巡りです。
6人の女城主がいたシュノンソー城はシュール川のほとりの優美な美しい姿です。
アンリ2世を巡り、乳母だった20歳年上の美貌の寵姫ディアーヌと正妻のカトリーヌとの長い精神戦争の痕跡が残る、豪華な装飾は美しいが悲しみも感じられます。
カトリーヌの故郷,イタリア フィレンツエのメジィチ家の歴史好きとしては余り良い気持ちもしません。
10人もの子供を産んだのに 冷遇されて、夫が早死にした後のカトリーヌの活動は分かる気がしてしまいます。
庭園の美しさも抜群の女の城です。
最大を誇るシャンポール城などを眺めてロワール川沿いを トゥールに泊まりました。
夕食の後の散歩で大聖堂まで行き、しんとした薄暗い中で一心に祈っている私と同年輩の女性の姿に胸をうたれました。
何処にでも悩みはあるのです。
[第184回] フランス南から北へ10日間 その 5 ラスコー [2020年02月15日]
カルカソンヌの素敵な城壁にお別れして今日から北を目指します。
ミディーピレネーと呼ばれる、美しい渓谷の中の小さな可愛い村々を通り過ぎるのですが、 ワインで有名なカオールの家並は赤い小さな屋根が緑の川沿いに映えて、 思い出しても胸がキュンとなります。
小山の落葉樹の森の中の小さな建物の地下、 これが1940年犬を探していた少年が偶然見つけた洞窟を再現したものです。
2万年近く前の鮮やかな赤を主体とした、 無数の牛や鹿の動物達の絵画で埋め尽くされているのです。
本物は保存のため閉鎖されて、 ラスコー2として復元されたものが入れます。
暗い洞窟の細いくねった道の両脇に大きな赤い牛が一面に現れて、 私をその発見者になったような感覚にさせ、 赤い牛の群れに取り囲まれた気分です。
他の動物も沢山描かれていますが、 今も忘れられないのはやはり巨大な赤牛の迫力です。
こんな何気ない森の中に宝物が眠っていたのかと、落ち葉の中を楽しく歩きました。
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[第183回] フランス南から北へ10日間 その 4 カルカソンヌ [2020年01月15日]
森を抜け、畑やブドウ畑を抜けて走ると夕暮れの中、中世そのままの堂々とした姿の城壁が見えました。
カルカソンヌです。 お城は各地に残っていますが、このような完璧な姿で残っているのは貴重で、ここはスペインとの商業のルートの中心でしたが、時代の変化ではずれ、寂れたのを19世紀に国威を示すために大規模に建て替えなどをしたのです。
今は人気の観光地となって普段は大混雑する所が、観光客が少なくなる時間ですからゆっくりと歩け、 路地の様な狭い道を抜けたり情緒が有ります。
こんな素敵な所なのに気ままに見て回れてうれしいですね。
城壁を一杯使いライトアップが入るとまたぐっと違って美しい表情で神秘的になります。
ディナーは城内の雰囲気の良いレストランで、名物のカスレが出ました。
これまでにないそれはゆっくりとした時間でした。
[第182回] フランス南から北へ10日間 その3 ポンデュガール [2019年12月15日]
アルルの有るプロヴァンス地方は古代ローマの属州で、それこそ沢山の町にまだまだ見たい遺跡が残されています。
そんな町を時間の無い私達はすーと通りすぎます。
森を抜けて川のほとりに着きました。
待望のポンデュガールの巨大な橋が姿を現したのです。
2000年も前にこんな山奥に素晴らしい水道橋を作った建築の天才ローマ人に改めて拍手を送ります。
大急ぎで橋に向かい、 その石組がどんな風か確かめます。
遠目には平行に見えますが、 3段の上部で水がわずかな勾配で流れているのです。
長年良く頑張たねと石畳をそっと歩きます。
この水の行く先50キロにニームの町が有り、 それは見事な闘技場遺跡などが残されているのですが今日は心を残しながら、 それでもヨーロッパ一番の城塞を誇るカルカソンヌにこれから行くのですから良い事にしましょう。
[第181回] フランス南から北へ10日間 その2 アルル [2019年11月15日]
輝く地中海を後にバスは西へとひた走り、 アビニオンの町では水量の多いローヌ川に架かる橋のそばで歌いましたね。
童謡の 「橋の上で踊ろよ、踊ろよ」 を。
80年だけのローマ法王の宮殿跡は威厳があり、今は世界的な演劇祭の会場で有名です。
アルルに着きました。
古代ローマ時代に繁栄し、多くの遺跡が良く保存され、ガリア(フランスのローマ時代の名前)の小ローマと呼ばれた町です。
巨大な競技場の最上階に登ります。
春の日差しがまぶしく気分はすっかり古代ローマ人ですね。
神殿跡も手入れされた公園で、長い年月の風雪に耐えた列柱が良い感じで歴史の中にすっぽりと入れますよ。
古い町の文化は民族衣装もさまざまでとても素敵です。
買い物をする時間が無い私は見るだけで、せめてもと求めた小さな人形は大切な思い出となりました。
☆ 関連記事:
アルルのフォークダンス人形はここから>>
[第180回] フランス南から北へ10日間 その1 ニース [2019年10月15日]
2004年3月24日、エールフランスで関空から飛びます。
イースターで込み合うパリから乗り継いで、花盛りのニースに着きました。
さあ翌日からフルに観光です。 街にあふれる黄色のミモザの花が鮮やかで、 花市場では一杯の見事な花にうっとりします。
シャガール美術館の圧倒される色彩、 カンヌでの映画祭会場の赤いじゅうたんの大階段なども良いのですが、 モナコはさすがにセレブの町の風格で、地中海の眺めの素晴らしさと豪華な建物がズラリと並びグレース王妃を思い出します。
ホテル近くの公園で、地元で人気のペタンクと言うボーリングの元祖のような鉄の球を投げるゲームのお仲間にして頂きました。
言葉が分からなくても親切な方達に教えて頂いて、これで一気にこの旅のテンションが上がりました。
明日は私の目的地の一つアルルです。
[第179回] '99年 末娘と行くウイーン、ハンガリィー10日間 8 ブタペスト [2019年09月15日]
ドナウ河に沿ってバスはガタガタと田舎道を行きます。
目指すはスロバキアとの国境、河が大きく曲がるドナウベントを見るためです。
地図を頼りに人に聞いたりして、ようやく小高い丘の上から大きく湾曲するドナウを見て、 よくぞはるばる来れたと感激です。
本当はウイーンからのクルーズでここを通りたかったのですが日程が合いませんでした。
ホレホロンスキーチャルダッシュの好きな私は、 はるか向こうがホレホロン地方かなと目を凝らして眺め楽しみます。
歴史と地理が好きでFDを始めたので、好きな曲の地は行ってみたいといつも思っていました。
今回の旅はダンスも十分に堪能できたし、 コスチュームもどっさり買えたのでもう大満足です。
ハンガリーはイマイチだった娘も、 食事が美味しいしケーキが充実していて物価が安いのでお買い物が楽しく、 すっかりお気に入りとなり楽しく過ごせました。
お別れが寂しいですね。
[第178回] '99年 末娘と行くウイーン、ハンガリィー10日間 7 ブタペスト [2019年08月15日]
バスに揺られカロチャに遠征です、刺繍好きの憧れの地で楽しみにしていましたが着いてびっくり、刺繍のお店が見当たりません。
観光案内所で聞くとまだ観光シーズンではないとのことで、係りの女性が気の毒がり、
目的の刺繍博物館も閉館なのを車で連れて行って下さり、開けて見せて下さいました。
素晴らしい品々に囲まれて念願がかないました。
お礼に購入したカズさん用の白い刺繍のシャツは、他で見かけない程の良品でうれしですね。
帰りもどこ迄も広がる大平原をバスではるばると帰ります。
車中で籠一杯のリンゴを抱えたおばさんから一つ買い美味しく食べました。
夜はブダの由緒ある大きな教会でのコンサートへ。 物価の割に高いなと思ったチケットは特別の貴賓席で、普段着で来た私達はちょっと気が引けました。
男女4人の素晴らしい歌手と、フルオーケストラの演奏も、昼間の疲れで余り楽しめませんでしたが良い思い出にはなりました。
[第177回] '99年 末娘と行くウイーン、ハンガリィー10日間 6 ブタペスト [2019年07月15日]
街巡りにはお得な公共交通1週間パスであちこちと駆け回ります。
まず中央市場はこの街最高の楽しい所で、食品などの珍しい物満載で、
特に名産のパプリカの山に驚きます。
2階にお土産用品が各種あり、民族衣装が市内よりかなり安いのがうれしいですね。
毎日通うのでお店の人ともすっかり友達です。
有名な温泉にも入ります、水着着用で雰囲気はプールで、それなりに楽しめますね。
ドナウ河を渡って王宮から市内を眺め、この街の歴史を感じます。
遊覧船から眺めるこの街が素敵に見えてきました。
物価がウイーンに比べ大分安いのでお財布に優しいのも良いですね。
東欧1と言われる豪華レストラン、グンデルで奮発して食事もしましたね。
でもお味は情報誌お勧めの中央市場の隣の小さなお店が勝っていたと私は思います。
名物のパブリカのスープもずっと美味しいし、値段の安さには参りました。 何度も通ってしまいます。
いつの間にかこの街のファンになっていました。
[第176回] '99年 末娘と行くウイーン、ハンガリィー10日間 5 ハンガリィ [2019年06月15日]
広い国立体育館は春のフォークダンスフェステバルで熱気に包まれています。
2日間のお楽しみは、中央のアリーナで繰り広げる、プロ、アマのデモと、皆で踊れるタイムです。
大好きなドナウテリュウウグロシュが曲調を変えて3曲連続で掛かるのに、交通事故から2か月の私は元気に踊れないのがちょっとくやしいです。
言葉が解らないのに気さくに話しかけてくれて、サークルで手を繋ぎ踊ると気持ちが通いますね。
アリーナの周囲は沢山の出店が取り囲み、民族衣装やアクセサリーがずらりと並んで、見事な刺繍などの手工芸品の売り込みも元気なおばさま達です。
見る物全てが欲しくなり思わずの爆買いで、支払いに困り両替に走りましたね。
娘はまだFDを始めてなかったのでちょっともったいない事でしたが、お買い物を楽しんでいました。
[第175回] '99年 末娘と行くウイーン、ハンガリィー10日間 4 ブタペスト [2019年05月15日]
素敵な思い出を沢山持って、ブタペストへバスで向かいました。
到着後バス停での両替で、ボラれると言うミスをし、地下鉄ではスリの集団に囲まれあわやとなったり、迷ってお店で宿の場所を聞いていたら、
教えて上げると言うおじさんに連れて行ってもらうと、お礼をと手を出されるなど予約のユースホステルに着くまでが大変です。
日本との友好協会経営の宿なので日本人だけで、何と2階の個室で安心です。
荷物を置いてすぐに街へまた出かけ、予約の劇場でそれは素敵な本場らしいハンガリィアンダンスを楽しみました。
イースターの行事が沢山あり、人出も多いので治安はまずまずで用心していたらOKのようです。
広場で沢山の人が踊っています!勿論仲間になって踊ってしまいます。
それでも街並みがウイーンとは比べ物にならない古くて汚い感じが嫌で、娘がウイーンに帰りたいなんて言うので慌てます。
まあこれも旅の面白さだよと明日への期待に変えましょう。
[第174回] 末娘と行くウイーン、ハンガリィー10日間 ウイーン 3 [2019年04月15日]
ウイーン最終日、美術史美術館で名画にご対面です。
まず建物が目を奪う豪華さで、壁や階段の色大理石の美しいこと。
装飾がまたすごいので見たいものが沢山ですから忙しいですね。
念願のブリューゲル作の「バベルの塔」の前で感激しました。
この旅の目的の一つですから。
市内電車に乗って世紀末の名建築巡りもしました。
夜はおしゃれをして近くのオペラ座へゴー。 素晴らしい大階段を娘とちょっと気取って登る時の感動は忘れられません。
演目はイギリスのピューリタン革命の暗いお話で、華やかさが無いのでちょっとねですが、まあこんな機会はもう無いので休憩時間に豪華な衣装の展示などで楽しみます。
上の階ですから観客の方達の様子が眺められるのも良かったですね。
これで心置き無くウイーンにお別れできます。 ホテルが近くで良かったねと真夜中の道を大満足で小走りで帰ります。
明日はハンガリーへ出発です。
[第173回] 末娘と行くウイーン、ハンガリィー10日間 ウイーン 2 [2019年03月15日]
朝イチで市電に乗りシェーンブルグ宮殿へ。
テレビで見て目的にした、人の少ない内に広間でウイーンナワルツを娘と踊るのです。
今と違い観光客が少なく持参の音を小さくして少しだけ踊れたのが記念です。
見ていた老夫婦に拍手していただけました。モーツアルトのお墓にも参ります。
楽しいのは旅行情報誌で見たウイーン大学名物の、扉が無くて止まらずに回転しているエレベーターです。
楕円の構造でゆっくり動いていて、乗り降りは素早くと言う何とも面白い物で、何回も乗ってしまいました。
今はもう無いでしょうね。
馬車が観光客を乗せて走っていて、街並みに良く似合っています。有名なカフェに行きましたが、もうもうたるたばこの凄い臭いに慌てて出ました。
小さな感じの良いお店でくつろぎます。
大聖堂も直ぐ近くなので何度も足を運べて豪華な雰囲気を楽しみました。
[第172回] 末娘と行くウイーン、ハンガリィー10日間 ウイーン 1 [2019年02月15日]
1999年3月24日から4月2日迄、イースター週間を楽しもうと、私のプランで個人手配なので航空機の乗り換えとかでもちょっと緊張の旅です。
ウイーンではオペラ座の近くを宿にして、市内電車などであちこち遊び歩きにも便利です。
街一番の大通りから一つ入った古風なペンションで、内装も民族色一杯の素朴さが良い感じで朝食も美味しいです。
玄関扉が又ユニークで、全面古い彫刻の巨大な木製が、ゴトゴト音を立てて開く電動なのが笑えます。
噴水のある小さな広場に面した部屋から眺める全てが心地良い3日間です。
繁華街の真ん中ですから素晴らしい民族衣装のお店があり,その高価なのにびっくりしながら前を通るのを楽しみます。
何処を見ても古都の良さが溢れていて、お店もイースターの飾付けのお約束の卵やチョコレートが華やかさ一杯でわくわくします。
明日からフル回転で遊びましょう。
[第171回] タイ王国での5日間 その3 [2019年01月15日]
バンコックから1時間ほどのバスの旅で、古都アユタヤに到着です。
数百年前からの古風な赤レンガの寺院が辺りの風景を柔らかく見せています。
金ぴかでこれ見よがしの今まで見た寺院より、私はずっと心惹かれました。
王族の別荘の豪華な宮殿なども有りますね。
日本人街の遺跡では墓地なども有り、この国と日本との古くからのつながりに思いは馳せます。
帰途は豪華な船でのクルージングです。
メコン川はホテイアオイの水草が大きな茂みをあちこちに作っていて、川面はゆったりと流れています。
船内での沢山のバイキング料理と冷たい飲み物で楽しみます。
それがなんてことでしょう深夜便で帰るのに、おなかの調子が悪くなりひやひやものでした。
こんな体験は初めてで、もうアジアはお断りと思ったものです。
まあ楽しかったから良かったことにします。
[第170回] タイ王国での5日間 その2 [2018年12月15日]
さあ、今日はフリーです 。張り切って豪華な朝食も早々に街へと繰り出します。
まずは危ないと、ガイドブックにも書かれていたのですが、メコン川の渡し船に挑戦しました。
大きな川なので、ボロイ小さな船ではちょっと緊張ですが大丈夫です。
観光的で無く、何気ない普通の人達の暮らしが見えます。 当時はひどく貧しい所も沢山でした。
三島由紀夫の小説で有名な「暁の寺」はお目当てでしたから、人に聞きながら、探しながら行けたのがうれしかったですね。
お昼は屋台の指差しで頼のむ立ち食いなんかもします。
安くて美味しいと評判ですからね。大きなビルの周りにホームレスのような人が沢山いるのがちょっと胸の痛い所です。
それと日本と比べられない位の激しい交通渋滞がインフラの遅れを示していました。車間距離なんて無い位の間隔でのものすごさです。
今は発展して良くなっているでしょうね。大満足の1日でした。
[第169回] タイ王国での5日間 その1 [2018年11月15日]
2005年1月4日からの旅です。
お店のお客様の希望で行くことになったのに、家族の急病でのドタキャンで、私一人では余り気乗りがしないですね。
フライトは短いので楽ですが、何時もの高揚感が少ないのが残念です。
それでも南国らしい蘭などの花が飾られたバンコックの町で、寒い日本との違いに気分良くしました。
ホテルも豪華ですし、クリスマスツリーとお正月の飾りが両方あるのには笑います。
ディナーでのきらびやかで楽しいタイ舞踊の数々にはすっかりはまり込んでしまいます。
翌日にはお約束のメコン川の水上マーケットや エメラルド寺院などでの観光や、見渡す限りの花盛りがうれしいローズガーデンで、象に乗ってのお散歩は楽しいですね。
辛いけど美味しいタイ風すき焼きですっかりこの国になじんでしまいました。
明日はフリーです。 楽しみましょう。
[第168回] 孫息子と行く復活祭のイタリア 7 ローマ [2018年10月15日]
小雨の中、朝早くからバチカン美術館に並び、ようやくシステーナ礼拝堂に入れます。
途中の貴重な美術品もさっと見るだけのもったいなさです。
さすがにミケランジェロの凄さにまあこれだけでも良いですね。
明日は10万人!が礼拝する復活祭本番の為、広場や大聖堂は花で飾られ準備完了で、これもまた人が多すぎも我慢できます。
真実の口にも初めて手を入れました、以前はパスしても今回は特別です。
コロッセオも半端でない人込みの中、出来る添乗員さんの手際のよい事、少し並んで見学出来、トレビの泉、
スペイン階段とすべてクリアの見事さ、最高の仕事ぶりです。
いつもはフリーにして貰い一人で動いていたのが今回はだめと言うことで、まあこの混み様ではこれも正解でした。
ここが初めての孫には良かったでしょう。
少しのフリーで人形も買えたので私の今回の旅は大成功でした。
おまけにミラノの美術館で、孫のリック預かりで困っていたのを見事な英語で助けて下さった、小6の息子さんと参加の素敵な美人が、
私の勧めでフォークダンスを始めて下さいました。
やったね!来月にお会いできそうで今から楽しみです。
旅は後まで楽しいですよね
[第167回] 孫息子と行く復活祭のイタリア 6 カプリ [2018年09月15日]
早起きをしてフェリー乗り場に急ぎます。
白波が船の窓から見えるので、孫の今回一番のお目当の青の洞窟はどうかと気がもめます。
矢張り波が高く入場できず、リフトに乗り高台からカプリの町を眺めます。
青い海が美しく空も良く晴れていますがこの強風ではだめですね。
私は歴代のローマ皇帝の別荘地として見ているだけですが、この頃の好みは違いますね。
がっかりの皆が食事を終え、港でナポリへの船を待っていると午後の便の洞窟クルーズ船が帰ってきます。
入れましたと答えてくれたイタリア人のカップルに、孫が残念がっていると話すと、
わざわざスマホで美しい洞窟の様子を見せて下さり、孫も好意に笑顔でお礼を言えました。
つたない英語でも通じてこんな楽しい思い出が出来ました。 次は彼女と来られたら良いよね。
ナポリに帰り、高台から美しい港にお別れです。
私はカプリよりここでアレキサンダー大王のモザイク画の有る博物館を孫に見せたかったので心残りです。
必見の素晴らしいもので私の一押しなんですよ。
さあローマが待っています!
[第166回] 孫息子と行く復活祭のイタリア 5 ナポリ 1 [2018年08月15日]
ポンペイ遺跡へ着きました。 懐かしい友に会うような、遥かな歴史を感じさせる何度来ても胸が一杯になる所です。
孫も歴史好きなので気に入ってくれたのが良かった! ベスビオ火山はこの土地を実り豊かにしても、噴火で町を壊滅させ今の姿にしました。
自然は不思議ですね。 海岸沿いの曲がりくねった崖下の道をバスで行くと、目の覚めるような美しい青い海が広がります。
アマルフィ海岸は古代、大陸分裂の名残の結果がこんなに美しい海岸線を作ったそうです。
アマルフィの町は14世紀に海洋都市として発展しましたが、今はリゾート地の中心で、今日も狭い町のメインロードは人で一杯、
お買い物もレモンが主役で楽しいですね。
映画でも大階段が有名な大聖堂はこの街のシンボルです。 狭い階段が急な山の上まで続いています。
山頂には砦も見えて地中海の覇者だった昔を感じさせます。
帰途は山越えですが、真っ白な深い霧の中、狭い曲がりくねった道を行き、時々眼下の深い崖が見えるというスリル満点なドライブで楽しみました。
明日はカプリ島です。 今日の天気は風が強く時々小雨でした。
テルテル坊主が要りそうです…
[第165回] 孫息子と行く復活祭のイタリア 4 ピサ [2018年07月15日]
フィレンツエから1時間余りでピサに到着。
広い緑の芝生の向こうに真っ白な塔が見え、それは沢山の人が思い思いのポーズで、傾いた塔を支えて楽しんでいたり、芝生でボール遊びなど若者の姿が目に付きます。
塔の屋上に登るのをパスして、一人大きな古びた納骨堂のホールを巡ります。
床の大理石の下がお墓ですので敬虔な気持ちになります。
青空に飛行機がイースターの行事で、白い雲で円を描いて楽しませています。
フィレンツエに戻り、ナポリへの新幹線の時間を気にしながらの10分ほどで、駅前のスーパーでお土産を爆買いすると言う離れ業も、優秀なツアコンさんのおかげです。
快適な車中ではお話が沢山であっという間です。
ナポリのホテルが街はずれで古く、鍵に問題ありで設備もイマイチ、今までが良かったのでまあこんなのも有りですね。
[第164回] 孫息子と行く復活祭のイタリア 3 フィレンツエ [2018年06月15日]
ワクワクしながらまずは大行列のウフィツィ美術館へ。
予約のお蔭で割とスムーズに入場でき、お目当てのビーナスの誕生などもばっちりです。
人込みの中、大聖堂の入場や塔にも登ります。
塔への階段は私はパス、 それでもベッキオ宮殿の秘密の部屋のコースには感激です。
トムハンクスの映画の舞台となり実現して、これまでにない歴史の舞台裏を見られます。
フリータイムには念願のメディチ家の宮殿でこの街への思いを深めました。
街中がイースターで学生の団体や家族ずれで混みますが、この、時期だけの珍しい飾り付けのお店で、定番のチョコレートの卵を選ぶのも楽しく迷います。
街を見下ろす公園からの、赤瓦の建物が夕日に映える美しい光景は、作家の塩野七生ファンとしては何度見ても胸が一杯です。
郊外の花と緑のアルノ川沿いを歩いてこの街にお別れします。
[第163回] 孫息子と行く復活祭のイタリア 2 ベネチア [2018年05月15日]
久し振りで待望のベネチアへは、小型の船で気持ち良く大きな運河を進みます。
青空の中、両岸に広がる年代を重ねた、珍しい建物の数々の見事さに歓声を上げ続けます。
まずゴンドラで小運河を巡りますがやはり建物の劣化が気になります。
覚悟していた、大行列の人達で待って入ったサンマルコ寺院では、外壁や内部を埋め尽くす豪華絢爛の黄金のモザイク画の素晴らしさには驚くだけ、
2階のバルコニーからの広場の眺めも圧巻です。
フリータイムには混雑を避け、小さな路地にも入り込んで迷いましたが、孫が元の道をしっかり覚えていて頼もしいですね。
ゴンドラが並ぶ大運河の夢のような景色を眺めながら、珍しい種類の美味しいアイスクリームを食べるのも最高の気分です。
まだ名残惜しいのですが、さわやかな春風に吹かれながら、また船とバスを乗り継いで、さあフィレンツエへ向かいます。
[第162回] 孫息子と行く復活祭のイタリア 1 ミラノ [2018年04月15日]
2018年春休みのイタリアへ高校2年の孫息子と10日間のイースターウイークに突入です。
人出の混雑は覚悟の上、それでもこの時だけの行事満載で楽しみます。
初フィンエアーで上空からの夕日に輝くアルプスの峰々が美しいですね。
ミラノは大聖堂前で2万人を超すマラソン大会!の出発地で呆れるくらいの人込みです。
直ぐ後は復活祭の最大行事の棕櫚の行列が、正装の大主教を先頭に、棕櫚の葉をかざして賛美歌の流れる中を進みます。
群衆には復活の印のオリーブの枝が配られ私も頂けました。
地下鉄で名画「最後の晩餐」を見に行けたのも良いですね。
バスで揺られた先がベネチュアの手前にあるメストレで、二つの大きな建物の間に小さな運河がある変わった形のホテルに到着です。
[第161回] 末娘と行くイスタンブル 6 [2018年03月15日]
旧市街のホテルの便利さは、アヤソフィア、考古学博物館、地下宮殿がすぐ近くで毎日のお出かけが楽ですから、電車で遠くの遺跡にも出かけます。
朝はお祈りを知らせる大音量のアザーンをいつも聞きながらおめざめです。
夕方は定番となったブルーモスクでのひと時を過ごします。
町歩きで疲れても、床に座ってきらびやかなモスク内を眺め、沢山の各国からの民族衣装の信者さんを見ているだけでわくわくします。
イスラーム(イスラム信者)風のスタイルでお参りもしましたね。
もう私達半分イスラームだよねと言いながら楽しんでいました。
大好きな町の宝物や見せたいものはまだありますが、私の大切な場所を一緒に歩けて最高の思い出になりました。
[第160回] 末娘と行くイスタンブル 5 [2018年02月15日]
憧れのペラパレスホテル暮らしも堪能したので、旧市街のブルーモスク近くに変わりました、
毎日の歴史的名所巡りに便利ですし雰囲気も庶民的に変わりました。
この地で見せたい第一のポイントが、1453年5月、ビザンチン最後の皇帝が城壁を取り囲むオスマンの大軍に向かい駆け抜けたエーリ門です。
今はほとんど忘れられた小さな門はこの街、いや古代ローマ帝国終焉の記念の場所です。
ここに来ると歴史を学ぶ楽しさを実感される私の一押しの場所です。
付近は宮殿跡があちこちにあり古代を楽しむ雰囲気も良いはずですが、
多数のロマの人たちの不法占拠で物騒な所と言われ、いかにも危険な気配がするのが寂しいですね。
ここからひたすら道を下り、金閣湾に沿って海峡までの散歩道が私のお勧めコースです
[第159回] 末娘と行くイスタンブル 4 [2018年01月15日]
毎日朝早くから出かけています。 歴史的な場所を観光するだけでなく、なるべく地元の方達とお話しできるように頑張って探します。
小さな路地で子供達が遊んでいるのはどこで見ても良いものです。
狭い公園で年配の女性達が楽しそうにおしゃべり中なので、カタコトのトルコ語で話しかけて仲間にしていただきました。
ツアーでは出来ないゆったりした時間です。娘と一緒で良いねと言われ、暖かい笑顔の方達とひと時過ごせてうれしいですね。
皆さんの写真を沢山撮って、教えられた住所に送ったのが無事着いたかなと心配です。
歴史の古い町でもあまり観光客を見かけない地区は気持ち良く過ごせます。
名物も食べ歩きます。 サバサンド、ドネルケバブ、手絞りのオレンジジュース、安くて美味しいB級グルメを求めてひたすら歩き回ります。
お財布にも優しいこの街は素敵です。
[第158回] 末娘と行くイスタンブル 3 [2017年12月15日]
今日は快晴で暖かだから海峡を渡り遠出です。
フェリーに気持ち良く揺られながら眺める絶景もこの街の大きな魅力です。
古い路線バスで田舎道を2時間ゆられながらの目的地は黒海沿岸のシデです。
80年代にヨーロッパで大人気だったシデベジ、木綿地に手刺繍された可愛いブラウスを探します。
景色の良い素朴なリゾートのシデは季節が終わって、静かで穏やかな町の雰囲気も良いですね。
でもお目当てのベジは思いのほか高価です。
以前のエフェソス遺跡近くの品とは、手触りや刺繍が叮嚀なのが格段に良いので当たり前ですよね。
頑張って何点か買えたのでまあ良いでしょう。
人の気配が無くて、大きく広がる黒海のほとりの砂浜で、海に手を入れ水の感触を楽しんだ、二人だけのうれしい思い出になりました。
☆ 関連コスチュームはここから>>
[第157回] 末娘と行くイスタンブル 2 [2017年11月15日]
トプカプ宮殿へ出かけましょう。 深い木立の中のイスラムの堂々とした威厳のある門をくぐります。
娘に宝物館で有名な宝石に飾られた短剣とか、黄金の玉座など目を見張る素晴らしい品の数々をあれこれと説明するのがうれしいですね。
いつもは一人でツアー参加ですから、美しさに歓声を上げながらのおしゃべりで楽しさが違います。
ゆっくりと庭園からボスポラス海峡を大型の船が行き交うのを眺めるのも良いものです。
なんと午後からまだ9月初めというのに、異常気象とかで急に気温が下がりました。
暖かいものを大急ぎで町中で探しますが、気に入るものが少なくて焦ります。
ドイツ人観光客の厚いコート姿がうらやましいほどです。
日本では暑さにゆだっていましたから、まさかの油断でした。
[第156回] 末娘と行くイスタンブル 1 [2017年10月15日]
97年9月5日から10日間、大学生の娘とのトルコ旅行の始まりです。
シンガポール航空でシンガポール、ドバイと寄り道をしました。
憧れだったペラパレスホテルにまず4泊の、私の作ったスケジュールでわくわくしますね。
ここはアガサクリスティーがお気に入りで有名ですから、趣の在る木製のエレベーターなど本当に素敵です。
娘に大好きな町を案内してあちこち歩きまわります。
ある夕方にホテル中に花が飾られ、豪華なドレスの人達がホールを埋め尽くし、楽団がトルコ風、西洋風と二組も出て楽しい音楽が始まりました。
結婚式!です。 残念ながら部外者はお呼びでなく、2階から楽しそうに踊っているのを見るだけでした。
直ぐに仲間になれる庶民と違い、お金持ちの結婚式はセキュレテイがものすごく厳しいのが分かりましたね。
宴会は夜中まで続きました、ちょっとくやしいな。
[第155回] 緑の中の氷河と滝、初夏のカナダ9日間 5 [2017年09月15日]
早朝に大陸横断鉄道で3時間半、周囲の広大な小麦畑などを見ながらの列車旅です。
目指すは今回のお楽しみのナイアガラの滝です。
その規模の大きさは予想の遥か上の素晴らしさで、激しい水音にはそれだけでわくわくさせてくれます。
全員がレインコートを着込んで遊覧船に乗り込み、滝の近くまで行くのですがそれは激しい水しぶきで、まるで台風の暴風雨のようです。
これはもう何とも言えない楽しさですね。
綺麗に虹がかかったこの風景は忘れられないでしょう。
夜のお楽しみのライトアップ見物に、アメリカ側からも見るとまた違った激しさです。
6月は大学などの卒業式のシーズンで、お祝いのパーティ帰りの素敵な正装のドレス姿の若い人達が、豪華で巨大な乗用車で乗り付けて騒いでいるのをあちこちで見かけ、日本には無いアメリカの奥深い豊かさを強く感じました。
さあまた航空機を3回もの乗り継ぎで帰りましょう。
[第154回] 緑の中の氷河と滝、初夏のカナダ9日間 4 [2017年08月15日]
バスと航空機を乗り継ぎ北部のローレンシャン高原に着きました。
素晴らしい新緑の中をドライブしていて、ここは秋の紅葉の時よねと思っていたのが、
なんとバスの故障で代わりの車が来る間に付近をぶらぶら散歩が出来、緑の森の美しさを満喫しました。
北部はフランス文化圏で古都のケベックは19世紀のパリの風情そのものです。
この街のシンボルがシャトーフロントナットホテルで堂々としたお城の風格です。
ことに案内の女性の衣装が素敵なのがうれしいですね。 お食事も最高の味で特にケーキの美味しさは忘れられません。
カナダの歴史を感じるセントローレンス川の眺めも楽しいものでした。
お土産もネイテブの笛やカスタネットなど希少なものがあります。
期待していなかっただけにこの町が1番のお気に入りとなりました。
[第153回] 緑の中の氷河と滝、初夏のカナダ9日間 3 [2017年07月15日]
カナデアンロッキーの奥座敷とも言えるのがジャスパーでしょう。
素朴さが感じられるホテルは豪華さこそないのですが良い雰囲気です。
野生動物の宝庫ですから、大きな角のエルクが我が家の様に庭で見かけたりしました。
この地の観光の目玉として有名なマリーン湖に急ぎます。 こんな山奥に隠れているかのような美しい湖には感嘆するしかないでしょう。
ぽっかり浮かぶ{魂の島}と名つけられた可愛いい島はカナダ観光のポスターではお馴染みで、今回の一押しの素晴らしさです。
今年は雪解けが遅く遊覧船の運行がまだと心配でしたが、今週から始まり湖をぐるりと廻るその楽しさに大満足ですね。
まだ雪に覆われた周囲の山々がこの宝石のような風景の引き立て役です。
古代の遺跡にしか興味のない私でもここは格別でした。
大自然の美しさを心いくまで堪能した1日でした。
[第152回] 緑の中の氷河と滝、初夏のカナダ9日間 2 [2017年06月15日]
カナデアンロッキーの目玉といえばコロンビア大氷原でしょう。
雄大な山々に囲まれた素晴らしい白い大地を、大きくて物々しい雪上車に乗っていくのは気分も良いものですね、なにしろ氷河初体験ですから。
青い氷の深い裂け目には自然の激しさに驚かされます。
この巨大なアサバスカ氷河も温暖化で年々後退しているそうで、今ならどうなっているのでしょうか。
真っ青な空に白く輝く風景が良く映えて気持ちが良いですね。 絶景とはこうだと思わせる風景の連続にただ見惚れるばかりです。
山を巡るハイウエイも周りの景色や、野生の羊や鹿が道のそばの若草を食べに頻繁に出てきて私達を喜ばせるので、バスもスピード控えめで観光には最高です。
国立公園では草一本も持ち帰られない厳しい規則で、この美しい自然が守られています。
まだまだお楽しみが続きます。
[第151回] 緑の中の氷河と滝、初夏のカナダ9日間 1 [2017年05月15日]
1996年6月、美容室のお客さんの退職記念に私が見つけた旅です。
関空から飛び立ちまずシアトルヘ。 バスで国境を越えたバンクーバーは、新緑と鮮やかな花々でそれは美しいですね。
大都会のすぐそばの公園にあるネイテブの民族のシンボルの、動物や祖先の顔の迫力ある大きな柱には心引かれます。
歴史好きとしてははずせません。
翌日にはカナデアンロッキーへの長いバスの旅ですが、何処までも続くハイウェイの周りの雪を頂く高山や、見事な森林と新緑の風景には飽きませんね。
早い時間に着いたホテルが凄いのです。
シャトーレイクルイーズの湖に面した部屋ですから最高です!
お部屋に似合う様にディナーではおしゃれをしていつもと違う楽しさです。
夕ぐれの切なさ、堂々とした朝日の中に染まる氷河を映す湖に感動です。
[第150回] 末娘が行く初めてのヨーロッパ9日間 5 パリ [2017年04月15日]
スイスのチューリッヒで一泊、1時間のフライトでパリです。
憧れの最終地ですから元気が出て観光するにも力がはいります。
定番のエッフェル塔やノートルダム寺院、ルーブル美術館と足早く見て回るのがツアーの悪いところで、せっかくの良い所もさっと見るだけです。
フリータイムでは地下鉄も使い 昨日の観光した付近をゆっくり眺め、エジプトからのオベリスクの高い柱も確認です。
ぶらぶらと街歩き中、道路脇の水道管が破損して道に水が溢れているのが目につき子供が水遊びをしていたりします。
あっ、ここもと数えていて何とすぐに20か所を超え、インフラ整備が追い付いていませんね。
セーヌ川の橋をいくつも渡ってパリジャンの気分で町を見渡します。
ルーブル美術館はお約束ですから毎日、計3回通って二人でギリシャやエジプトの気分を堪能しました。
この頃は今ほど混んでいなくて気持ち良く鑑賞できました。
中庭の新しいガラスのピラミッドがことのほか素敵に見えます。
湾岸戦争のためにキャンセルされた2月の旅のあの口惜しさが少しは晴れたかな。
さあこれで私達のリベンジの旅は楽しく終わりました。
[第149回] 末娘が行く初めてのヨーロッパ9日間 4 アルプス [2017年03月15日]
雲一つ無い素晴らしい青空の中に白くすっくとそびえるのがアイガ、メンヒ ユウグンフラウの3大名峰です。
有名な登山電車でゆっくりと登ること1時間余り、急こう配ですから電車も可愛い大きさで周りの美しい風景もよく眺められます。
山肌の草原を覆い尽くす可憐な白い花達が一段と周りを飾ります。
途中の駅で牛乳の大きな缶が貨物車に積まれるのも見ものです。
この辺りでハイジがペーターと遊んでいたりしてと、娘とも話しが弾みます。
標高が世界一高い駅に着くと目の前に驚くほどの広い氷河が広がり、すぐ近くで素晴らしい白銀の雪景色を夏に見られるのです。
これではみんなが憧れるはずですね。
気持ち良さそうにスキーをする人や、のんびりとテラスでお茶を楽しんでいる人達を横目でうらやましく見ながら、
忙しいツアーですからまたあわただしく電車で町まで帰るのが残念ですね。
[第148回] 末娘が行く初めてのヨーロッパ9日間 3 ミュンヘン [2017年02月15日]
ロンドンから航空機で2,5時間、もうドイツのミュンヘンに到着です。
その街並みは整然とした高層階が連なり、下は店舗やオフィス、上階は住宅のようで美しいですね。
同じ敗戦国となった日本の汚い街並みに比べ、広い道路に緑一杯の町がうらやましいです。
ここでのお約束の大きなビヤホールでのディナーは、フォークダンスは無く民族音楽だけでしたが楽しい雰囲気一杯です
翌日にはロマンチック街道と呼ばれる古くからの建物が連なる小さな町を通り抜け、白い塔が森の奥に見えたのがノイシュバンシュタイン城です。
大変な人気の様で沢山のバスが並んでいます。
観光を終えた後皆とはぐれて迷子になって大慌てをしました。
城は外から見ると素敵ですが中はイマイチが私達の感想ですね。
グリム童話に出てくるような深い森をバスは駆け抜けます。山が高くなるに連れてカーブがきつくなります。
アルプスを目指してひたすら進んでいます。夕焼け空のスイスの山岳の町インターラーケンに到着しました。
ペチュニアやゼラニュウムの花が木組みのホテルに良く似合って咲いています。
私は楽しかったのですが、ともちゃんはロンドンの方が良かった様で、日記には山ばかりでつまらなかったと書いていました。
まあそうかもね。
[第147回] 末娘が行く初めてのヨーロッパ9日間 2 ロンドン2 [2017年01月15日]
少し古びたホテルでの美味しい朝食の後はお決まりコースのバッキンガム宮殿、ロンドン塔、ビックベン等の観光です。
待ちかねたのは午後のフリーで、目指すはエジプトの品々の有る大英博物館です。
そこは正に宝庫ですね。
とにかく広くて複雑な内部で時間の無い私達は大慌てとなります。
エジプトに行けない代わりですからここが目的地です。
さすがに充実した展示品の数々で我慢しましょう。
古代オリエントの素晴らしい品々もすべて略奪品なのがくやしいですけどね。
現地のピラミットに登れたのは8年後になりました。
赤い2階建てバスで町を歩き回り、ベーカー街221Bの建物を探し当てると、なんとホームズが出てきました。
愛読書のシャーロックホームズの記念館になっていて、7時の閉館でホームズ役のお兄さんがあの姿のままで帰る所でした。
もう7時を過ぎてもまだ昼間の明るさで、10時過ぎになると暗くなります。
観光には本当にありがたいですね。
[第146回] 末娘が行く初めてのヨーロッパ9日間 1 ロンドンへ [2016年12月15日]
1991年7月17日、待ちに待った旅にやっと旅立てます。
娘が小学4年の病気の時、治ったらピラミットに登りに行こうと約束し、二人で6年生の卒業旅行に行こうと決めました。
荷作りばっちり、指折りしながら待っていたのになんと直前の1月17日湾岸戦争勃発!の影響で、
2月3日出発、エジプト、ギリシャ、トルコ、イタリアでの17日間の地中海沿岸一周の旅行が外務省の命令で中止です。
中近東を含めヨーロッパが現地の治安に問題ありとのことで、中々ツアーが出ないのです。
待つこと5か月で何とか我慢できる内容のツアーを見つけ、夏休みで丁度良くベストシーズンだしと決めました。
早朝から伊丹、成田、ウイーンと航空機を乗り継ぐこと3回でやっと夕闇の中のロンドン到着です。
お天気がいまいちのせいでしょうか、びっくりはTシャツで過ごす日本から分厚いコート姿のロンドンの人達の服装です。
「イギリスの冬は8月に始まって7月に終わる」とのことわざは本当の様です。
準備はチャンとして来ましたから大丈夫。
さあ明日から楽しくがんばろうね、ともちゃん!
[第145回] 世界に飛び出せ最初はトルコ 12 イスタンブル 2 [2016年11月15日]
今日は1日フリー。 まずオスマン帝国の旧都ブルサに向かうツアーの一行のバスがボスポラス大橋を渡ったところで降ろしてもらい、
この巨大都市の発祥の地ウシュクダラを見て回り小さな連絡船で旧市街に行きました。
このコースはお勧めですよ。 念願だったアヤソフィアの荘厳な姿には感激です。
千五百年前の建築物が貴重なのは言うまでも無いのですが、この素晴らしい内部の美しいモザイク画の数々が語る迫力は言葉も有りません。
今回の目玉でしたからね。 人が少なくゆっくり見られます。
考古学博物館も人気が無いのか目を見張るような貴重な品々も独占です。
地下宮殿も必見ですよ。 地下の貯水池で、これが!と驚くような立派な建物には、水はローマ人にとって特別なものだと教えてくれます。
海狭沿いを古風な郊外電車でイエデクレに向かいます。
かってローマの首都である栄光の時代の証人で、皇帝が城外へ出かける時の黄金門があるのです。
今は寂れた砦跡ですが知る人ぞ知るという私の一押しです。
1543年に街がイスラムに敗れる元となる、オスマン軍が4か月で完成させたルメリヒサールの堅固な砦の各所に当時の戦いの後が忍ばれます。
厳しい時代の記憶を持つ美しい海峡を望める今回の歴史の旅の終わりには最高の場所でした。
その後、何度も訪れる事になる思い出の地です。
[第144回] 世界に飛び出せ最初はトルコ 11 イスタンブル [2016年10月15日]
長年憧れていた町の夜明け、3泊ですから楽しめそうです。
ホテルは金角湾を越えた旧ジェノバ人地区のペラで、有名なペラパレスホテルの近くです。
今回は宿泊出来ず残念でしたが次の時に念願を果たしました。 何を見ても初めてなのでワクワクです。
6本の塔のブルーモスクの壮大さに驚きます。
競馬場跡の歴史的広場の記念碑たちが私の心をつかみます。
この場所を何時も想像していました。
今日の目玉のトプカピ宮殿ではハレムを始め、有名な宝石館などもゆっくりと回れます。
花に飾られたレストランでボスポラス海峡を眺めながらの昼食も素敵です。
午後の海峡のクルージングでは海からの壮大な眺めの素晴らしさに心躍ります。
グランドバザールでのお買い物は見る物すべてが欲しくなり、今で言う爆買いで忙しいですね。
夜にはホテルの近くを探検します。 にぎやかな音楽に近寄って見ると何と大きなホールで何百人もの参加の結婚式です!
覗いていると中に案内され、ホールでは一杯の人が踊っています。
先崎さんの講習のお蔭で皆さんとすぐにお仲間に入れます。
日本人がトルコのダンスを一緒になって踊ってくれると、皆がそれは喜んでうれしいですね。
今回で一番のサプライズでした。 これぞ旅の醍醐味です。
[第143回] 世界に飛び出せ最初はトルコ 10 アンカラ [2016年09月15日]
カッパドキアに名残を残してバスは一路首都を目指します。
途中の乾燥地帯での大きな塩の湖に立ち寄りました。
本当にこの水全部が塩水!となめてみて納得します。
夏は水分が蒸発して塩の塊が岸辺を白く染めるそうです。
首都はさすがに整備されてこれまでとは違い広い道に一杯の車、高層のビルが立ち並んでいます。
ここも歴史の表舞台で古くから知られた所でした。
まずは今のトルコの体制をオスマン時代と大きく変えた新生トルコの父、アタチュルクの墓所に行きます。
銃で武装した軍人が警備している、広くて白一色の巨大なお墓は国を固めるシンボルなのですね。
私がやきもきして待ちかねていた考古学博物館へやっと行けました。
トルコ全土のヒッタイトの遺跡から集めたその素晴らしい貴重な数々の品には狂喜します。
まだ現地には行けないのでここでこの品々を見るために来たのですから。
思いは皆さんも同じですからひたすら写真を撮りながら見惚れます。
ヒッタイトのシンボルはライオンなのですが、大きくてもその像のおとぼけ顔には威厳や威嚇は無く、ほのぼのとしたその姿に私は胸キュンとなりました。
ここでの至宝とされる7千年前頃の有名なキベレ女神像の高さ20センチ程の小さい事と、圧倒的な迫力満点の姿にはびっくりです。
時間に追われ、また必ず来るからねとの思いを胸に、夕刻には国内線で1時間の夜景が美しいイスタンブルに着きました。
[第142回] 世界に飛び出せ最初はトルコ 9 カッパドキア [2016年08月15日]
こんな所見たこと無いな!とは皆の感想でしょう。
アーモンドの花が彩っている谷から見えるのは、ニッキョリと本当に不思議な岩のたけのこです。
遠くに見えるエルジェス山の激しい火山噴火の後の溶岩流のマジックでこうなったと言われて、自然の力の素晴らしさにただ感動します。
長年の風雪が柔らかな部分を削り取り堅い部分だけが残ったのが現在の形なのです。
砦跡の大きな岩山に登りこの素晴らしい景観を見下ろすとさらにこの谷の値打ちが分かります。
岩肌は柔らかいらしく中を掘って住まいにしたのがあちこちに見えます。
乾燥した地域なので夏は涼しくて冬は暖かくて見るのと違い住み易いそうです。
景観が珍しいだけではなくて、この地方は古代から続く交通の要衝でしたから歴史上でもとても大切な所です。
19世紀に畑を耕していて大量の貴重な資料の粘土板が発掘されて、カッパドキア文書と呼ばれる考古学の宝となりました。
7世紀からイスラムが広まるとキリスト教の隠れた聖地となり、深い洞穴があちこちに掘られて教会だけでなく沢山の人々の生活の場所にもなったのです。
中には何万人もの人が暮らした所も有ります。
有名な教会には中世の頃の珍しいフレスコ画が沢山残っていて世界遺産となっています。
ここはワインの産地としても有名ですから安くて美味しく頂けました。
お土産も道端の出店で手作りの人形や手袋などの編み物、レース編みで飾られたスカーフなどたくさん買えて大喜びの私でした。
[第141回] 世界に飛び出せ最初はトルコ 8 シルクロード [2016年07月15日]
コンヤからカッパドキアへと向かうこの道は古代からのシルクロードです。 物だけでなく人や文化も沢山の交流が有りました。
旅をする商人たちの為の宿「キャラバンサライ」が沢山残っています。
大きくて堅牢な建物を眺めて流通が大切にされていたのが分かります。
13世紀からアナトリアを支配したルームセルジュク朝が整備をしたもので、ここは売り買いや、情報の交換など商業センターでも在ったようです。
家畜「馬やロバ」などの部屋も広くて立派です。
バスから見える風景がどんどん変わっていきます。
緑の農地の色がだんだん薄くなっていきます。
乾燥した大地で畑の様子もあまり元気が無いですね。
コンヤのあたりの小麦畑での勢い良い姿と違い、丈も低く葉の色も悪いのです。
休憩タイムでバスが止まった広場でどこからか軽快な音楽が聞こえてきました。
何と沢山の人が輪を作って踊っています!これはと仲間になり、本当に楽しく踊れました。
大きなバスターミナルですから、他のバスの乗客たちのちょっとしたお楽しみだったようですが、それにしても何時もツイテル私とうれしいですね。
今回はあちこちで踊るチャンスが出来ましたがここが最初で本当に楽しみました。
空が夕焼けに染まるころに奇妙な形の岩山が遠くに見えてきました。
さあ明日はお待ちかねの奇岩で有名なカッパドキア廻りです。
[第140回] 世界に飛び出せ最初はトルコ 7 コンヤ [2016年06月15日]
心残りの美しかった青色に包まれた地中海から、まだ真っ白い雪化粧のトーロス山脈の険しい山道をようよう走り抜けて、なだらかな緑の農地が見渡すばかり広がり見えるコンヤに到着です。
世界最古の都市遺跡を持ち、古代から今に続く輝かしい歴史の舞台で私の1押しの町です。
アナトリアの中心都市として政治だけでなく、メヴラーナ教の本山として長年大切にされて日本なら京都のような存在です。
現在の近代的な雰囲気と違いまだ素朴な宗教都市としての面が沢山残り、観光のメインである緑のとんがりの大きな塔が威厳を放っているメヴラーナ霊廟の近くは、さながら門前町の雰囲気で厳かな感じがしていました。
13世紀に亡くなったメブラーナの遺骸を収めた墓室をはじめどの部屋も、内部の装飾の見事さには感嘆するだけです。
周りで一心に祈っている沢山の人の中で異教徒の私達は少し肩身が狭く、今でも人々の熱い信仰を集めているこの雰囲気を静かに眺めているだけでした。
この町の最盛期を作ったルームセルジュク朝時代の、精緻な彫刻でかざられた神学校やジャーミィ[イスラムの教会]などもあちこちに沢山あり、宗教都市と言う言葉がぴったりでした。 町中なのに荷物を積んだ馬車が良く見かけられ、観光中でも日本人と分かるとにこやかな笑顔が向けられるのでうれしくなります。
人々の穏やかさが素敵ですね。
28年後にこの町の人口が百万人を超える大都会となった今のコンヤを誰が想像できるでしょうか?
時は流れていきます。
だけど本当は少し寂しいですね。
[第139回] 世界に飛び出せ最初はトルコ 6 地中海の宝たち [2016年05月15日]
海沿いに遠くからでも分かる古代遺跡の白い列柱がずらりと並んでいます! シデの町は地中海貿易の基地として、海賊達の基地として多くの時代の中心でした。
特にこの町のシンボルの夕日を浴びるアポロ神殿の勇壮なこと! この日のために私は来たのだとの思いはこの地方に点在する、素晴らしい古代ローマの遺跡の数々を見た時です。
アスペンドスに有る保存状態では最高を誇る大劇場には感嘆しかありません。
二千年の時を超えて私の前にあるのが夢のような、壁の装飾の一つ一つが生きています。
それにしても圧観はペルゲの遺跡です。
これまでの何処よりも保存状態は良くないのですが何という存在感でしょう。
半分崩れた巨大な都市門は地中海の風を平然と受け流して立っています。
予習をしていなかった所なのに今でも一番心に残る素晴らし光景です。
校外学習らしい制服の小学生10人ほどが先生に説明を受けていました。
末っ子と同年代なのでチョット気持ちが揺れましたね。
夕日の中のリゾート地らしい地中海を望むホテルの庭から眺める、遥かにかすむ彼方がキプロス島でその向こうがアフリカに続いています。
ついにここまで来る事が出来たと、古代史好きとしては記念すべき日になったとただ感激の一日でした。
[第138回] 世界に飛び出せ最初はトルコ 5 アナトリア高原の早春 [2016年04月15日]
3月末の良いお天気のなか田舎道をバスは軽快にと言いたいのですが、道が悪いのでがたがたと良く揺れながら行きます。
青空に映える背高のポプラの木々もまだ葉を落とした裸で少し寒そうです。
山の中で気温が低いこの辺りはリンゴの名産地とかで、畑に囲まれた質素な民家の前で止まりました。
恥ずかしそうな様子の子供4人と夫婦の方が出てこられ皆のためのリンゴを買いました。
穏やかなおじさんはお客が日本人と分かるととても喜んで、庭に繋いであるロバに乗ってみるように言われ3人が乗せていただきました。
何処でも日本人はモテますが、トルコは気持ちの良い親日家が多いのでこちらが恐縮する位です。
ここも感じの良い方達でうれしかったですね。
ロバの乗り心地はなにしろ初めてですから、おっかなびっくりでちょっとお尻が痛かったですね。
皆で食べた小ぶりのリンゴが本当に美味しく感じられます。
ひたすら曲がりくねった山道を走り抜けた先が湖水地方に入りました。
静かな緑の中にかなりの大きさの青い水面の湖が次々現れました。
これから季節が良くなれば目を見張るような美しい景色ですから沢山の人が見えるでしょう。
今日は地中海への移動日で特別なものは無いはずですが、何か飾らない本当のトルコの良さを見たようだったと、後で思い出した穏やかでうれしい1日でした。
[第137回] 世界に飛び出せ最初はトルコ 4 パムッカレ [2016年03月15日]
のどかな田園風景の中から前方に異様に光る白い丘が見えるのが、トルコ語で綿の城と言うパムッカレです。
長い年月湧き出した温泉の石灰質が丘をそれは美しい白の階段状の世界へと変えたのです。
温暖な気候と温泉で古代ローマより最大の保養地として栄えていました。
背後に広がる整った街並みや大規模な劇場、なによりすごいのが立派なお墓が広がっていることです。
大きな家の様なお墓も有りお金持ちの引退後の優雅な生活が分かります。
今では残念ながら半ば崩れ荒れた遺跡が静かに昔の栄華の名残を教えています。
この不思議としか言えない景観は西部一の観光のスターとなりました。
温泉は豊富なようで昨夜のホテルにも庭に素敵な温泉プールが有り、何気なく入り余りの深さにちびの私はびっくりであわやおぼれそうでした。
ここにも一面に温泉の小川が流れていて窪地が白い鍾乳石のプールのようで、水着の子供や若者がはしゃいで楽しそうですね。
それではと足湯気分で裸足になり仲間入りします。
何処を撮っても写真スポットとしても申し分がありません。
風は爽やかでいつまでも見ていたい光景です。
最近では湯量が減って心配されています。
人気が出るのも善し悪しの様です。
[第136回] モロッコに行って来ました [2016年02月15日]
もうお終りと決めていたのにやっぱり飛び出しまた、モロッコへ。
お正月に決めて2月18日誕生日に出発のはずが、3週間も早めてしまい準備が大変。
片道20時間のフライトも難なくOKでした。
早すぎかなと心配していたアーモンドの花は、異常気象で全く雪が降らないこの冬はもう春の様でどこでも満開でした。
有名なスキー場も草むらで、富士山より500メートルも高い山にもほとんど雪がありません。
これでは雪解け水が頼りの多くの人が夏にはどうするのか心配します。
カサブランカから首都のラバトで泊まり、青の町シャウエンを堪能し、私の1押しのヴォルビルスの広大なローマ遺跡では思いは尽きません。
古都メクネスの古めかしい霊廟の細かな彫刻には感嘆し切りでしたね。
世界1のフェスの迷路の町では気を付けていたのに本当に迷子になりましたが、今までお店の客引きだった人達が親切に探してくれて、やっとたどりつけた時はこの町が大好きになりました。
治安も良くて皆さん親切でしたね。
眼下に絶景が続く前アトラス山脈をバスは走り抜けます。
砂漠でこんなに素敵なホテル!とうれしい驚きも有りました。
赤く輝いているサハラ砂漠での朝日見物にラクダに揺られたのも良い思い出です。
4度目なので気持ちも楽でしたからね。
延々と続く大アトラス山脈の麓の砦跡やオアシスも、ヤシの林と桜のような満開のアーモンドの花が美しく彩って長いバスの旅も楽しいものです。
最終地のマラケシュでのそれはにぎやかに混雑するフナ広場で、地元のベルベルの音楽とダンスをすっかり堪能出来ました。
11日間の旅の仲間の14人がとても仲良く良い雰囲気だったのが何よりのおみやげです。
後泊してゆっくり帰る最高の旅の終わりとなりました。
[第135回] 世界に飛び出せ最初はトルコ 3 エフェソス [2016年01月15日]
さあこれからトルコ最大規模のエフェソス遺跡です。
古代から続く聖地でアルテミス神信仰の中心となり、その繁栄ぶりは地中海1を誇っていたのですが、キリスト教の隆盛に押されます。
近くの川からの土砂が港を埋めてしまい貿易がさびれ衰退しました。
その上に有名になりたい男の放火で豪華さを極めていたアルテミス神殿も焼け落ちています。
入口近くに小屋風の土産物店が何軒かあり、なんとずらりと素晴らしい刺繍のブラウス!が並べてあるんです。
これはと急いで買いますがとにかく時間が無いのが残念です。
ツアーの泣き所ですね。 遺跡は広い石畳の道の両側にそれは見事な沢山の神殿が色々のデザインで立ち並んでいますが、ただ圧倒されるばかりの貴重な物ばかりです。
有名なケルススの図書館の彫刻は特に良いですね。
広々とした大理石製の公衆トイレの列には恥ずかしくなかったのかと笑ってしまいます。
どこを見ても観光客がとても少なくてじっくりと静かに眺めていられるのが現在との大違いです。
発掘後の修復を急ぎすぎて雑だと難癖をつけられて、2013年にようやく世界遺産となりました。
観光客も年々増加して現在の混雑ぶりは人が多すぎてもと心配です。
荒地の広がる広場の中央に円柱が1本残る廃墟のアルテミス神殿や、キリスト教の聖地となった聖母マリアが暮らした家も見て回ります。
博物館の展示では目玉である豊穣と多産の象徴としての多数の乳房を持つアルテミス神の像は威厳がありますね。
さあエーゲ海から内陸部に向かい、先を急いで夕暮れに染まる綿の城と呼ばれるパムッカレにようやく到着しました。
[第134回] 世界に飛び出せ最初はトルコ 2 イズミル [2015年12月15日]
部屋から美しいエーゲ海を見晴らせる豪華ホテルでの絶景に、長旅の疲れも忘れて元気いっぱいでいざ出発です。
3月末とは思えない暖かくてまぶしい青空が広がる中を、バスは100キロ離れたペルガモンの遺跡を目指します。
コウノトリが高いところに巣を作っていたり、通り過ぎる家並や人々の服装がベール姿などイスラム風なのが珍しく、何を見ても楽しくて大騒ぎではしゃいでしまいます。
45歳のパワーは遺跡巡りが始まると更にテンションが上がり熱中して写真を撮りまくります。
ここは特に彫刻がペルガモン派と尊重される優れたものが多いのが有名で、子供の頃から思い描いたあこがれの地を駆け回って最高です。
高台の険しい崖に広がる有名な大劇場や長年の風雨に傷ついた大理石の神殿がよくぞ残っていたと、3千年の時間をひとっ飛びした良い気分です。
緑の畑が続く途中の村では沢山の人で馬市がにぎわっています。こんなひなびた所でゆっくりしたら楽しいでしょうね。先を急ぐ私達はちょっと残念です。
夕刻のホテル帰着後のフリータイムでは初街歩きです。
リゾート地として有名ですから、背高のヤシの木の気持ちの良い並木道がエーゲ海沿いにあり、地図を片手にあちこちと探しながらお店を覗きますが、どこも髭ズラの店員ばかりでチョット腰が引けます。
そこを頑張ってカタコトの英語と身振り手振りで交渉し、なんとかダンスに使えるイスラム風の衣装を3点買えたので満足の一日となりました。
明日はエフェソス遺跡巡りです。待ちどうしいなー!
[第133回] 世界に飛び出せ始めはトルコ 1 いざ出発! [2015年11月15日]
平成元年(1989年)3月25日、ここからが私の人生第2章の始まりです。
母の亡くなった年の43歳でこれからが余生だと覚悟を決めました。
後悔しない生き方をする為に仕事や家庭を少しサボって、ライフワークの歴史で好きな地への旅に出ます。
2年の準備の後、目的地は大好きなヒッタイトの遺跡が在るトルコです。
4千年近くも前に鉄器で武装し、大国のエジプトとも対等に戦っていた大帝国が消えて行く過程は謎に満ちていてわくわくさせます。
今と違いトルコはマイナーな観光地で、探し回りようやく見つけた{トルコ一周13日間の旅}のツアーで出発です。
珍しい旅行先と言うことで全国各地からの旅の達人と、春休みで社会科の教師が集まりそれだけで面白い旅になりそうです。
夜に成田空港からまずはアンカレッジ空港で給油です。
アラスカの大自然の美しさに感動します。見渡すと白一色でここはまだ冬景色です。
次がモスクワ空港で、だだっ広い待合所と薄暗い汚いトイレが怖かったですね。
アムステルダムでの長い待ち時間の後でイスタンブルへ。と思えば何とギリシャのアテネ空港に立ち寄りです。
やっとイスタンブルに到着後、急いで国内線に乗り換えてエーゲ海のイズミール空港へ着いたのが、成田からでも32時間!今の直行便の2倍以上、片道で8箇所の空港利用なので本当に疲れましたね。
さあ夢の旅が始まりました。
[第132回] アップダウンクイズでハワイ 6 カウアイ島 [2015年10月15日]
夕刻にまた小さな飛行機でカウアイ島のリフェへ。
ココパームと言う名前のとおり、うっそうとしたヤシの林の中の小さなホテルは心が休まるような良い感じで、隠れ家といった雰囲気が溢れていました。
庭園の島と呼ばれるだけに、赤や黄色に紫と色鮮やかな花々と大きくて立派な緑の葉が広がり初めて見る植物が辺り一面です。
水量も多いワイルア川を小さな船で生演奏のハワイアン音楽を聞きながらの行き先は、ハワイの王族の結婚式場だったシダの洞窟です。
深い緑の森にひっそりとたたずむ、元は神聖な場所でしたが、プレスリー主演の映画で有名になり、すっかり観光名所となりました。
ここでの式なら雰囲気も最高ですから、思い出にと日本からもはるばると来る挙式の人気スポットになったくらいです。
ブルーハワイの曲をチョット口ずさんでみます。
私の今回の一押しのお気に入りとなりました。
この島は小グランドキャニオンと呼ばれる別の素晴らしい景観も持っていますよ。
切り立った断崖絶壁が見渡すばかり広がり、深い渓谷が続いて驚ろかされます。 この島の荒々しい一面も楽しいものです。
沢山の思い出とお土産をもって、私の初海外旅行は終わりました。 この時お腹で3か月の娘も45歳となりましたから古い話です。
[第131回] アップダウンクイズでハワイ 5 ハワイ島 [2015年09月15日]
フリータイムとなった午前はみんなで一緒にお買い物です。
現在でも人気のアラモアナショピングセンターのその広さと品数の多様さに、お上りさんの私は驚くだけです。
沢山買いたいのに1ドル360円ですからね。 シッカリ値段を見比べます。
午後には小さな飛行機に乗り30分でハワイ島のコナに移動です。 バスに乗る感覚の簡単さで空港もバス停という程度の建物です。
大都会のホノルルと違い素朴さが残る田舎町の風情がまた感じの良い町です。
翌朝からの観光では何といっても今も激しく噴火中のキラウエア火山が目玉です。
大きな溶岩がごろごろしている広大なすそ野から、噴煙の上がる大きな火口の渕までがしっかり見られました。
この火山は溶岩流が特にゆっくり流れるのが最大の特徴で、夜間に海まで赤色の川となって下るのを見る事が出来るらしく、
それは楽しい見ものだろうと昼間しか居られない私たちは残念です。
ヤシの木が茂る、見渡す限り真っ黒な溶岩で作られた黒砂海岸の異様さが、不思議な青い色の海と対象的でとても美しく見飽きることがありません。
辺鄙な場所にある小さな公園での休憩で、トイレが綺麗な水洗でペーパーまであるのです。 いつも使う国鉄の駅のトイレとの綺麗さの違いに生活レベルの差を感じました。
今では日本のトイレは世界最高ですから時代は変わるんですね。
[第130回] アップダウンクイズでハワイ 4 オアフ島2 [2015年08月15日]
さすがにホノルル観光は充実しています。
緑のパンチボールの丘での、第2次大戦の戦死者の膨大な白い墓標に衝撃を受けました。
戦後25年経っていますが、まだそう遠い昔の出来事ではない時です。
お馴染みのハワイ初代国王の像の前での歴史のお勉強もします。
アメリカがいかに強権で王朝を倒したかに怒りも覚えます。
ハワイ大学の訪問もしましたね。
緑と花が一杯の美しさがうらやましいです。
しかしなんと言っても私のお目当てはデナー付きの本場のハワイアンショーです。
夕方から大きなヤシの木に囲まれた広い芝生の庭でのフラダンスから始まります。
芝生に座りくつろいで観ていますと、次々と立派な体格の女性たちがそれは楽しく踊ってくれます。
手の動きなどの説明もありましたね。
夕闇が訪れると屋内で食事を取りながらのポリネシアダンスがはじまります。
軽快な太鼓の音に乗って女性たちの激しく動く腰の見事なダンスや、二つの松明の火を鮮やかにあやつった逞しい男性のダンスなど、前と趣が違ってまた楽しいですね。
本場で見られて幸せでした。
[第129回] アップダウンクイズでハワイ 3 オアフ島 [2015年07月15日]
機内で落ち着かない一夜が明け、朝日の中のお待ちかねのホノルルに到着しました。
明るい青空と暖かな空気がここは南国だよと教えてくれます。
外人だらけの空港ですっかり異次元世界に入った感じです。
歓迎の大きなレイを首にかけてもらうと、甘い花の香りで夢心地ですね。
白い花の名がプルメリアと言う名前で、レイに良く使われると知り、花好きの私としての好奇心が湧いてきます。
これからどんな体験ができるかと、体調も考えずにわくわくしてしまいます。
お約束のアッダウンクイズの横断幕の前での写真も何だか慣れてきた感じです。
まず向かったのはハワイに来たら必需品、
そうですムームーの工場での見学兼お買い物です。
ゲットしたばかりの素敵なムームーやアロハシャツに着替えたらもう皆はハワイっ子の気分で大はしゃぎです。
海辺に立つ今日のホテルが立派なのに驚きました。
今までの旅とえらい違いとうれしいですね。
たっぷり食べた昼食で満足したら観光の始まりです。
ヤシの並木道に驚いたり、目の覚めるような鮮やかなブルーの海辺の白い砂浜にくつろぐ人たちが、
日本のようにざわついていなくて、ゆったりのんびりしている様子が不思議な感じですね。
有名なダイヤモンドへッドを見上げてとうとう来たと改めて実感しました。
お楽しみはまだ始まったばかりです。
[第128回] アップダウンクイズでハワイへ 2 出発! [2015年06月15日]
いつかなーとお待ちかねの旅行日程が決まったのは翌年2月10日でした。
3月22日出発でオアフ島、ハワイ島、カウアイ島巡りの4泊6日です。
実は私は妊娠2か月でしたので迷いましたが今しか行けないと決めました。
つわりも少し有りますが丈夫が取り柄なのでまあ良いでしょう。
パスポートの取得に1か月近く必要な頃ですから準備も大変です。
海外旅行などまだ庶民には高嶺の花の時代ですから、洋行だと大いに皆に羨ましがられます。
旅行は良くいきますがこんな豪華旅行は初めてです。
まず新大阪駅で集合し、関西方面の7名で新幹線に乗り顔合わせをしてから自己紹介で盛り上がります。
東京のホテルで残りの5名計12名が合流しました。
夕刻にスポンサーのロート製薬の企業関係の大勢の人たちとの盛大なパーティーがホテルの宴会場で開かれました。
初めて見る振り袖姿のコンパニオンたちが艶やかでまぶしい感じでしたね。
夜には近くの羽田空港から見送りの人がそれは沢山でにぎやかなので気分も最高です。
当日は添乗員さんなど総勢15人が日航機で飛び立ち一路ハワイへ出発しました。
何もかもが初体験のちょっとドキドキの初飛行です。
窓からの美しい雲海の眺めに興奮し、お待ちかねの機内食が今頃とは格段の豪華さで、なんと塗器に収まった見事な彩りで美味しいですね。
今ではとっくに無くなった、綺麗な七福神のイラスト入りの「日付変更線通過記念証」なんて貰うのですから古い話です。
さあハワイが待っています。
[第127回] アップダウンクイズでハワイへ 1 テレビに出る! [2015年05月15日]
1968年春、何時も見ているクイズ番組の予選試験を受けました。
大阪市内の広い会場で100人ずつが白紙を前に、問題を読み上げるのを聞いてから10秒の間に答えを書き全部で20問です。
耳だけが頼りの初めて体験した恐ろしい時間でした。
時事や歴史、芸能など各ジャンルの問題で、暗記が得意で雑学に強いのが幸いし1組で5名の予選通過です。
新聞をじっくり読むなどの予習をし、待つこと2か月いよいよ出番です。
友達の応援を受け、自慢の白地に水玉プリントのお手製スーツの勝負服でいざ参戦!
名物司会者の小池アナウンサーが優しくて良い感じですね。
本番は各地の予選を勝ち抜いた、年齢もバラバラな博識を誇る6名で席に着きますが女性は2名でした。
50名程の観客の前で早押しで答えて正解毎に席が上がり、間違えると下まで落ちる緊張の連続です。
スポーツはイマイチですが、時事問題と歴史、地理には自信有りなので何とか順調に椅子が上がって良い気分です。
最大の見せ場の、ゲストの有名人のシルエットを見ながら少しのヒントで当てる問題で、最初のヒントで正解し、見事に10問正解となりくす玉が割れ、紙ふぶきの中憧れのハワイ旅行券と賞金10万円(今なら60万円位かな)をゲスト出演の浅丘ルリ子さんからレイを首にかけて頂きました。
26歳の私より年上のはずですがその美しさに余計感激しました。
今でもファンですよ。
有名な人気番組でしたから、会社の人達や買い物によく行くお店の人にもおめでとうと言われてうれしかったものです。
[第126回] 白いパスポートで沖縄へ 3 青い海に思う [2015年04月15日]
じりじりと焼け付くような太陽の下で、まあなんて素敵でしょうと声を上げるだけの、見たことの無い美しい海が万座毛の断崖です。
遥か先までの緑色と深い青色が続く海を見ていると、何もかもがどうでもよくなります。
次ぎに訪ねた見渡すばかりのパイナァップル畑では,私たちの目の前で切っての試食がどっさりで美味しく頂いて大喜びでした。
ジャングルの様なバナナの林に驚いたりでしたね。
戦争の傷跡が感じられない平和な沖縄を満喫してほっとしました。
フリーで近くの町をぶらぶらしていると、おばあさんが手招きでお家に招いてくださいました。
冷たいお茶をご馳走して色々お話をしてくださいます。
ですが残念な事に沖縄方言で私たちはさっぱり分かりません。
こちらの話すのは分かるようで、今に日本に戻れるでしょうから、その時に使ってくださいと話し、穴の開いた硬貨は珍しいのを知っていたので、5円や50円の硬貨を何枚かお礼のつもりで渡しました。
本当にうれしい時間でしたね。
お元気でねと手を握るのが精一杯の私達でした。
まだまだ見たい所が一杯あるのにとの心残りの私達を乗せた船が、行きと大違いの穏やか海を帰途に着きます。
奄美大島の港に途中寄港してくれました。
2時間ほどのフリーになり町に出かけます。 小さな町の魚屋さんの店先で神戸では超高級品の伊勢えびのボイルしたものを売っていました。
初めての味ですからこれだと早速買い、マヨネーズも探し回って他の店でやっと見つけました。 船の中でみんなのうらやましそうな視線の中で美味しく食べたのは今でも覚えている楽しいことでした。
ドキドキしながらの楽しさの中に、胸の奥に静かに残る悲しみを残した初クルーズが終わりました。
[第125回] 白いパスポートで沖縄へ 2 戦跡めぐり [2015年03月15日]
夏台風が暴れたので予定が狂いました。 神戸と比べ物にならない暑さにまず驚きです。
じりじりと照りつける太陽にちょっとこれは大変な所に来たなと思いました。
それでもバスで南部の激戦地を巡るうちに、ここに来れて良かったと胸が痛いくらい感動しました。
青春を戦いの中で過ごさなければならなかった、私たちより若いひめゆり部隊の話しを聞き、暗い洞窟で自決した場所では特に心に染みました。
20年ほど前にどれだけの人たちの最後の場所になったのでしょうか。 無念の魂が今でもそこに残っている気配がしました。
道の両側にまだ米国の占領下の現在の理不尽さが目に付きます。
広大な基地が広がりそれを取り囲むように、広々した芝生の庭の立派な住宅が連なっています。 良さそうな場所は全てと言った位広いのです。
一般の家庭の質素な建物とのその差には怒りをおぼえます。
中年の男性ガイドさんは勿論戦争を体験された方ですから、友達を沢山亡くされた話しをしてくださいました。
私も2歳で神戸空襲で家が焼け鳥取に引っ越した体験をしていますが、記憶には無いものの同じ戦争での被害者ですから他人事とは思えませんでした。
雲ひとつ無い青空の下の摩部仁の丘に立ち、激しい戦いの話しを聞きます。
目の前にびっしりと米軍の鑑船が海を埋め、そこからの物凄い砲撃での破壊の凄まじさを静かに話されるのが余計に辛く感じます。
私がその後40年以上再訪しなかったのはこの時の印象の強烈さの為でした。
ハイビスカスの赤い花が鎮魂の思いを込めるように風にゆれています。
また那覇に帰り首里城を訪ねます。
世界遺産になり美しく再建された現在の立派な赤い宮殿より、色のはげた古びた建物は落着いた風格が有って私は好きですね。
歴史を感じる空間だと思いました。
明日は北部めぐりです。
[第124回] 白いパスポートで沖縄へ 1 台風! [2015年02月15日]
1966年8月20日神戸港から、3千トンで当時としては最大級の貨客船の大島丸に乗り込みました。
勤務先の会社の進水式で巨大なタンカーは見ますが、実際に旅行で大きな船に乗るのは初めてですからワクワクのうちに沖縄に向かいました。
まだ米国の統治下にあり外国扱いでパスポートが必要で手間取ったりしました。
会社の仲良し3人を少々渋るのを説得しての初クルーズです。
神戸の男子校の高校の修学旅行のチャーターに私たち一般のツアー客100名ほどが乗船していました。
200名ほどの高校生は元気一杯ではしゃぎます。
しかし和歌山沖から太平洋に出ると船が激しく揺れ始めました。
なんと台風が接近したらしいのです。
予定を変更して高知港に一晩停泊して台風をやり過ごす事になりましたが、よくある夏台風の気まぐれで動きが止ったのです。
翌朝これ以上待てないと港を出て速度を上げたとたん台風が動き始めました。
島影も無い広い洋上でまあこんなに揺れるのかと思うほど揺れます。 ジェットコースターがそんな感じですね。
激しい風雨に船の周りは白いしぶきで覆われます。 これ以上の前進は船がひっくり返ると怒った男性の乗客の30人程が船長室に押しかけて怒鳴っています。
勿論私もどうなるかと後に付いて仲間入りです。
ずーと後で映画ポセイドンアドベンチャーを見て、ああ、こんな感じだったと思ったものでした。
一つ間違えば昨年の韓国の沈没事件のようになっていた所です。
不思議なのはその時まったく最悪の事態になるなんて私は思わず結構楽しんでいました。
乗客のほとんどが船酔いの中、これくらいのアクシデントは旅の醍醐味よねと。
なにしろ造船所勤務なんですから?。
友達3人はご機嫌斜めでしたがこれも中々出来ない体験でしょう。
ようやく那覇港に着いた時は皆やれやれの顔になりました。
なにはともあれ沖縄を全力で楽しみましょう!。
[第123回] 銀世界の滋賀でチェーンダンス三昧です [2015年01月15日]
滋賀へ1月11〜12日の連休に行って来ました「新春バルカンフェスタ」。
かねてから気になっていたのですが寒がりの私がラストチャンスと思い切りました。
厳寒を覚悟でしたが毎回参加の友達がこんなに暖かいのは珍しいとの気温でやれやれ。
広大な森に囲まれた不思議な建物の「青年の城」での2日間です。
若者が中心のバリバリのチェーンダンスが主と聞いていますが、矢張り圧倒的に若者向きのプログラムにこれは大変かなとも思いますが、顔なじみも結構居たのでまあ安心です。
講師の先崎さんは10月に2日間の講習を受けたのでまあなんとか付いて行けて楽しみましたが、関さんにはお手上げでした。
内容が難しいのもあり、分かっていても脚が付いていきません。 他のティーチャーなどへの批判がましい言葉が多すぎて気持ち良く講習を受けられませんでした。
デンチュウーさんの熱の入った「オイ・オイ」の講習には会場が熱く盛り上がりましたね。
明日が成人式の娘さんの晴れ着姿を見るために直ぐに帰るとの事で皆が残念がります。
台湾からも二人来られて、阿美族の楽しい踊りも講習されました。
他にも趣向を凝らして楽しませます。
夜は矢張り宴会でしょう!、美味しいお土産もドッサリ、勿論珍しいお酒なども次々で夜更けまでおしゃべりしてしまいました。
朝になり外はなんと一面の銀世界に変わっています。
余りの美しさに帰りの足の心配も忘れます。
10センチ以上積もっていて、これぞ私がひそかに待っていた景色でした。
それでもお昼ごろには解け始め、講習の終わった夕方に、友達の車でおしゃべりしながら帰る頃には消えていて快適な帰途となり、私の新春のチャレンジは楽しく終わりました。
次は何処にしようかなー。
[第122回] 冬のトルコ メブラーナ旋舞と遺跡の旅 イスタンブル [2014年12月15日]
冬のエーゲ海って人気が無いのかなーと、イズミールの空港の待合室での会話です。
トルコ 第3の都市のイズミールとイスタンブルの間にはシャトル便が1時間に1本ほどが飛びますが、今日は午後5時、6時のがキャンセルで7時半にやっと出発です。
あんなに素敵なミレトスを慌ただしく出たのに、もう暗くなってからのフライトです。
遅くに着いたイスタンブルのホテルはガラタ橋の近くの豪華ホテルなのに、もったいないのはもう寝るだけの時間なのです。
翌日は早起きで友達と飛び出します。 帰国前の半日のフリーを精一杯使うのです。 まずブルーモスクの開場前に競馬競技場跡のオベリスクをじっくり眺め、ブルーモスクのステンドグラスを目に焼きつけ、アヤソフィアの開場を待つ間に直ぐ前に在るミリオンを眺めてから、1番で入場したアヤソフィアはこれが最後かもとしっかりねばります。
わざと裏道を探しながら歩いてエミニョヌ桟橋から船に乗りウシュクダラへの20分の船旅では、熱い名物の紅茶で温まり、群がってくるカモメに他の乗客と一緒になりパンくずを撒いて大騒ぎを楽しみます。
港の近くの焼き鳥屋で熱々を食べて、以前にも来たお店で沢山の干しブドウやイチジクを買い、大きなオリーブ石鹸を5個も買ってこれでリラを使い切りました。
帰りの船の切符は買って在るので安心です。 重い荷物を持ってホテルに帰りまだ少し時間があると、近くのイエニモスクまで見て回れました。
本当に半日を我ながら上手に使ったと褒めてしまいます。 6回も来た大好きな町ですから思いが一杯詰まっています。 大学生の娘と来た時、仲良しの旅友3人で来た時が矢張り余計に楽しい思い出でした。 25年の間に発展していくこの町をじっくりと見て来れた事が私の旅の最大の収穫かもしれません。
さようならイスタンブル、沢山の楽しい思い出をありがとう。私の夢の旅もそろそろ終わりにしましょうか。
[第121回] 冬のトルコ メブラーナ旋舞と遺跡の旅 ミレトス [2014年11月15日]
旅も終わりが近くなり寂しい気持ちを覚えますが、これから行くのは世界の7不思議の一つ、エフェソスの巨大なアルテミス神殿に匹敵すると言われていた、神託で有名なデェデェムのアポロン神殿です。
今のアルテミス神殿は柱が1本その場所を示す為のように建っているだけですが、デェデェムの町に入ったとたん、高く3本の巨大な柱が遠くからでも見えるのです。
これは凄いと近くまで来るとその立派な事、良いですね! 今は神託が行われた神域だけが残っているのですが、広さも十分で何より使ってある大きな大理石の立派な事に驚きます。
青みを帯びた白い石には深堀の彫刻がして有る物が沢山有って、その豪華さは素敵です。 直径2メートルの巨大な大理石の柱が百数十本も林立していたのですが、今は数本が在りし日の姿の素晴らしさを残しています。 又ここが特別に素敵なのは、周囲の高い壁の大理石が紙1枚入らないほどのしっかりと平らでくっついる事です。 こんなに大理石が美しい遺跡は始めて見ました。
少し離れたミレトスにも足を延ばします。 ディディムの母市で有りここイオニア地方の最大の港湾都市だったのが、今ではほとんど無名の遺跡となりましたが余りの素晴らしさに感激です。
広い草原に立派な大劇場、市場、浴場などが静かに眠っています。 雨の後でぬかるんだ歩きにくい道をひたすら見て回ります。 今は近くの川の運ぶ土の為はるかに遠くなった海岸に面していた港に残るモニュメントを見る時、自然の力の恐ろしさを感じます。 全てはこの川が港を埋めてしまい町を衰退させたのですから。
子猫がえさをねだって何処までも着いてきます。 季節はずれで人影がまったく無い広い遺跡になぜか猫たちだけが元気でした。
[第120回] アタナス米寿お祝いパーティーに出かけました。 (東京) [2014年10月20日]
10月18、19日の東京の豊ヶ丘バルカン主催の前夜祭とパーティーに姫路の16名で参加の為、3泊4日の楽しい旅が始まりました。
17日午後に東京着、まずは念願だった上野の西洋美術館と国立博物館での楽しい時間を過ごしました。 翌日もトーハクをじっくり見学です。
お昼にお別れして駅に向かうと公園で何と、ゆかた姿の団体さんが盆踊りの輪を広げているので早速参加して1時間も踊ってしまいました。 さあ大変、多摩市の前夜祭会場へ急ぎます。
遠くの各地からのファンが50名ほど、美しいマケドニアのコスチューム姿の方達も大勢でアタナスの元気な姿に歓声を上げてお祝いします。
狭い空間を上手に皆で手を繋いで踊るのも何て楽しいことでしょう。
6名もアメリカから参加されて特にアタナスの長女さんが、うれしさ一杯の笑顔で素敵でした。 豊ヶ丘のメンバーのバンドに合わせて美声で歌うアタナスも見られました。
次々と出る美味しいご馳走とお酒以上に、皆さんの祝福に涙ぐむアタナスを包み込むこの和やかな雰囲気を楽しみます。 もちろん翌日の本番も大いに盛り上がります。
沢山の人で狭い会場の中央に足の痛いアタナスの為の席があり、1980年からの曲が次々と掛かると、もう皆で汗をかきながら踊りますが、アタナスが時々参加するとそれはもう一層の熱気です。
東京在住の娘夫婦も二人のやんちゃ坊主と参加ですから、孫も見てやりたいし、勿論踊りも大切ですから私も忙しいですね。
お昼の休憩にはプログラムに無い、元気な男性用の曲としてショプスカペトルカやコパチカなどが掛かったので大満足でした。 やはりこれらを踊れないと物足りないですからね。
オレンジ色の頭巾と羽織姿のアタナスに皆で紅白のバラの花で飾ってお祝いしました。 感激で涙ぐむアタナスと主催者の姿に、取り囲む私たちも胸が熱くなりました。 彼のお陰でこんなに楽しい踊りが沢山広まったのですから。
まだまだ元気なアタナスさんにこちらが元気を頂いた楽しい2日間でした。
[第119回] 冬のトルコ メブラーナ旋舞と遺跡の旅 ボドルム 2 [2014年09月15日]
シーズンオフのリゾートの海岸は静かで波の音だけの世界です。 貝殻を拾おうとしてもまったく無いのが不思議です。
湾の向こうにボドルム城が見えます。 市街へは風車の側を抜けて、ローマ劇場の前を通りボドルム城です。
石畳の続く大理石の立派な城でロードス島の聖ヨハネ騎士団が対イスラムの為に築いた物で、古代のマウソロス王の墓石をそっくり使い、各国の騎士団の紋章が誇らしげに各所に彫られています。
今は沈没船の博物館が有名でその展示は復元された船と積荷がリアルに再現されて見ごたえがあります。
最上階は有力なオーベルジュ団の塔で、そこから見下ろすエーゲ海は青空に映えた何色もの目にも鮮やかな青色の美しさで、ここは正に絶景です。 ロードス島大好きの私にはこの城は憧れでしたからもう感激ですね。 お城を眺めながらのシーフードの昼食の後は町めぐりですが、オフシーズンの観光地は眠ったような静かさです。次がマウソロス王の霊廟です。
世界の7不思議の一つとされた黄金と大理石に飾られた巨大な墓で、14世紀に地震で倒壊するまで1500年ほど偉容を誇っていたのでした。 騎士団により基壇まで根こそぎ石材として持ち去られ、今は住宅街の奥にひっそりと基壇の一部が寂しく残っているだけとなっています。
200メートル四方の巨大な墓を作ったのは最愛の夫であり実の兄を亡くした女王の熱い思いだったのが心に残ります。
港へ友達とそれこそ無数の大小のヨットを見て回ったのが楽しかったですね。 シーズンになればどんな賑わいになることでしょう。
ホテルのプライベートビーチから夕日のエーゲ海にお別れをしました。 旅も終盤です。
[第118回] 冬のトルコ メヴラーナ旋舞と遺跡の旅 カルカンからボドルム [2014年08月15日]
部屋の外は朝日で海も輝いて見えます。 直ぐ近くの海岸に降りてみると5,6匹の犬に取り囲まれる。
友達と一緒だから心強いのですが、耳に狂犬病予防済みのタグが付いていても野良なのでちょっと怖いが、イスラムでは犬も猫もとても大切にしているので飼い犬との差も余り無いようです。
今日は長い道中になるので出発が早く、朝一番にまだ朝霧が立ち込めている平野部を高地にあるクサントスの遺跡から眺めます。
リキヤの首都だった広大な遺跡は、高い台の上にお墓を作るのが有名ですが実物を見ると中々風格があって素敵ですね。 ローマ時代の遺跡も有りゆっくり見れば良いのですが、時間が無いので残念でした。
近くのレトーンはアポロ、アルテミスの双子神とその母レトを奉る神殿が有名で世界遺産になっています。 レト神殿の3本残る柱など小じんまりとした3つの神殿跡が並んだ神域が風格があって良い感じです。
地中海に沿っての曲がりくねった道を行き、湾の中の余り大きな川ではないのですがダルヤン川は数少ない海亀の産卵場所です。
ボートで20分ほど進むとリキヤ時代の岩窟墓が大小5箇所も見事に揃って見えるのです。ここでの眺めは最高で深い緑の周囲と良く合っていて見飽きないですね。
川には無数のボートが繋がれているので、夏のシーズンなら大変な込みようで、今のように穏やかな雰囲気には遠いでしょうからオフに来て良かったね、暖かくて川風も苦になりません。
さあ地中海から後はひたすらバスは走ってエーゲ海へと向かいます。宵の明星の金星と満月を見ながらようやく着きました。 有名なリゾート地のボドルムです。
[第117回] 冬のトルコ メヴラーナ旋舞と遺跡の旅 カルカン [2014年07月15日]
ローマ時代からの重要な港町で有ったアンタルヤには、ハドリアヌス帝の記念門やセルジュック朝のモスクなどが見所で、白い大きなタウロス山脈が壁のように背後に見えます。
遺跡の宝庫と言われる地域ですから、これからは海岸線に沿っての楽しい遺跡めぐりの始まりです。
ミュラはサンタクロースの伝説になった、貧しい人々にそっと贈り物をしていたと言われる4世紀の神父の教会が有名で、ロシアのロマノフ王朝の皇帝の寄付で修復されたのが見所のようですが、私はリキア時代の岩窟墓を背景にした素晴らしく保存状態の良い中規模の劇場には目を見張りました。 有名でないのに何て良い感じなんでしょう、ここはお勧めですよ。
静かな入り江の側のレストランでは魚のすずきの塩焼きが名物で、その美味しい事!うれしいですね。
この時カメラをぶつけてしまい、しばらく調子が悪くて困りました。 使い慣れた良い品なので心配しましたが友達のアドバイスで復活してやれやれです。
地震で海中に沈んだ古代の町を見るのは、小さな船で1時間の快適な船旅で行くのですが、12月とは思えない暖かな海風を受けて眺める景色の素敵なことには言葉は要りません。
この辺りは高級別荘地が続いていて、トルコで1番のお金持ちのコチ財閥の広大な別荘も有るそうです。
海岸に直ぐ迫っている山肌には古くからの石造の砦の崩れたのもあちこちで見かけられます。 この辺りは海賊の本拠地としても有名でした。
昨日は深い雪を眺めていたのが遠い事になりました。
今日の宿は坂の町の海沿いです。 眺めの良い方と悪い方のくじ引きで見事に絶景の部屋をゲットしました。
夕日が地中海に沈むのを眺め、しばらく思いに浸れる幸せな時間でした。
[第116回] 冬のトルコ メヴラーナ旋舞と遺跡の旅 アンタルヤ [2014年06月15日]
昨夜の夢のような時間がまだ覚めない内に、この思い出が一杯のコンヤにお別れです。
何度も前を通ったアラエッデンの丘の13世紀の古いモスク(イスラムの教会)にそれは沢山の鳩が止まっているのが不思議な感じです。
ひたすらバスは走り、寒い雪景色の山の中にひときわ大きな白い山々が見えて来ました。
地中海への難所のタウロス山脈です。 古代よりアナトリアを横断して地中海への交通の関門になっていた山々で、雄雄しい姿から牡牛の名前です。
ようやくの峠越えの後の地中海岸の道筋にはナツメヤシの並木が続き、赤い実がそれは見事に大きな房で垂れ下がっています。
急に暖かくなって来ました。 素敵なリゾートでアポロン神殿が有名なシデの町もシーズンオフでひっそりとして、町歩きをしても以前来た時の賑わいは無く田舎町の風情です。
地中海を眺めながらの猫の多くさん居るシーフードレストランの食事の後は、楽しみにしていたアスペンドスの大劇場へ。
保存状態の良さでは世界有数のはずでしたが、25年前とは違い荒れた感じで大きなクレーンがでんと工事中で、半分は柵で立入り禁止と言う情けなさです。
ここは素晴らしい美声でアリアを歌って下さった方が居られた楽しい思い出の場所でしたので余計に残念でした。
保存には莫大な費用と時間が掛かるようです。 トルコ人に一番人気のリゾートがアンタルヤだそうで、海岸沿いには良さそうな小さな砂浜があちこちに見えていて、
夏ならここらあたりは凄い事に成るんだろうと、青空と深い緑色をした海のこの静けさがうれしく感じられます。
夕方のラッシュアワーで混雑のアンタルヤの町は地中海で1番の大都会だけの騒々しさです。
明日は久しぶりに訪問の、長い歴史が魅力のこの地を楽しみます。
[第115回] 冬のトルコ メヴラーナ旋舞と遺跡の旅 コンヤ 2 [2014年05月15日]
慌ただしい気持ちは期待の現われです。
早く夕食を済ませ、ライトアップが美しいメヴラーナセンターへ。
大きな楕円の2階建ての中央で旋舞が行われて、2階までの周囲をすり鉢状の観客席としています。 1階の周囲は展示場になっていてお土産屋やギャラリーなどでとても面白そうなのですが時間が無いんですね。
10段ほどの席の上から2番目とちょっと遠いのですが、正面ですから良く見えます。 25X18メートル位の中央のアリーナで行われます。 8時過ぎに有名な歌手のコンサートが40分ほど、9時前に25名ほどの音楽と歌の人が入場、そして妙なる心に響く笛を主とする音楽が始まります。
天井のライトが変化して雰囲気を作り、黒いマントの僧が次々と何と41名!登場です。 小さな絨毯に導師が立ち、監督役が一人、あとの39人が回ります。
黒いマント(墓石を表す)を脱ぐと白い上下にズボン、腰に赤いサッシュです。お墓から抜け出しひたすら回る事により天上に上れると言うそうです。 初めは3度導師の前で挨拶をし左回りを始めます。
右手を高く手のひらは上に向けて神の教えを受け、左手は手のひらを下に向け教えを他の人に伝えるのです。 両手は片の高さ以上に上げ右手が上の人が多いのですが、個性が有りそれぞれ味のあるスタイルでひたすら回ります。
10分程で少し休憩のようにアリーナの周りに3,4人ずつで両手を胸前で交差して肩にかけて頭を垂れます。 天井のライトが赤を効果的に出し、音楽と歌は続けて雰囲気は最高です。 2度目からは挨拶が1度になり又始まります。
5回、1時間半ほどの間続くのですからそのエネルギーと言うのは大した物です。 これはダンスでは有りません。 正に神へのささげ物とただ圧倒されるばかりでした。
カメラのビデオで少し録画が出来てその雰囲気が残せたのがうれしいことでした。 本当に思い出になる夜でした。
[第114回] 冬のトルコ メブラーナ旋舞と遺跡の旅 チョルムからコンヤ 1 [2014年04月15日]
小雪の舞い散る中を8時間の予定でコンヤ迄バスは走ります。 平地では余り雪が無いのですが山間になるとそれは美しい銀世界です。 お昼にはアンカラ郊外のオシャレなレストランでの美味しいシーフードでしたから元気が出ました。 平野が広がり高層ビルが見えてくるとコンヤです。
静かな宗教都市からアナトリアの経済の中心にとの、エルドアン首相の強い後押しで百万都市となり、イスタンブルに追いつく物流センターを目指しています。 25年前から3度目の訪問ですが、セルジュック朝の落着いた古都から超モダンな都市に変わっていくのが寂しいですね。
2泊のデデマンホテルも高層の豪華な内装で、12月のメブラーナ週間はネットで調べると普通の部屋でも8万円以上!でした。 6階からの町並みの眺めは良いのですが、初訪問の時の田舎町の良い雰囲気が懐かしい気もします。 ホテルはメブラーナに行く人たちでざわついていますが、私達は明晩ですからゆっくりとホテルを楽しんでいます。
翌朝青空の下に見渡す限りの銀世界の丘へ、8千年前からの最古の都市集落と言われるチャタルホユックの遺跡です。 南と西の二つの大きな白いドームが遺跡で、ここからあの
貴重なキベレ像が掘り出されたのです。
何層にもなる遺跡が真近で見られて面白いですね。
丘の上に積もった雪を踏みしめながら、目の前の平野を見渡しこの土地で人々は神を敬い仲良く生活していたのです。 お昼のレストランが古いキャラバンサライ(旅の商人の宿)を良い感じに保存して有り、13世紀の雰囲気を楽しみました。
メヴラーナ霊廟は撮影禁止となっていました。 この頃は禁止のところが増えました。 町中の公園でオスマン軍楽隊のメフテルのにぎやかな演奏中に出会い、これはうれしいですね。 メヴラーナ週間のサービスでしょう。 さあこれからが今回の目玉の始まりです。
[第113回] 冬のトルコ メブラーナ旋舞と遺跡の旅 チョルム [2014年03月15日]
さあ、私をトルコへの旅に駆り立てていたヒッタイトの都ハットウシャに出発です。 山間の畑の道は雪景色でそれは美しいのですが、高台の遺跡では何処も真白で、5月の緑の草原だった前回とは印象がまったく違い別世界です。 見渡す限りの広大な山の斜面一杯の大城塞が広がる様子には、エジプトとも対等に戦ったヒッタイトの国力を思わせます。
おとぼけ顔の有名なライオンの門ではゆったりした気分で記念写真に納まります。 今回は旅友のとしちゃんが一緒ですから安心出来ます。 スフインクス門、突撃トンネルと回っても雪景色の中はひっそりで、こんな季節はずれに来る物好きは私達位ねと大笑いです。 しかし静まり返った美しい雪景色の遺跡の素晴らしさは心に染みます。
屋根の無いギャラリーと言われる貴重な神々の壁像が並ぶヤズルカヤでは、特に静かな雰囲気が良い感じでうれしいですね。 少し離れていて以前行けなかったアラジャホユックの深い雪の中のスフインクス門の前では胸が一杯になりました。 とうとうここに来られたと降り始めた粉雪も気にならず、ただ眺める幸せな時間です。
私の旅の原点がこの地の歴史に興味を持ったことからでした。 ここもようやく世界遺産になりツアーで行けるようになったのです。
トルコは本当に遺跡の宝庫で、他の国ならとっくに為っているような貴重な遺跡が、まだ20数箇所も順番待ちの状態のようです。 特に東部にも素晴らしい遺跡が沢山在るので惜しいことです。 私達が来る直前に大雪が降った後ですので、これからの雪の降り方がひどくなり、交通に支障が出ないうちにと心残りですがこの地にお別れしました。
ホテルの近くの近代的な博物館では展示にもCGを多用して、日本のサンヨー製のハットウシャの復元モデルをとても面白く見せていました。
大切な思い出のページが又増えた一日でした。
[第112回] 冬のトルコ、メブラーナ旋舞と遺跡の旅 1 アンカラからチョルムへ [2014年02月15日]
2013年12月8日から20日までの13日間の、年末の忙しい時期に行って来ました。
寒がりの私が覚悟を決めて出かけたのは、12月17日が命日のメブラーナの追悼旋舞がこの時に1週間だけコンヤで大規模に行われるのを見るためです。 成田で前泊し、大雪の後の雪景色のアンカラへ夜にやっと到着です。
今回はホテルがどこもとても良かったのですが、さすがにシェラトンは格別でふかふかの絨毯の広い部屋で大満足です。 翌日は私がどうしてもと旅行社に頼んでいた、ユリアヌスの柱の見学からです。
ローマ皇帝で数奇な運命に翻弄されて31歳で亡くなった、キリスト教より古来の宗教を大切にした為、背教者と誹謗された私のお気に入りの人で、362年にユリアヌス帝の訪問を記念した、アンカラで唯一の完全な形で残るローマ遺跡です。
コウノトリの巣が頂上に有るのがおまけですが、3回目のアンカラでようやく見ることが出来て感激でした。 考古学博物館は半分が5年前から修復中で、楽しみにしていた大好きな7千年前のおデブのキベレ像が見られないのは残念でしたが、ヒッタイト時代の遺物では世界一の収集ですから、他がゆっくりと見られて良かったことにします。
真っ白の雪景色のアンカラ城の中や周辺の市場などをあちこちと歩きまわります。
お昼のオスマン朝時代のレトロな雰囲気のレストランの、なすと肉のグリルの食事がとても美味しいので幸先も良さそうです。
後はヒッタイトの都の遺跡めぐりへと向かう為、250キロの道を基点となる北部の町のホテルまでバスはひた走りです。 どこまでも続く雪景色は美しいのですが明日の観光にはどうかなと、自慢の晴れ女のパワーがこの頃自信の無くなった私は心配です。
[第111回] 古代ローマをナポリとローマで楽しみました ローマ 5 [2014年01月15日]
早起きをして徒歩10分ほどのポポロ広場の教会でカラバッジョの2枚を眺めます。
北方からのローマの入り口のここの背高のオベリスクが、やっとたどり着いた聖地巡礼の人々にどれほどありがたい道しるべになったかを歩いてみて実感します。
これも法王シクストゥ5世の整備事業の一つです。バスでテルミニ駅に、人に聞きながらトラムの駅を探し10分、ポルタマッジョーレです。古代から8本の水道がここで集まり市内に配られたのです。
古びたレンガの水道橋を見上げて感無量です。今回は市内の有名な噴水と水道橋が沢山見られました、うれしいですね。 バスでバチカンに着くと大雨が降りだしました。
半円の回廊で沢山の人と雨宿りをしていると、私もカトリック信者になった気分です。皆さん選挙の結果を知らせる2階からの煙を待っているのです。今日もまだ決まらないようです。
小止みになりましたがテレベ河に架かる3本の古代ローマの橋を歩くのは止める事にして歩いてホテルに。便利な所にあると楽ですね。
これから行くアラパチスは初代皇帝アウグストゥスが一族の彫像を平和の祭壇と名付けた大理石の神殿に刻んだ物で、今回の目的の一つでした。
破壊された小さな破片まで発掘し立派に再建したのは、独裁者ムッソリーニが自己顕示の為の記念碑の一つです。
しかしこれで私のお気に入りのアグリッパや歴史上有名な人達の姿が見られるのですからマア良いでしょう。 しかし皇帝に誠心誠意尽くして報われ無いまま、燃え尽きて逝ったアグリッパの生涯を思うと釈然としないのです。
私のローマ史でのお気に入りは他にスキピオ、カエサルですが、3人とも50代半ばまでに無念の死を遂げています。本当に残念ですね。
翌日にボルゲーセ博物館でベルニーニ作の絶品の彫刻[ダフネ]も見ましたからこれで今回の旅は大満足と言えるでしょう。
ローマ万歳!
[第110回] 古代ローマをナポリとローマで楽しみました ローマ 4 [2013年12月15日]
さあバチカンへとテレベ河を渡ったとたん、パラポナアンテナを高く付けた車が沢山駐車しています。 真近い法王選挙の取材のマスコミでこれは中々面白そうです。
大聖堂の前は勿論カメラの列で、取材中の人達もいてマダマダなのにと呆れます。 中に入っても式典の準備の為に椅子を沢山並べる人たちで忙しそうで、静かにミケランジェロのピエタや法王の豪華な椅子を見たりと言う雰囲気ではないですね。
美術館の方はシィステーナ礼拝堂が選挙会場なので閉じられていますが、他はゆっくりと素晴らしい物のオンパレードを見て回れました。 ラオコーン、アポロの彫刻の前では椅子に座り込んでしまいます。 ラファエロの間は矢張り人気で、アテネの学堂の前は人ごみで大変です。
私の目的はローマの文化の先生であったエトルリア室で、数え切れない壷や仮面、装飾品の数々に興奮です。 他では見られない貴重な物ばかりですから。
郵便局では法王不在中、今回は2週間だけ発行される超レア物の切手セットを買いました。 中学生の孫二人にお土産にして、選挙の記事で一杯の新聞と一緒に学校に持って行き社会課の先生に喜こばれたそうです。
ここでのお約束は大聖堂のクー ポラに上ること。 月曜日で他の観光用がお休みが多い為マアなんとエレベータ待ちの人の多い事。 やっと乗れても後330段の階段を自分の足で上ります。 急な階段の途中では、ばて気味の太っちょさんもいました。 大聖堂の内部も上から見られて中々良いですよ。
テラスは満員電車の込みようですが、何とか場所を見つけ赤い屋根の連なるローマの町とサンピエトロ広場の大俯瞰の眺めを満喫できました。 下りには大聖堂を飾る大きな聖人像を真近い所から見られるのでこのコースはお勧めです。
ジェラードをなめなめ歩いてホテルに帰る途中、ナボーナ広場の北側の教会に人が多いので覗いてみると、なんとカラバッジョの3枚の名画の飾ってある教会でした。 探しても見つからないのになんて運の良い私と、「聖マタイの招集」などをうっとりとながめます。 ローマでは楽しい事が向こうから来てくれます。
明日は完全フリーの日。がんばるぞー。
[第109回] 古代ローマをナポリとローマで楽しみました ローマ 3 [2013年11月15日]
鮮やかで目立つ緑色の二階建てのオープントップバスから眺めるアッピア街道は、ミモザの花の黄色が糸杉や、平たい形に良く手入れされた盆栽が大きくなったようなローマ松の森と、すりへった石畳の素朴さに似合っています。 しゃれた別荘やレストランも有り良い雰囲気です。
小さなバスに乗り換え、広い草原の向こうに見えるのはまあなんと、どこまでも続く立派な水道橋! 今回一番のサプライズです。 タクシーでも知らない人がいるらしいのですがここは本当に素敵です。
地元のピクニック場らしく青空の下、大きくてそれは堂々とした水道橋を眺めて楽しんでいます。 古代から中世にかけての3つの水道が合う場所です。 16世紀水不足で荒れ果てたローマの町を再生させた法王シクスゥト5世の、コンクリート製の素末な水道管には、短い法王在任中にぜひとも水道で町を潤そうとの執念を思ってなぜてしまいます。
ライバルの前法王による不遇の15年間に計画を立て、わずか5年余りの在位の中で強い意志と行動力でローマを見事蘇らせた人でした。
ランチはアウグストゥスのフォロの前で美味しいピッツアと生ハムに舌ずつみの後はコロッセオです。 猛獣との戦い、水を一杯入れて海戦もしたという広―い競技場も、じっくりと時間を掛けて見て回ると以前と違い良さが分かります。
小雨の中で見て回る素晴らしい歴史遺産の数々の、今は崩れた建物が広がるフォロロマーノには少し心残りでした。絶対お天気に又来るぞ!しかし昨日も来た事だしね。カピトリーニの丘は本当に古代ローマを感じさせてくれます。
夜には嵐となり大雨の中を歩いて行ったのは小さな劇場でのオペラのアリアのショーでした。 歌声はマアマアですが衣装の貧弱さにがっかり、観客が少ないのも納得でした。
明日はようやくバチカンへ、楽しみです。
[第108回] 古代ローマをナポリとローマで楽しみました ローマ 2 [2013年10月15日]
早朝のトレビの泉の前には一台のパトカーと暇そうな警官が二人、そして大喜びでカメラ片手に走り回る私だけです。 何時もの大混雑しか知らないのでうれしいですね。 パンテオンも直ぐ近くですから朝食前の散歩のコースになりました。
青空がパンテオンの開いたドームの天井から見えた時はすっかり二千年前にタイムスリップします。 完全な形で残る最古のローマ建築です。 マルスの野原と呼ばれたこの辺りはカエサルが暗殺された劇場、そして彼を火葬にした広場に建つ神殿と、それは素晴しい遺跡の宝庫でいくら見ても回りきれません。
にぎやかな朝市が広場一杯に果物やチーズ、お土産を美味しそうに広げているので選ぶのも大変です。
巨大なベルニーニの彫刻と噴水で飾られた競馬競技場跡のナボォーナ広場も楽しさに溢れています。 彫刻の博物館アルテンプス宮の、至宝と言われるルドヴィシの玉座なども良いですね。
心配した通り、バチカンのシスティーナ礼拝堂は法王選挙の会場になり早くも閉鎖となったので、土曜日の午前中だけ開いている、映画「ローマの休日」の心に残るラストシーンのコロンナ宮殿に行きました。 厳しい入場制限の為、この豪華絢爛としか言え
ない美しい大広間で、オードリーの王女様と同じポーズを撮れた方は少ないでしょうとちょっと自慢です。
7ユーロを払いエレベーターで白い大理石のヴィットリオ記念堂の屋上に昇ると、ローマの町が360度で眺められバチカンの大聖堂も近くです。 すぐ裏がカピトリーノ広場で、設計したミケランジェロの美意識と実用性の素晴らしさに感動します。 古代にタイムスリップする遺跡の宝庫の、フォロロマーノを眼下に眺める贅沢な時間です。
お楽しみは続いてディナーがまたすごいんです。 一族22人で経営すると言うとても陽気で素敵なレストランで、大きなカレイのオーブン焼きの美味しい事! 冷えたワインとも良く合って最高の夜でした。
[第107回] 古代ローマをナポリとローマで楽しみました ローマ 1 [2013年09月15日]
名残惜しいヴェスビオ山にお別れして、菜の花が彩る道を2時間余りでティボリのハドリアヌス帝の別荘に着きました。
マアその広いこと、次々と見て回る大きくてさぞ立派だっただろう建物跡に残る、素晴らしいモザイクの床のデザインも、沢山見すぎてしまうと、モーいいでしょと言いたくなります。 皇帝自らが広い帝国を旅して各地の様子を再現したのですが、わずかの期間しか使われなかった夢の跡です。 賢帝といわれたほどの人物には似あってないですね。 すっかり崩れたレンガの大きな壁が歳月を語ってくれます。
ランチ時、川沿いの緑に包まれたレストランの階段を下ると、なんと紀元前に建てられた有名な美しいヴェスタの神殿とシビラの神殿が目の前にありました。 この静かな隠れ家的なレストランは何て美味しいパスタにお肉なんでしょう! 眺めも味も最高でここが今回のベストでした。
ようやくローマ市内に入りカラカラ帝の浴場です。 先ほどのハドリアヌスの別荘で浴場だけでも3箇所も見た後なので折角の素敵な遺跡もさっさと見て回るだけです。 ここだけなら感激物なんでしょうね。 国立美術館のマッシモ宮は「ポンペイの赤」を使った建物が美しく保存されていたり、初代皇帝の妻リビアの家を飾っていた、それは見事に残っている趣味の良い草花の壁一面のフレスコ画。 さすがに良いものが沢山で満足です。
久しぶりのローマの町並みは綺麗になっていました。 心配していた渋滞も車の流れはそれほど悪くありません。 以前のシチリアのパレルモ市内の渋滞とは大分良いようです。
ホテルがトレビの泉の直ぐ近くで、どこに行くにも前を通っていく事になるのでこれは楽しいですね。 スーパーが道の向こうに見えるのでお土産に苦労しなくて助かります。 心配していた法王選挙で矢張りシステーナ礼拝堂は閉鎖になりました。 それならこんな機会はもうないでしょうから選挙に沸いているこの雰囲気を楽しみましょう。
[第106回] 古代ローマをナポリとローマで楽しみました ナポリ 2 [2013年08月15日]
ナポリ考古学博物館は正に宝の山です。 ファルネーゼ家のカラカラ浴場から発掘の見事な彫刻や[ポンペイの赤]と称されるフレスコ画の素晴らしい数々は言うまでもなく、至宝はやはりアレキサンダー大王のペルシャ戦争のモザイク画です。
教科書などでもお馴染みですが、間近で見ると剥がれて失われた部分を含めて、何て良いんだろうと何時までも見ていたくなります。 若々しい横顔の美しさに魅入られてしまいました。
下町めぐりも重要です。 治安が悪いと覚悟して用心しながら歩いていると、思っていたのと違い雰囲気が良いのが分かってきます。
教会への道を親子連れに聞くととても親切に教えてくれたり、店先のおじさんも気さくです。 細い路地をバイクがスピードを上げて、すれすれの所を通っても何てことも無しです。
小雨の中を歩き回わり、お天気ならナポリ名物の沢山の洗濯物が頭上にひらひらが見られたのにと、ちょっと悔しい気持ちでした。
歴史の有る大聖堂の厳かな空間も良かったのですが、鮮やかな黄色が主体のマジョルカ焼きの柱が引き立つサンタキアーラ修道院の中庭は、沢山の実を付けたオレンジの木が彩りを添えていて、静かな中に華やかさを出しています。
王宮や広場では学生のグループがワイワイと写真を撮っているのに仲間に入れてもらい、盛り上がって楽しい時間が持てました。 皆とても陽気で親切なんですよ。
ディナーはカンツォーネを聴きながらのシーフード料理です。 小さな店ですが女性歌手は歌も上手で、オオソレミオとかサンタルチアなどお馴染みの曲を次々と歌ってくれて皆さんも乗りのりです。
リクエストでタランテラを掛けて貰い、私が大いに踊ったのは言うまでもないでしょう。 小魚やエビのフリッターにワインが良く合って気分は最高でした。
明日からはローマへの道です。
[第105回] 古代ローマをナポリとローマで楽しみました ナポリ 1 [2013年07月15日]
'13年3月5日、なんと16年ぶりに3回目の訪問です。 以前に集団スリに地下鉄で囲まれたり、ガイドが横柄だったりで、歴史は大好きなのに無視していたのが、ナポリ3泊、ローマ5泊でフリーが多いので決めました。 しかし直前に突然の法王選挙でバチカンがどうなるか心配です。
3月は大荒れの予報どおりで風雨とお天気が交互に来て、私の晴れ女の看板は残念ですが下ろします。 ナポリではごみの山とバイクのひったくりが名物との噂にびくびくして来たのに、下町の細い道をあちこちと尋ねながらうろつく私に、それは親切に教えてくれて、すっかりナポリが好きになりました。
古くから様々な支配者にうまく合わせて暮らしてきた長い歴史の中に住んできた人々の、何がなんでも生きてゆく心意気が、陽気で抜け目の無いナポリっ子を作ったようです。 ポンペイの遺跡をこれでもかと言う位に丁寧にガイドされると、以前と違いすっかりタイムスリップしてしまいます。
憧れの秘儀荘の赤のフレスコ画が、豪雨での被害からかろうじて復旧しているのは遺跡の保護の困難さを思わせてくれます。 お昼のしゃれたレストランでの目にも舌にもとびきりのお料
理と、キリストの涙と言う赤ワインにはさすがとうれしいですね。
圧巻はエルコラーナです。 20メートルもの溶岩に埋もれていたのがまだ一部しか発掘されていないのに、ポンペイが商業の町に対して、金持ちの別荘地だったことから作りなどが豪華な感じで残っています。 深い谷間にあるような遺跡を見下ろすと、雪を頂いて悠然とたたずむヴェスビオ山はこの地に、肥沃な土壌と恐ろしい災害をもたらす神の山だと実感します。
名産の美味しいワインも噴火物のお蔭なのですから。 ホテルのテラスからナポリの港に古い王宮、赤い瓦の歴史の町が一望されます。 そしてなんと言ってもヴェスビオ山が見守るようにそびえているのが、ナポリ湾の絶景なのです。 [ナポリを見て死ね!]は有名ですね。
明日は今日見てきたポンペイ発掘の、アレキサンダー大王の唯一とも言うモザイク画が待っています。
[第104回] 満月の大聖堂に流れる曲は! サンチャゴ デ コンポステラ 2 [2013年06月15日]
大聖堂での皆のお待ちかねはミサの最後に時々行われるボタフメイロと呼ばれる大きな香炉を高く揺らし、聖堂の中に香料を撒く行事です。
今日は大切な日曜のお昼のミサですから始まりました。 綱を引き高く大きく揺らすのですが、力強く揺らす6人の若い大男に、小男の年配の2人がリーダーでコントロールしています。
私は偶然前のとても良い席でバッチリと見られて幸運でした。 内部にある評判の博物館ではまずは三階のテラスから町の様子を楽しみ,2階の回廊から堂々たる大聖堂の塔を真近に見るという、願っても無い時間が持てました。
石造りの廊下の下がお墓になっていて、昨年の物が300年前のと隣り合うようなのには驚きました。歴史ある収蔵品の素晴らしさには時間も忘れます。
ぶらぶらと歩くと広場の片隅では路上ライブでガイダ(バグパイプ)の二人が演奏しています。 可愛い踊り子もいて簡単な踊りを踊っているので一緒に少し踊るととても喜んでくれました。 ここはケルト文化の地なのでガイダは珍しいものでもないようです。 巡礼さんが絶え間なく到着しては抱き合って、喜びを爆発させているのを見るのはこちらまでうれしくなります。 自転車での若者グループも目につきますね。
旅の最後のディナーはパラドールの風格あるメインダイニングで、さすがと思わせる見栄えも味も美味しい料理に、やはり贅沢は素敵だと実感します。
11時からの大聖堂のライトアップ見学にホテルの直ぐ前の広場に出ると、満月が高い塔の真上でこうこうと輝いている空には、大きな白いかもめが何十羽と飛び交っていて、まるで夢の中にいる気分です。
明日も早いし、もう遅いから帰りかけると、広場の奥の路上バンドの奏でる音楽が聞こえて来ました。 聴き間違いかと思うくらいに驚いたのはそれが(マケドンスコ・デボイチェ) フォークダンサーなら誰でも知っている名曲です。 今、ここでこの曲がと思うと涙が出そうに感激しました。 歌いながら部屋に帰る私は本当に幸せ者でした。 これ以上無い素晴らしい旅の終わりです。
[第103回] サンチャゴへ着きました! サンチャゴ デ コンポステラ 1 [2013年05月15日]
古代ローマの技術力を現す隙間の無い石組みの、がっしりとした城壁の上の道は、今は市民の格好のジョギングコースで、辺りの旧市街の歴史を感じさせる建物と共にルーゴの観光資源になっています。 メリデからいよいよハイライトの巡礼道を歩きます。
巡礼の為の黄色の矢印が目立つここまで来ると、沢山の巡礼さんが一緒に歩かれるので、うれしくてつい足早な方たちを追いかけるように急いでしまいます。 笑顔で話しかけるとそれは良い笑顔のお返しで、ドイツ、ポーランドと遠方からの長旅を苦にしていない楽しそうな様子に改めて敬意を感じます。
道端で休憩しているとさりげなく{OK?}と尋ねてくれる人もいてうれしいですね。 これが巡礼の一体感の良いところなんでしょう。 途中で拾った木を杖にして気分は遠路はるばるの巡礼さんです。 深い緑の森もあれば、野花の咲き乱れている小さな農家の畑ありで、観光にも良い道だけの6キロですが、こんなに楽しく歩いたのはサンテャゴへの皆さんの熱意を頂いたからでしょう。 小さなロマネスク教会で巡礼スタンプを押してもらいプチ巡礼が終わりました。
バスで向かったのがコゾの丘で、ここまで苦難の旅の巡礼たちが大聖堂を遠くに見て感激した歓喜の丘です。 お約束のバンザイポーズで締めました。 このまま歩いて大聖堂に向かうツアーの大半の皆さんを見送り、バスで直ぐのパラドールに着きました。
大聖堂の直ぐ横にあり、博物館としか見えないこの建物を早く自分の目で確かめたかったからです。 フリーになり、仲良しと二人で早速大聖堂の栄光の門をくぐろうと思ったら工事中で少し残念です。 それでも念願の聖ヤコブ像の後ろから抱き付いて、しっかり家族の幸せをお願いしました。 彫刻や装飾に感嘆の教会を堪能したら、石畳の町をぶらぶらしてバァールで美味しいカプチーノでの一休み。
あこがれのこの町を精一杯楽しみました。
明日は素晴らしいと評判の大聖堂の博物館が待っています。
[第102回] 花盛りの巡礼道を歩きます ルーゴ [2013年04月15日]
今日から始まります。 巡礼の目印のホタテ貝を胸に下げました。
青空がまぶしい砂利道の巡礼道を元気良く歩き出します。 エニシダの黄金色が主役で白や赤の野花、ヒースの紫の群生での大合唱で、私達を応援するように咲き乱れていてまるでお花畑を歩いているようです。 少し残念なのは途中のいかにも古そうな巡礼宿で結構見かけた、休憩中の巡礼さん達が歩いていません。
この道は観光には良いが遠周りの道なんでしょうか。5キロを楽しくおしゃべりしながらフォンセバトンの鉄の十字架に到着です。
お願い事を書いた石や身の回りの布などを、巡礼を見守ってきた大きな十字架の下に置くのがお約束で、加古川の川べりで厳選した2個の石に、健康とこれからの平安を願い家族全員(15名!)の名前を書き持ってきました。
体調もあまり良くなく、直前に軽い交通事故に会い、夜も眠れないので疲ていますが、この旅の目的を果たし身も心も軽くなり、これまで私を支えてくれた家族にただ感謝です。
いかにもひなびた巡礼宿が狭い道にひさし一杯に張り出した道をここしか道が無いとは言え、そろそろと大型バスで通る時は恥ずかしい気持ちでした。 こんな道こそ皆さんと歩
きたかったですね。
山道を進んで緑の深いガリシア地方に入りました。 大きな山並みに広がる残雪の白さで標高が分かり、深い谷間の続く絶景に感嘆し目を見張らせられます。 平野の町に出てきて昼食のレストランへの道がデモ隊にふさがれて通れないとかの話で、矢張り経済政策への抗議があるのだと知りました。 穏やかな田舎道に緑の畑、綺麗な赤い屋根の賑やか町並みもユーロ安に揺れているようです。
バス道の近くに若い木が植えられた並木道の巡礼道がよく目に付きます。 近年再び見直され巡礼者が増加し、(日本人もです)道路や巡礼宿の設備なども整備されてきたようです。
今日の宿は世界遺産のローマ時代の城壁にぐるりと取り囲まれた、ルーゴのおしゃれなホテルです。 城壁めぐりも楽しそうです。
[第101回] ゴシック教会は花のステンドグラスで華麗です レオン [2013年03月15日]
野花が可愛く咲き乱れる丘の上に有名な古代壁画のアルタミラの洞窟がありますが、良く復元された博物館での見学だけになっています。 巡礼道の中でも特に人気の町がブルゴスです。
なんと言ってもスペイン一華麗と言われる世界遺産のゴシック教会が有り、その規模とステンドグラスなどの豪華さは、そこまでしなくてもと辟易するほどです。
巨大な彫刻や絵画と黄金で飾られた祭壇が何十と有るのですから、見て回ってもあきれるだけです。 これだけの物を集める宗教心に疑問を感じ、権力の誇示だけの場所です。
さあ長年の憧れの地レオンへ。 バスは事故渋滞で長い旅となりましたが、やっと着いたパラドールのその外観の壮大さに疲れも飛びました。 これは正に博物館です!内部は15世紀の修道院のロマネスク彫刻の美しい緑に包まれた回廊を、小鳥のさえずりを聞きながら散歩できます。 連泊ですから建物の中の装飾や絵画などもゆっくりと味わえます。
この国の発展に大な働きをしスペインを一流国にのし上げた、私の好きなイサベル女王の大きな肖像画が飾られています。 お目当ての大聖堂のステンドグラスは宗教画が主の他の教会と違い、色々の花をテーマにしているのが特徴で、華麗、かつ荘厳ですが黄色が強調され明るくさわやかで見飽きません。
保存の良いフレスコ画で有名な、スペインのシスチーナ礼拝堂とも言われるイシドロス修道院の、天地創造などのフレスコ画は800年の歳月を感じさせ無い美しさです。 12ヶ月の歳時記の絵がツアーの皆さんのお気に入りのようでした。
パラドールの横にある橋が巡礼道になっているので、朝早くから色んな巡礼さんが大きなリックを背負い杖を手に、足早に渡って行かれるのをうらやましく見ています。 黄色の矢印や帆立貝が巡礼の目印なのですが、ここまで来るとあちこちで見かけます。
サンチャゴまでは後300キロ程、いよいよ待望の巡礼路を歩きます。
[第100回] 巡礼の始まりです サンテジャーナ デル マール [2013年02月15日]
☆ 2005年4月よりスタートして8年、今月は100回記念です ☆
バスクの町々を通り過ぎながら生活の豊かさが分かる落着いた雰囲気と、発展する先進的な建物がうまく溶け合っているのに驚くほどです。
活気ある州都のビルバオのグッケンハイム近代美術館の目を見張る斬新な建物と向かい合う、全身を花で飾られた素晴らしく大きな犬の像、パピー(子犬)には笑わせられました。
スペインで活躍中の建築家磯崎新氏設計の、ブルーの外壁で巨大なツインタワーの磯崎ゲートを見てうれしかったですね。 ここにこんな日本人の仕事が有って、その事からも日本が評価されているのですから。
バスクの自由な自治の象徴のゲルニカの町で、シンボルである樫の木が誇らしげに大切に残されています。 この樫の木の下でバスクの自治権は歴代の国王から許されていました。 先の大戦の時ドイツ空軍の爆撃が狙ったのはバスク人の団結心でした。 あのピカソが怒りを込めて描いた大作の{ゲルニカ}は暴力で自由を奪う事への抗議です。
のどかな青空の下に続く小麦畑やオリーグ園、野花の咲く丘を越えて古風で小さな町に来ました。 スペインで最も美しい町とも言われる世界遺産の、石畳がいかにも巡礼さんが似合いそうな風情溢れる心安らぐ町です。
今夜のパラドールは貴族の邸宅で、部屋の細やかな装飾や古びた木の床から中世の世界に迷い込んだ気分です。 ぶらぶらと歩いた町外れにあるロマネスク教会が静かな空気の中に、優しいマリア様の姿を浮かび揚げています。
ここで初めて巡礼スタンプをいただきました。 800キロ以上を歩く方には申し訳ないのですが、これから少しだけ巡礼の気分が味わえるかなとワクワクです。迷路のような細い道の両側の、木造の手の込んだ彫刻に飾られた民家を眺めながら歩くと、本物の巡礼になった気がしてきました。 さあ明日からが楽しみです。
[第99回] 絶景の海岸と美食の町 サンセバスチャン [2013年01月15日]
町を形作っているのは二つの岬の丘に囲まれた美しい海岸で、その形からコンチャ(貝殻)と呼ばれています。
20世紀になって高級リゾート地として知られていますが、長い歴史も秘めた可愛い町です。
丘の上のパノラマのような眺めの豪華ホテルで連泊して、世界中のグルメ達のあこがれの美食を味わいます。
空と海とぽっかり浮かんだ小島の木々が青と緑の美しさを競っている様な海岸を見下ろしていると、贅沢と言うのはこんな時間だと思えます。
シーフードを中心とした、小さくて彩りも良い目にも美しい、余り食欲の無い私でも美味しいとぺろりと食べる料理の数々に笑顔です。 待望のフリータイムには海岸をはだしで歩いて楽しみます。
暑いので沢山の人たちがくつろいでいました。 泳ぐより水辺を散歩するのがこの辺りの楽しみ方のようで、砂の感触が心までゆったりさせてくれます。
素晴らしい水着美人たちと記念写真なんか撮ってもらいました。皆さん本当にフレンドリーで優しくて気持ちよく挨拶を交わします。 記念にと赤、白、緑の小石を拾いました。
ここバスク地方の旗の色なんです。 同じスペインでも南部と違い治安に何にも心配がいらないのがこの地方の豊かさの表れでもあるようです。 経済危機など何処の話と言うような穏やか日々です。
丘の上のホテルには古いがたごとと大きな音を立てるフニクラ(ケーブルカー)で景色を楽しみながら帰ります。
こんな一人のぶらぶら歩きが出来るのも、治安が良いお陰ですね。 夕日に染まるケルト人の海を眺めながらこの地の歴史に思いをはせるのも旅ならではのお楽しみです。
[第98回] ロマネスクは素朴な楽しさ ボイ谷からケルト人の海へ [2012年12月15日]
森の奥深く、長いトンネルをぬけると世界遺産の11世紀からつましく残る小さなロマネスク教会群が見えてきます。 スペイン全土を占領しようとした対イスラムの戦いの心の拠り所になった貴重な歴史の証人です。
ニューヨークのはずれに有るメトロポリタン美術館の別館は石油王ロックフェラーの個人礼拝堂でした。 どんな贅沢でも出来た大富豪が心安らぐ所として、はるばるスペインから移築させ秘蔵していた、古めかしく飾り気の無い小さな宝物のような空間の優しさに、これは是非現地に有る教会も見たいと考えていました。
この何百年は次第に放置され荒れるに任された所も多く、20世紀になって見直され保護が始まりました。 山間の深い谷に隠れるような村々の中心に、小さな石造りの教会と背高が少し恥ずかしげな鐘塔が、見事に風景に溶け込んでいて、見ていると自然に微笑んでしまいます。 素朴だが力強いキリスト像などのフレスコ画はバルセロナの美術館に保護のため収められ、いかにも新しい背景画に寂しい感じもします。 鐘楼に登り見わたす風景はリゾートホテルも目立ちますが、昔ながらの暮らしをささえた雄大な山並みが見事です。
再びピレネーの緑の山々を越えてフランス領のバスクに入りました。豊かな海の幸と森林資源、そして何より勇気と努力を惜しまない人々のバスク魂が、今はフランス、スペインに分断されながらも両国で、経済上も豊かさでは有数の地域にしています。
前に広がる海はヨーロッパに広く分布していたケルト人が最後まで住み着いていた地方、(フランスのブルターニュ、これから行くスペインのガリシア地方)に囲まれているのでケルト人の海とも呼ばれています。
さあこれから世界中のグルメの憧れの美食の街サンセバスチャンが待っています。
[第97回] サンチャゴへの道 1 トゥールーズからスペインへ [2012年11月15日]
念願のピレネー山脈を越えてボイ谷のロマネスク教会をめぐり、遥かサンチャゴの巡礼道を歩きました。
成田から朝早く飛び立ち、フランクフルトで乗り換え、乗って来た最新鋭エアバス製航空機の生産地トゥールーズに着きました。 街の中心を流れる運河を彩る大きな街路樹が目立つ、南部フランスの古くからの文化と経済の中心地は想像以上の素敵な町でした。
綺麗に整備されたしゃれた町並みは古代ローマからの歴史も大切にされ、奥深い文化を感じさせます。 中世から巡礼地としてここも人々を保護してきた大切な所です。
フランスで一番大きな素朴ですが威厳の有るロマネスク教会が、辺りを見下ろしています。 もっと見てみたいと心残りですがピレネ−超えも魅力です。 バスは深い森や険しい岩山の中をうねるよう進んでいきます。 緑に包まれた川べりにゴシック調のグレイの可愛い民家が見えるともう心は浮き立ちます。 どこまでも続く新緑の山並みの奥にスキーリゾートのロマンチックなパラドール(国営ホテル)が隠れていました。
聳え立つ雪山が景観を引き立てて、夕暮れまで見続けていても感嘆するばかりの美しさです。 夕焼けの素晴らしいのは当たり前ですが、そ
の後のほの暗さの中に浮かんで見える麓の村の、とんがり屋根のグレイの建物に点る明かりがおとぎの国のようです。
ここはカタルーニアの最北部ですから、私としてのお約束の、{サルダーナ}の踊りを白や黄色の小花が咲き乱れる広いお庭で、朝もやに包まれながら、楽しく踊ったのは言うまでも無いでしょう。
お待ちかねの世界遺産のロマネスク教会の鐘楼が楽しみです。
[第96回] イラン北西部遺跡の旅 6 アンザリ [2012年10月15日]
旅の最終はひたすらカスピ海を目指します。 国教のシーア派の開祖のお墓がまず目的地です。
バスはゆっくり山を登っていくと霧が立ち込めてきます。 湿度が高くなったようで、今まで無かった水田なども目に付くようになりました。 イスマーイル廟は金曜日で休日という事で、人々が大好きなピクニックに行っているようで余りお参りの人がいません。 そう広くは無いのですが、手入れのされた庭にはアーモンドやリンゴの花盛りで、国花であるバラももう直ぐ花盛りになるようです。 色々の青いタイルに飾られた、静かでいかにも聖地の雰囲気が漂っています。
バスは走ります。 ピクニックの人で一杯の、峠にある公園を抜けてアゼルバイジャンとの国境の町アスタラで一泊。 国境の町らしくドルが使えるので買い物が出来ました。 花で飾られた素敵な庭のあるホテルはリゾートの装いで今までと違います。 イランでは珍しい山の中の階段状の家並みが続くマースレー村で念願のペルシャ風のスカートとお人形が買えてうれしかったですね。 ここだけで売っていました。
長い長いバスの旅も最後になりカスピ海が部屋から眺められるアンザリのホテルです。 砂浜に穏やかな波が静かに打ち寄せています。 とうとうこんな所まで来てしまったと、何千年のこの地の歴史を考えてしまいます。 どれだけの民族がこの地を通りすぎたのだろうと本当に面白くて、いくらお勉強しても追いつかない歴史の奥深さがわくわくさせてくれます。
白く広い砂浜に散らばっている薄いピンクの貝を拾いながら遥か昔の人たちの来し方を考える幸せな時間でした。
さあ明日は帰国です。
[第95回] イラン北西部遺跡の旅 5 タブリ−ス [2012年09月15日]
私の長年の憧れの町に来ました。 3千年以上も前からのシルクロードの要衝の地で、現在まで繁栄している数少ない町なのです。 お目当ての世界遺産のバザール(市場)はツアーの行程に入っていないのを旅行社に何度も頼んで少しだけ見に行けました。 重要な絨毯の販売部門ではなかったのですが、この町の繁栄の源になった所ですので、どうしても外せないのです。
古代よりこの地も争奪戦に何時もさらされました。 トルコ、ロシアとは100年ほど前まではいつも臨戦態勢だったのです。 長い歴史を感じさせるアゼルバイジャン博物館の収蔵品には心を奪われました。 古代からの見事な品々が長い旅を続けた私に何よりのご褒美に思えました。
さあ今回最大の目的地アララット山を見に行きます。 お天気は曇っていて今一つですが長い長いバスの旅も苦になりません。 待ち遠をしい4時間後、もう直ぐトルコ国境と言う所に突然、はっきりと大アララットと小アララットが並んで真っ白な姿を見せてくれたのです。 この時の為の3人の旅だったのですから感激です。 トルコで見るより少し遠いのと、角度が違う為、実際より二つの山が引っ付いて見えるのも面白いですね。 雲も少なく、青空にドウだと言うようにそびえています。
広―い草原には白いアーモンドの花の林があります。 羊達も群れていて優しい彩を添えてくれます。 夢を見てるような、何時までも見ていたい時間でした。
ノアの箱舟ツアー(私達3人のことです)の大成功です。
[第94回] イラン北西部遺跡の旅 4 タカブー [2012年08月15日]
青空の下バスは快調にと言いたいのですが、ヘヤピンカーブをあえぎながら進みます。 標高もかなり上がって来たようです。 雪山が増えてきて、道にまで残雪が見られるようになって来ました。 さあ大変お天気が急変して雨になってきました。
2000年前のササン朝からの聖地のタフトスレイマンに着いたらなんと吹雪です! 聖なる池からは湯気が立ち上っています。 水温より気温が低いからで、それはなんとも言えないほど幻想的で綺麗ですが寒いですね。 下手なガイドの説明もマア聴かないよりはましとも思うのですが、ずんずん行ってしまうので見て回るのも足場は悪くすべるのでそれは大変です。 少し明るくなると景色の良さに驚かされます。 保養地としても使われていたというのは、良いお天気で暖か頃なら良い所だと思えるでしょう。
博物館に入る頃には雪は止んでいました。 行程が反対ならもう少し楽だったのにと、何時も段取りの悪い添乗員とガイドが嫌になります。 近くのゼンダーネスレイマンは火山の噴火口が珍しい成り立ちだそうですが、かなり急な道を登っていくと足元が粘土のようでどろどろで足を取られます。 これは危ないと私は登山をパスしました。 歴史に余り関係ないものには執着しない事にしています。
あたりは先ほどの吹雪がうそのような穏やかさで気持ちが良いです。 石好きの友達は興奮して帰って来ました。 かなり変わった石が沢山有ったようです。
町に帰り市場の見学をと出かけますが冷たい雨が降り町はわびしい感じです。 この町で一番のホテルのはずなんですが、設備のおんぼろさは今回のナンバー1でした。
世界遺産で潤ってもう少しがんばってもらいたいと友達と愚痴を言っていました。
[第93回] イラン北西部遺跡の旅 3 サナンダージュ [2012年07月15日]
今回のツアーの多くの方がハイライトのビストゥーンに出かけます。 長いバスの旅も今日のような気持ちの良い春風が、ポプラの新芽を超えてアーモンドの花の香りを運んでくるような中を行くのは楽しいですね。
昨夜の雨でしっとりした草原では羊の群れと出会うのにも慣れてきました。
2千5百年前、アケメネス王朝を奪ったダレイオス王は自分の正統を誇示するために、各地に宣伝用にと目立つ所に文字や浮き彫りを残しました。 大きな岩山の下に古代の3種類の文字とレリーフで、神から王権を授けられた偉大な王の姿を残したのです。 ここは有名な見所なのですが修復中で足場に隠れて肝心な所が見えません。 残念ですが売っているポスターでこんなに立派なんだと納得です。 岩山の遺跡には川のせせらぎが感じよく整備された公園もあり、女学生や子供達も沢山遠足に来ていて、私達を目ざとく見つけ写真を撮ってと追いかけられます。
王の偉大さを誇る同じ目的で造られたターゲブスターンは広大な庭と池(パラダイスー楽園)を飾るような、岩山を掘って造られた大小のアーチ状の内部に、浮き彫りがかなり綺麗に残っています。 イランの庭の美しさは有名ですが古代から
続いた権力の象徴でもあったのです。 乾いた地ですから豊かな水の溢れる池こそが楽園のシンボルでもあったのです。
変わりやすい天気は激しく雨を降らしています。 明日はどうかな?
[第92回] イラン北西部遺跡の旅 2 ホラマバード [2012年06月15日]
今日は移動日、お天気が気になります。 6時間のバス旅が、ひたすらザクロス山脈の中なのです。
前回東部側から見て感嘆した雪に覆われた山々の、あの素晴らしい景色を楽しみにしていました。 無常の小雨の中では見え隠れする荒れた岩山と雪山の美しさも、多数のトンネルと霧が隠して行きます。 芽吹いたばかりの新緑がわずかの彩りとなっています。
やっと町に着いての遅い昼食が、評判だと言うケバブ(羊のミンチの串焼き)でさすがに美味しい。 これなら食事も楽しみです。 何しろご飯―それも美味しいのが着いてくるんですからね。
古くからの交通の要衝だったこの地に堅固な砦があり、今は立派な博物館となっています。 この地の古来からの民族、クルド人の文化が映像や展示物も豊富にあります。 厳しい宗教の下で隠されたイランの音楽、ダンス、美しい衣装などが見られてすっかり興奮しました。
地方の小さな町というので許されているのでしょうか、他ではまず無いですからね。 厳しすぎる宗教の締め付けにうんざりしているのも目にします。
フリーで出かけた市場で地元の人の被る黒いベールを買うのに、それは目のさめるような美少女が手助けしてくれました。 イランの女性は大きな瞳が本当に魅力的です。 美しいものは夫以外には見せないとの定めで、観光客の私達までスカーフとコートの類で体の線を隠すのです。 それでも皆さん,特に若い人は上手にスカーフをずらして被り、スパッツ状の細いGパンが流行のようです。 黒い服で押し込めてもおしゃれ心は健在です。がんばれ!と声を掛けてしまいそうです。
雨が激しくなり晴れ女を自慢していた私は少し自信喪失です。
[第91回] イラン北西部遺跡の旅 1 アフワーズ [2012年05月15日]
仲良し旅友3人で今年はイラン側からアララット山を見ようと決めたのに、イスラエルのミサイル攻撃の話しには心配しました。
なんとかテヘランから一っ飛びで南部に着きましたが、待っていたのが怪しげな日本語のイラン人ガイド! 前回の上手な日本語のハンサムで博識の素敵なガイド(勿論イラン人)と月とすっぽん、これからが案じられます。 暑さを覚悟していたのが拍子抜けの良い気温でうれしいですね。
新しい世界遺産が、川に激しい水音を上げる複雑なダムのシューシュタルの水利施設です。 景色も良く規模も大きくてその素晴らしさに目を見張ります。 何しろ2千年前からなんですからね。 ここで早速現地の若者達から一緒に写真をと大騒ぎを受けました。 私のお目当ての首都だったスースの遺跡は破壊の酷さに世界遺産にもされていない位ですが、ここに立てただけで満足でしたがガイドの解説のお粗末さ!
皆のお待ちかねチョガーザンビルの堂々とした、レンガ造りながらの立派な階段ピラミットには感嘆するだけです。 機械も無い時代のその仕事の見事さ! 今では砂漠となった見渡す限りの不毛の地がかっては素晴らしい広大な聖域だったとは想像が難しいですね。 ザクロス山脈から流れるイラン一の大河がこの地を豊かな農地にしてくれていたのです。
イラク国境に接し砂嵐が吹き付けるこの地は10年にも及ぶ、イラクとの戦争の主戦場で大きな被害を受けたのです。 街中に勇敢に戦い、死んでいった若者の写真があちこちに掲げて有ります。 今も世界と争うこの国の悲しさに胸が痛みます。 穏やかな人たちが宗教の影で歪んで見られているのが残念です。
明日からはザクロス山脈に沿って北上して、余り知られていないこの国の宝を見に行きます。
[第90回] さよなら ルーマニア ブカレスト [2012年04月15日]
日差しを一杯に浴びて、見渡す限りの黄金色のひまわり畑の中をバスは快調に走ります。 私が10年前思い描いていた夢のような景色です。ドボロジャから首都のブカレストまでの広い畑が続くワラキア平野のこの美しい旅は最高です。初日とまた同じホテルに3泊で毎日が色々のプランで忙しくて楽しいこと続きです。
各地の古い珍しい民家を移築した広い敷地の農村博物館は、モルドバ地区をテオドールさんの丁寧なガイド付きで、暑い日なのでゆったりとした深い木陰を楽しみながらの贅沢な時間です。 観光客でごった返している、大理石がまぶしいほどの「国民の館」は味気ないのですが、隣設の民族衣装博物館には素晴らしいモルドバの色鮮やかなコスチュ−ムが溢れていて、どれも本当に欲しい物だらけで目が離せません。
お待ちかねのディナーでは、大きな池の傍のおしゃれなレストランで、テオドールさんの教え子の舞踊団の沢山のダンサーが、5曲も踊ってくれるのですから、きれいな盛り付けのお食事もそこそこで楽しみます。
お客のイスラエルからの高校生らしい10数名の男女と仲良くなり、ホールで一緒にイスラエルだけでなく、色々のダンスを踊って大いに盛り上がっていました。 長い旅の最終日のフリータイムには、たずね歩いて何人にも聞いてやっと見つけた、念願のワラキア王国の王宮跡や王室礼拝堂でこの国の歴史を改めて考えることが出来ました。
暑い日差しの中をアイスをなめながら、ぶらぶら歩きで10年前とは目を見張るほどに発展したルーマニアの楽しい日々にお別れをしましょう。
[第89回] ドブロジャに来たよ トロチャ [2012年03月15日]
雨の中、モルドバ平野をバスはひた走りに黒海を目指します。 がんばれドライバーのティガさん!ドナウ河をフェリーで渡るのですが船の向きを変えずに、バウスラスターという装置で横付けしたままの向きで向こう岸に着きました。 こういう技術は日本が一番です。 私は10年間造船所に勤めていましたから面白かったですね。
長い雨の中のバスの旅も終わりトロチャに着きました。 今回の私の最大の目的地なので早く町を見てみたいと気があせります。 ホテルがドナウ河沿いで無いので少しがっかりでしたが、翌日の朝の講習所が歩いて直ぐなので納得しました。 若い男女7人のそれは元気なダンサーと、いかにも人の良さそうなステファンさんが講師です。 身体を一杯に使っての激しい動きのダンスに、見ているのは良いのですがついて行くのは大変です。
お待ちかねのドナウ河めぐりはホテル専用船で贅沢な気分ですね。 港を出ると小さな支流に入り深い森の木立に鳥が羽ばたいてそれはゆったりした時間が流れます。 ステファンさんは私達が楽しいようにと、とても気を使ってくれました。 船でのランチにナマズの煮物とスープが出ましたがさすがの魚好きの私でもちょっとね。
前夜のディナーでのしょっぱ過ぎのいわしの塩漬けといい、黒海での魚を期待しない方が良さそうです。
夜のディナーはドナウ沿いのホテルでのステファンさんの舞踊団の30人以上の楽団とダンサーが、それは楽しいダンスの数々を見せてくれます。 衣装もいろいろ取り変えてくれるし、お馴染みのメロデーも有るのでドブロジャ大好きの私は感激しました。ここに来られて良かった!。
[第88回] ブコビナの森を駆け抜けて南へ バカウ [2012年02月15日]
大雨のあとの深い霧の中をバスは山を登っています。 ドラキュラ城と呼ばれる、今はホテルの前に「ブラム ストーカー」の胸像が趣を添えています。 内部もそれらしい装飾が中々凝っていて、最後の仕掛けで私達を驚かせてくれます。 森や辺りを覆う霧が雰囲気を盛り上げてそれらしさが余計に感じられます。
山から下りひたすら最北部のブコビナ地方の森と町を走り、バロネーツ修道院に着きました。 その外壁を飾るフレスコ画がバロネーツの青と称えられる、ルーマニアで最も有名な修道院です。
15世紀に迫り来るオスマントルコ軍との戦勝を願って建てられたもので、ひっそりとしていた10年前と違い、良く手入れされたバラの花壇で綺麗に周囲も飾られ、見違えるようなのは、観光客の多さでも分かります。 それでも静かな時間と、私のお気に入りの雰囲気がしっかり漂っています。 ゆっくり見ていたいのですが、ずらりと並んだお土産屋のコスチュ−ムも無視出来ず、つい手が出て又ブラウスを何点か買ってしまいました。
後はひたすら南へ南へと急ぎます。 モルドバの中心都市のバカウに到着しましたが、ホテルが古びていて雰囲気もいまいちでちょっとね。急いで食事をし、外にでると綺麗なコスチュームの若い男女がお迎えに来てくれています。 歩いて10分のホールでのダンスと音楽の公演を見るためです。 さすがにテオドールさんは顔が知られていて、挨拶に忙しいようです。
子供達のダンスが終ると満員だった席が空いてゆきます。 バイオリンも良かったのですが、私はここでのナン(パンフルート)の女性の奏者がとても気に入りました。 その音は絶品でした。 次々とダンスも楽しく見せてくれます。 本当にモルドバのコスチュームは華やかでダンスも素敵です。
お迎えにきてくれた2人の舞踊団の衣装も赤と白色で鮮やかで、勿論ダンスも申し分の無い楽しさでした。 この場所の為のあのホテルだったんだと納得しました。 楽しかったからまあ良いでしょう。
[第87回] 美しいコスチュームの村人が一杯! ビストリッツア 2 [2012年01月15日]
ホテルの近くの路地の奥にあるカルチャーセンターは舞踊団の写真が沢山飾られた踊りやすい良い床で、3曲講習を受けました。 明日行く、世界遺産の修道院の周りで踊ろうと言う曲が好きですね。 その後が大変です。 隣の何気ない建物がコスチュ−ムの売店で良いものが安いのです。 これは買わずに居られません。 買い物自粛の決心も消え、カズさんのシャツ私のブラウス、エプロン数セットとユーロだけでは足らなくて、予備のドルにまで手を付けます。 これではトランクに入らないので、大きなバックを買いやっと一安心。
夕方にバスで田舎に出かけます。 公民館らしい建物に入ろうとふと見ると村長さんと着飾った人達のお出迎えです。 まあこんな綺麗なコスチュームの、可愛い子供達や若者、大人が60人位も歓迎してくれて。 その上に私達のために色々準備してくれています。
野外でチーズやパンとツィガを勧められ、集まってくれた人達との写真タイムが大騒ぎです。 停電のため少し遅れて壇上に座った私達の前でダンスタイムの始まりです。 子供達30人程の元気の良いダンスの後は大人の出番です。 掛け声もにぎやかな隊形物からカップル物と見せてもらった後は、皆と一緒にカップルになり踊ります。
年齢も若者から60代位と、ダンスの腕前も色々で私のお相手の男の子は残念ながらまだまだでした。 別室ではパーティとなり、手作りのルーマニア名物の2時間以上もチーズを加えてトーモロコシの粉を練ったママリガやチーズ、ハム、ワインなどずらりと並んだ手作り品の暖かい素朴な村の歓迎ぶりです。
上品で美人の村長夫人に男性達は気もそぞろのようです。
大いに飲んで食べた後でも、まだまだ言葉も分からないのに盛り上がって楽しい夜でした。
[第86回] ドラキュラの町で ビストリッツア [2011年12月15日]
小雨の降りしきる中を森や畑の道をバスは元気良く走ります。 シルビアさんの舞踊団のバスで運転手のテッガーさんも元団員で勿論ダンスの名手で、とても運転が上手で気の優しい最高のドライバーさんです。
北へ来ました、ルーマニアを有名にした「ブラム ストーカー」作「吸血鬼ドラキュラ」の冒頭に出てくるあの「コロニアホテル」が今日と明日2泊するホテルの直ぐ近くです。 趣のあるいかにも良さそうな雰囲気のこのホテルと違い、私達は3階なのにエレベーターも無くお湯も満足に出ないので寂しいですね。 部屋のテラスから憧れのホテルの正面が見えるので良しとしましょう。
テオドールさんの両親が初めて会ったというシティホールの近くの、大きな胡桃の木立に囲まれたレストランの野外のテラス席での昼食の後、お買い物にと郊外の田舎にあるコスチュームのお店に。 今回はカズさんのものを主にと思っていたので、念願だった赤と黒の配色が素晴らしいマラムレシュのエプロンや、手に入りにくいスカーフなどの小物だけにしました。 余り沢山有ると目移りして返って買う気が無くなってしまいます。
コロニアホテルの前で1989年の民主化運動の犠牲者の慰霊碑が目に入りました。 あの時の記憶を残す為に各地に建てられています。 艶の有る木に彫刻が丸い形でいかにもルーマニアらしい感じです。
夜のデナーがお昼と同じ所ですが中の装飾や調度品が古風な良い感じです。 大きな魚のグリルが美味しくて感激しました。
[第85回] ムレシュのダンスは素敵です ツールグムレシュ [2011年11月15日]
4泊ですっかり馴染んできたシビウともお別れです。 ホテルも町も雰囲気が良かったし、ガイドを務めてくれた可愛いガブリエラさんともお別れで、名残惜しい気持ちが一杯ですが、さあ次の町までダンスのビデオを見たり外の景色を楽しみます。
緑の木立の中の紅い屋根の家並みがとても風情があり、過ぎていく景色を眺めるのも良いですね。 深い樅の木の森を抜け、大きな町へ入りました。
ムレシュは交通の要所で、パプスブグル家の支配の中心地で大いに繁栄していました。 町にはジプシーの姿も目立っています。
ハンガリー風の立派なアールヌーボー装飾の教会の前庭には、ローマ帝国を建国したロムルスが兄と共に狼のお乳で育てられたと言う伝説の像が誇らしげに飾ってあります。 ローマ人の末裔を誇っているルーマニアらしいですね。
現在も使われている音楽ホールもある見事なアールヌーボー装飾が圧倒的な宮殿が、今では博物館となっていて、その豪華な装飾の広いダンスルームもここで踊れば気持ち良さそうです。
今日のホテルの昼食がとても美味しくて、何時もはその量と濃い味付けに困っていたのですが、初めてほぼ完食しました。 豚肉の厚切りを煮込んだのとか、チーズ風味の甘み控えめのケーキとかでうれしかったですね。
夜のデナーは地元の舞踊団のダンスを見ながらで期待していましたが、小雨の為池のほとりの野外ステージは中止となり、室内で少し狭い所でと成りました。 このホールが又凝っていて、床がガラス張りで下の池の鯉が泳いでいるのが見えるんです。
4組のカップルがそれは見事なダンスを見せてくれて、これがプロの踊りと納得です。 ムレシュ、ハンガリー風、ジプシー風と3曲共、衣装も鮮やかで本当に迫力満点です。 真近に見れてうれしいのですが柱が邪魔で全員の踊りが見えないので、もう少し広い場所ならと少し残念でした。
[第84回] コスチュームを買いました シビウー3 [2011年10月15日]
朝からダンスの講習が有り気分良く踊れました。 ホールが踊り易く丁度良い人数ですね。
踊りながらシビウの紅い屋根の古風な建物が目の前に広がって見える、こんな環境の良いところも少ないでしょう。 午後からは食事にと郊外の田舎風のレストランへ。 実はヒルトンホテルのしゃれた趣向の店で、周りの天井裏には麦わらの束で埋め尽くしていたり、バイキング風にソーセージの変わり種が何種類も好きに取れるように吊り下げてあったり、昔風の良い雰囲気で美味しく飲んで食べて盛り上がります。
買い物に寄った博物館のコスチューム売り場の値段にびっくりです。 以前の2,3倍は覚悟していましたがここまでとは!ただ見てるだけでした。旧市街に帰ってから覚悟を決め値段を考えずに買う事にしてやっとお目当てのブラウスを2枚ゲットでやれやれです。
孫娘達に大きな人形とカズさんの資料用の衣装満載の素敵な本を衝動買いしてその重さにうんざりします。 今回は余り買い物はしないことにしていたはずだったのですがー。
夜はお別れパーテーが開かれました。 沢山のご馳走の中に「巻き寿司もどき」も有りましたが味はちょっとね。
予約していた舞踊団のコスチュームを着付けして貰うと気分が違いますね。 勢いでモルドバの黄色い刺繍のブラウスまで買ってしまいました。
お土産に本やCDをいただいた後は、例によって飲み方だいです。 ツイッカやワインを飲んで食べて、テオドールさんと踊るのですからこれ以上楽しいことはありません。 日付けが変わる頃までおしゃべりにも花が咲きました。
シビウは本当に良い所です。
[第83回] 村めぐりはいかがですか シビウー2 [2011年09月15日]
朝からお天気が気になるのはあちこちへの遠出だからです。
悪路を行った先がジプシーの人達の村でコスチュームで歓迎のおばさん達を見て喜んでいると、ドイツ風の伝統お菓子作りの実演が始まります。 卵と小麦を庭先で手で捏ねて伸ばし、オーブンで焼くのですが、家畜小屋の近くでハエを払いながらのちょっと怖い展開です。
普通車に分乗して目を見張るほどの緑が一杯の広い草原をゆっくり行くと、のどかに沢山の羊の群れが居るのに歓声が上がります。 これこそルーマニアを愛し続ける写真家の「みやこうせい」の世界なのです。 羊を集めての乳搾り、チーズ作りと見た後は、コスチュームを着て集まってくれた村の人達がそれは味の有る良い声で歌を何度も歌われる中で、ツイッガで乾杯!。 羊の骨付き肉の煮込みなど、手作りの素朴だけど美味しい食事の後のお楽しみは踊るだけです。 それぞれ何人かで円を作り、歌いながら簡単なステップで回って踊るのです。
広い青空の下、色とりどりの野花の咲く草原が気持ちが良く、言葉がまったく分からないのも平気で、優しい心使いの皆さんと友達になり、忘れられない時間が過ぎました。 伝統を守ろうと一人で奮闘している若者の収集したコスチュームなどの博物館では、その情熱と熱意に、近代化の中で消えてゆく民族の伝統を残す努力がちゃんと根付いているのを感じました。
夜のディナーの席がまた豪華なんです。 着飾った人達がずらっと並んでお迎えをしてくれます。 シルビアさんの舞踊団の沢山のメンバーによる素晴らしいダンスの始まりです。 コスチュームも次々と変え、シビウだけでなくモルドバなども華やかで良いですね。ナイ(葦笛)、バイオリンの音色も聞きほれるばかりです。
さすがは本場ですね、その迫力に圧倒されました。
[第82回] トランシルバニアの古都は素敵だね シビウ [2011年08月15日]
日本の本州の大きさなのに耕地面積はなんと4倍のルーマニアです。 雨模様のワラキア平原は本当に広−い畑になっていて小麦やじゃがいも、とうもろこしがどこまでも続くのですが、私のお目当てのひまわり畑は見当たりません。 深い緑が美しい山並みに入ってようやく着きました、中世にドイツ人が作った商業の中心となった町です。
ホテルは旧市街にも近く良い雰囲気で4泊なのでうれしいですね。 シルビアさんの助手で歴史に強い、スリムで若い女性ガブリエラに迎えられ早速旧市街へ。 この町の特徴の屋根の上に、目のような形の明り取りの窓が可愛い家並みを眺めたり、古風な建物が素敵な博物館を見学です。
翌日はシルビアさんとヨニカ氏による待望の講習が始まり、ちょっと緊調しながら彼女の分かりやすいコールで楽しく踊れました。 午後の村めぐりでカズさんに黒い帽子と素晴らしい刺繍の羊皮のチョッキを買ったのでお土産も安心です。
ちょっと可哀相だった8人も乗って重量オーバーの馬車でようやく着いたダムの近くの村では、私達の為にシルビアさんの教え子達や小さな子供も参加の舞台では、素朴なフェステバルが始まりました。 村人も100人程が楽しそうに見ているのがほのぼのしますね。 終ってからの写真タイムでは、30人以上のコスチューム姿の若者達の初々しいパワーに圧倒され、朝に講習したばかりの曲を一緒に踊ると足場の悪さも忘れてはしゃいでしまいます。
酪農と農業をされているシルビアさんの老齢のおばさん宅では、本当に人の良さそうなお顔の方が満面の笑顔で私達を歓待して下さるのです。 苦しい時代もさらっと過ぎたようなその姿にただ見入りました。
[第81回] ルーマニアは雨だった! ブカレスト [2011年07月15日]
5月23日関空を夜行便で立ち、翌日10時にはブカレストに居ました。
乗り継ぎは良いのですが小雨です。 晴れ女としては心外ですが体調最悪ではパワーも無し。 空港までテオドールさんが来てくれている! 堂々たる貫禄のシルビアさんと男前のヨニカさんにも迎えられ、着いたのがなんとテオドール邸です。
市内の中心部にある教会の隣の、花と緑で飾られたそれは良い雰囲気です。 内部は世界中の置物や飾り、花でシックに纏められています。 ご夫妻の暖かな歓迎と、手作りの美味しいカナッペやケーキ、スモモの強いお酒「ツイッガ」にもう舞い上がります。
ホテルは少し便利が悪い所ですが、頑張って中心部まで4人で歩きます。 10年前は薄汚かった百貨店がおしゃれに変身しているのが近代化の象徴のようです。 少し遅い昼食で食事の味はいけると、店員相手に日本語教室までしてみんな満足です。 帰国前も同じホテルなので、「カルフール」も見つけ、これでおみやげが調達出きるとひと安心です。 ホテルからはわかり易い国民の館へ続く大通りを行ったのですが、帰りはあっちだこっちだと雨も上がって暑い中を、少し遠回りだけど古い民家やさくらんぼがたわわに実ったお庭を見たりと歩き回りました。
夜はホテルのレストランでのディナーでお約束の様に出てくるツイッガで、これからのツアーへの期待で一杯の皆で乾杯です。 チーズの盛り合わせ、豚肉の炒め物とその量の多さに少食の私はびっくりです。 ドーナツの一種のパパナッシュが2つ重ねてまるで雪だるまの様に可愛くしてあるのも、もう見てるだけで満腹です。
明日からが楽しみですね。
[第80回] 久しぶりのルーマニアに行ってきます [2011年06月15日]
ちょうど10年前、イブ モローの講習会を加古川ですることになり、イブ大好きの私はそれでは素敵な衣装でお迎えしたいと、バラ祭りの頃のブルガリアも入れて、14日間で回ってコスチュームを買いあさっていたルーマニアに又行く事になりました。
まだまだ経済的には苦しいようですが、あの明るく善意に満ちた人柄の人達に会えると思うと、どんな旅になるのか、もうわくわくしています。
予想以上の良いスケジュールで観光にも気を配られているので、またブコビナの世界遺産の修道院が見られるのはうれしいですね。
もう10数年前の5月、ドイツからイタリアに行った時、行きはアルプス上空を飛んだので雪山の美しさに感嘆したものですが、復路はルーマニアのドナウデルタの上をかなり低めに飛んでくれたので地形が良く分かり、何時か必ずここに来たいと思ったものです。
黒海沿岸のドブロジャは私には歴史的な興味も、ダンスの好みと言う点でも特別なのです。
紀元前からのギリシャ人による黒海貿易の拠点となったのが始まりで、ローマ人、トルコ人の長い支配が、この地を彩り豊かな文化で味わい深いものにしたのです。
お気に入りの「トロプカ デラ トロチャ」を黒海を眺めながら踊るのが待ちどうしいです。
[第79回] 帰ってきたよ イスタンブルから帰国 [2011年05月15日]
ホテルからタクシーで高速を通り一時間で旧市街の城壁が見えてきました。 まずシルケジ駅で地図を貰い4人でぶらぶら歩いて木立が美しい考古学博物館へ。 彫刻の見事さで世界一のアレキサンダーの石棺はそこだけに人が取り囲んで人気ですね。
他も本当に素敵なものばかりですが人が少なくて贅沢な時間が過ぎます。 石像なども素晴らしくて全部見るのには何日も掛かるねとため息が出ます。
お昼になりアヤソフィアやブルーモスクを横目に見ながら人に聞いたり案内されたりでやっとモザイク博物館へ。 ビザンチンの宮殿の床を飾っていたものですが小じんまりした中のこの古さがモザイクおたくの私にはたまりません。 みんなのお待ちかねのサバサンドは金角湾のモスクを眺めながら食べます。
お買い物に目の前のエジプシャンバザールへ。 日本語の呼び込みを交わしたり相手になったりと男性が一人いるとこちらも強気になれます。 お皿やキーホルダーの小物を買ったり高価な手刺繍の余りの美しさに衝動買いしそうになったりと胸ドキドキの楽しい時間です。
帰りのタクシーの予約の4時にまだ良さそうと皆を急がせて行くのは路地の奥にあるこの町一番のタイルの美しさを誇るリュステムパシャジャーミーです。 女だけだとちょっと行きにくい場所なんです。 ひっそりとした中50年ほどしか作られなかったと言う幻とも言われる鮮やかな赤のイズニックタイルが広がって言葉が出ないほどの美しさです。石好きの友人が特に気に入ってくれたのが私も嬉しいですね。
タクシーが曲者でした。 行きは高速を通るから83リラは仕方ないが帰りは何度メーターを倒すように言ってもグループだからと知らん振り。 帰りは高速を通らないのに行きと同じ料金を請求しました。 これは帰りの分は会社に内緒にするつもりと分かりホテルは70リラと言ってたと言うとおとなしくその額にしました。
帰国便の後部の席は空いていて3人とも横になって休めたので楽でしたね。 どこまでもラッキーな私!
[第78回] メソポタミア、 いつか又ね。 イスタンブルへ [2011年04月15日]
それでなくても暑いのに青空には雲ひとつありません。 ほとんど砂漠のようなシリア国境近くのハランは旧約聖書にアブラハム(ユダヤとアラブ人の祖先と言われている)がカナン(今のイスラエル)に行く前に住んでいた所とされる歴史上有名な所ですが、すっかり荒れ果ててしまい8世紀のモスクの跡が廃墟となって、石とわずかな草の砂漠状の平原にかすかな記憶を残しています。
今ではユニークなシリア風の日干しレンガの円錐形の屋根の民家のほうが人気で、暑いので遺跡めぐりはそこそこに、観光用の民家でチャイを飲んで、売り物で装飾された部屋を楽しんでいます。 私のお気に入りの作家の小田陽一さんが取材にこられていて、ご一緒の写真を撮れたのがうれしいことでした。 9月にここの分も入った新刊が出るそうで楽しみです。
ウルファに帰り昨日のレストランの近くで昼食です。 これも名物のラフマジュンは薄皮のピザで美味しいですね、こってりしたスープや新鮮な野菜サラダも申し分なくさすが美食の町です。 これはどこでも感じるのですが、パンの美味しさには和食好きの私でもうれしくなります。
さあひたすらオリーブやピスタッチオの畑の続く道を急いで西に走ります。 小麦が茶色に熟れて収穫ま近な様で、東部ではやっと穂が出るとこだったなと何か懐かしく思い出しています。
ピスタッチオの産地で有名なアンテップは東南部最大の都市で、今までの何処かひなびた感じの町まちとまったく違い、帰ってきてしまったという気分にさせられます。 それでもアンテップ城の近くで町めぐりをし、公園で昨日と同じような子供のダンスの発表会に出会いました。 可愛い民族衣装の子供が沢山いて大喜びでカメラを向けました。 ここでも日本人はやはり珍しいらしく皆の注目の的になっていました。
イスタンブルまでは長く待たされた国内線で2時間弱の飛行です。 すっかり暗くなった町は夜景がきれいですが、ホテルがとんでもなく遠い所なので皆さんお疲れです。
明日の夜までのフリーにタクシーで旧市街に出る為に料金の確認をして日付けが変わってからやっとベットに入りました。
[第77回] ユーフラテス河にお別れして南へ ウルファ [2011年03月15日]
今日から一路南を目指すので暑さは最高になりそうです。 まずこの地方の命ともなる水をもたらす巨大なダムを見ます。 ユーフラテスの流れをせき止めた広大な人造湖が一帯を潤していますが、水量の減った下流のシリアには死活問題で紛争の基なのです。 軍隊による厳重な警戒が水の大切さを実感させます。
小麦が色付い畑や放牧された牛などを見ながら道を急ぎます。 お昼は暑さの中ウルファ城を見ながら美味しい名物のピリカラケバブで満足です。 3時までのフりーに暑さにもめげず広い市場で地元の人に混じってあれこれ物色しながらスプーン、スカーフ、いちじくなどお買い物が楽しい事。
預言者アブラハムの生まれた洞窟が聖なる所とされ地元の人の祈りの場所になっている 。入り口から男女別の部屋になっているので気楽なのかクルアーンを皆で歌っているのに踊っている人や、体を前後に激しく動かして神がかりになっている人など、この雰囲気は初めてで魅了されてしまった。 ガイドによると男性の方は静からしい。 カメラで撮影する人もいて何処か楽しみの場所になっていると感じた。
ホテルに早く着いたのでタクシーでウルファ城に戻り城壁から市街を一望して感慨に浸る。 この町は旧約聖書にも登場する古都でヒッタイト、十字軍、フランスと異民族も歴史を作ってきた町の象徴がこの高台なのです。 廻らされた壕の深くて頑丈な石の壁を見てこの城の攻防戦の激しさを思いました。 又あの洞窟で地元の人と身振り手振りの会話を楽しんだり公園の木陰で涼んでいると音楽が聞こえてくる。
子供達のダンス発表会が広場で始まり「アデヤマンの踊り」の様なコスチュ−ムの20人ほどが可愛く踊っている。 カメラを向けていて日本人と分かるとVIP席に座らせてもらい楽しんだ。
帰り道はブラブラ旧市街を歩いていて道に迷ったみたいで大きな墓地の入り口に駐車している男性に道を聞いて歩いているとあの車が追いかけてきてなんとホテルまで送ってくれた。 感じの良い若い人でこれで私のトルコ好きもまたランクが上がりました。
[第76回] 山上の不思議世界 ネムルトダー [2011年02月15日]
青空の下のメソポタミア平原は乾いた空気の岩だらけの荒地が多く農地より放牧地のほうが目立ち牛や羊の群れがあちこちに見掛けられます。西に急ぐのはネムルトダーと呼ばれる山上に有る王の墓に飾られた巨大な石像を夕日の中に見ようとしているのです。
ユーフラテス河の堰止湖では小さなフェリーに地元の人たちと乗ったのですが、女性のスカーフが今まではカラフルだったのにブルー一色なのです。 アラブの地に入ったと分かります。
フェリーに乗れたので180キロmも短縮できキャフタに早く着いたので河のほとりのレストランでゆっくり出来ました。 石好きの友人の影響でツアーの多くの人が綺麗な小石に興味を持ち、競って河で探して楽しんでいます。 獲れたてのマスの塩焼きが絶品でこんな嬉しい事は有りません。
険しい山道を分乗した小型車が軽快に走りローマ時代の橋を歩いて渡ったり、王家の墓に建つ鷲の像を乗せた高い二本のポールを見上げたりします。 マダマダそれから2時間ほどでようやくネムルトダーの山頂近くに到着し、石ころの急な山道を15分息を切らしながら登ります。 小高い階段状の岩の上に首のない大きな石像がずらりと並んでいて、首は下に並んでいます。 地震で転げ落ちたのですがその風格のある像はとても妖しく魅力的です。
2千mの山頂に墓を作り盗掘防止にさらに20mの高さに小石を積み上げると言う凝ったもので、自分を神と同等の尊い存在に見せるためにゼウス、ヘラクレスなどの神々と自分の像を飾っているのです。 人里遥かに離れた秘境の地でしたが世界遺産となり道路が出来たのでこうして東部での人気観光地となったのです。 メインの東面の像をまず夢中でカメラに写します。 地面からにょっきり生えたような石像はどの角度からでも被写体として最高です。 西面に回り其処でも石像が何体も並んでいるので記念撮影に力が入ります。
しばらく待っているとゆっくりとあかね空が広がり夕日が名残惜しげに沈んでいくのを静かに見守ります。 長い影が辺りを神秘的に見せていました。 終わりましたね。
[第75回] メソポタミア平原を目指して ワンからデヤルバクルへ [2011年01月15日]
今日は長い移動日です。 青空の中のワン湖にお別れしてひたすらバスは走り続けます。 古都のビトリスは蜂蜜でも有名ですが、城壁に囲まれた趣のある町並みもただ通り過ぎるだけでもったいない感じです。
緑が滴るような山道はカーブの連続で見ほれるような絶景続きですが道路が狭くてがたがたの所や、拡張工事中の所も多くてこれでは距離の割には時間ばかり掛かるはずだと納得です。 一昨日に行った絨毯屋で誰も買わなかったのが気に入らないらしくガイドの態度が今までに増して悪くなっていく。 トルコ人に珍しいくらいの横柄で嫌な奴に当たったようだ。 女添乗員にも皆怒っている。 自分の気に入らない客の悪口を口うるさい客に吹聴して意地悪させるのだからたまらない。 12人も一人旅の女が居ればもめる事もあるのは当たり前で其れを何とか仲良くするのが仕事なのにね。 お客もベテランの旅人ばかりなのでいつまでもそんな風は嫌なのでいつの間にかわだかまりは消えて行ったのが救いです。
私も感じ悪い人がいたのですがそれをずんと上回る最高の旅友を見つけました。 元教師の女性となんと私が神戸Yに居た時名古屋YでFDを踊っていた男性で2人は妹と同じ3歳下で最高に話が合うのです。 何を話しても直ぐに予想以上の答えが返ってくる人に2人も出会えてこの旅のお土産話も楽しいことばかりです。
山道から乾いた平原に風景が変わりました。 いよいよチグリス、ユゥーフラテス河の間の地メソポタミア平原に入ってきました。 5キロもの城壁に囲まれた古都デヤルバクルは今回の目的地でしたから城壁の上から平原を見渡して感激しました。 クルド人の首都とも呼ばれ人口の70パーセントがクルド系で以前テロが頻発した時期があり危険だと言われていた。
アナトリア最古のウルジャーミイ(教会)は素朴な古風さが良い感じで老人達の憩いの場のようです。 4時にはホテルに入ったのでここは危険だと言われたがそうと思えないのでカメラ好きの男性に付いて仲良しと旧市街に出かけた。
お土産屋の集まってる所も行きましたが地元の人たちの市場が面白くてスカーフや布地のお店で沢山買い物をして町が平穏で人々が親切なのが分かって嬉しくなりました。
この地方最大の高級ホテルの最上階からの夜景はさすがに素晴らしく、お料理や設備も申し分なく久し振りに贅沢の楽しさを味わいます。
[第74回] ワン湖で美味しい魚に感激です ワンその2 [2010年12月15日]
青い湖水に朝日が輝きます。 今日は念願のウラルトウの遺跡に行けるのでうれしいね。 あわてて帽子やお菓子を入れたバックをホテルに忘れた。 困ったなこの青空の下日焼けしそうですがお気に入りのスカーフが有りヤレヤレ。
チャウシテペは高台に土壁をめぐらせたウラルトウの都の跡で、強い風が吹きすさぶ崩れた遺跡の中でヒッタイトの末裔とも言われ、隣国の強大なアッシリアと戦い続け遂に滅びて行った、謎多き王国の歴史をしのびます。
ワン湖の中に有るアクダマル島は11世紀のアルメニア教会がお目当てで小型の連絡船に乗るのですがその良く揺れること。 初めはBGMでかけているトルコの音楽に合わせて踊れる位でしたが風が強まり操舵室に逃げ込みました。
先客の子供ずれの地元の女の人のグループ7人ほどと仲良くなり私がダンス好きを知って、流れてくる音楽に合わせて色々のダンスの手振りを教えてくれてすっかり仲良しになり写真タイムも盛り上がります。
島に上がると日曜とあってかなりの人出で小さな教会の中はゆっくり見ることが出来ません。 有名な外壁を飾る見事な彫刻はアダムとイブとかゴリアテなどの聖書の物語が周囲に彫られています。 小さな島がこの教会の彫刻のお陰で沢山の人が訪れます。 青い空と湖水の間に雪山が見えて足元には草花と絶好の被写体にワクワクです。船で知り合ったグループが気さくに声をかけてくれて寛いだ気分になります。帰りの船も一緒
になりまた操舵室で身振り手振りのおしゃべりです。 ぐずり出した子供に持参していたお手玉を出して遊び方を教えて大変喜ばれました。
パンを出してくれ皆で食べましたが、お菓子を日本から沢山持って来ていたのに肝心の時に無いのが残念でした。 少し遅い昼食は湖で取れた魚インジケナウを炭火でこんがり焼いてありその美味しい事!。 これ2匹は多いかなと思っていたのがぺロリです。 輝くような青い湖を見ながら焼き立てを食べるのですから美味しいのは当たり前ですね。 私には最高のご馳走でした。
市内に戻り博物館に行きましたがウラルトウの代名詞にもなっている取っ手が牛の形の大鍋が見当たりません。 ココにはないとの事でがっかりです。 アンカラやイスタンブルの博物館では見ているのですが現地で見られないのは残念です。 代表的な物をもう少し現地に残しても良いのではと思ったものです。
世界的に有名な左右の目の色が違うワン猫も見ましたがツアーの皆はどうにか写真をと大騒ぎをしていました。 猫は今ブームなんですね。
[第73回] さよならアララット山、ワン湖へ ドウバヤジットからワンへ [2010年11月15日]
日の出を期待して屋上に駆けつけたのに無情の小雨が降っています。 それでもアララット山は厚い雲を被ってはいるが美しい姿を見せてくれました。
青空が広がる山道を素晴らしい景色を楽しみながらノアの箱舟が着いたと言われる緑の台地を行きます。 イランの国境近くで通関の検問を待つ長い車の列を見ながら辺境に来たと実感します。 イサクパシャ宮殿と言うこの地の支配者の宮殿跡は高い崖の上に有り眺めは最高で、ここでも写真を一緒にと地元の人達にもてていました。
お天気なのに厚い雲に頂上の隠れたアララット山にお別れして南に急ぎます。 黒い溶岩が見渡す限り続く山道は近くの4千mの火山の噴火の結果のようで素晴らしい眺めですが別に観光地に成っていないのが不思議なくらいの美しさです。 乾いた草原が続き牛や羊の放牧がのどかに見えますがたまに見る家の貧しげにこの地の生活の厳しさが分かり、あちこちの軍隊の検問所が緊張の地であることを思い出させます。 山道の緑が深くなり激しい音を響かせるムラディエの滝でトルコの水の豊かさにほっとします。 皆の憩いの場所らしく休日なのでバーベキューなどで人々が楽しそうです。 緑としか言えない水面がひろがっています。 一日で七色変化すると言われるワン湖で、流入するばかりで流出する河が無いので濃い塩湖となり琵琶湖の5,5倍もある広さです。
湖畔のホテルは連泊なのに古びて設備もイマイチで少しがっかり。 早目にベットに入ったのに大きな音楽が聞こえてしばらく聞いていたがこれは踊れる曲だと思うと我慢できない。 着替えて下へ降りるとレストランで学生の団体が宴会をしていて踊ってる!. 早速仲間にしてもらい楽しみます。 ハライのような単純な曲ですが若いパワーはすごくて20分程で休憩になるまで汗をかきながら楽しく踊りました。
チャイ(紅茶)を飲んでいると席に来ないかと誘われました。 金持ちらしい老トルコ人の相手をしている派手な服装の女の人でロシア人だと言い、私が行ったトラブゾンが良い所だと何度も言うのが悲しげに見えました。 「カチューシャさん」とも呼ばれる身一つで国境を越え出稼ぎに来る旧ソ連の女達が最初に着くのがトラブゾンです。 いわく有り気な雰囲気に彼女が可愛そうになりすぐにさよならしました。
旅は思いがけない出会いを用意してくれます。
[第72回] 遥かなるアルメニア アニからドウバヤジットへ [2010年10月15日]
遠くの雪山を背景にして小雨の中、見渡すばかりの緑の草原に夢のようにたたずむ紅いレンガの廃墟としか見えない崩れた教会跡、その美しさに足元が悪いのもかまわず駆け寄ります。 アニ遺跡は想像以上の素晴らしさでした。
アルメニアは世界で最初にキリスト教を国教とし最盛期の12世紀には千以上の教会が有りその繁栄を誇っていたのですが、12世紀からの押し寄せるイスラムの波に飲みこまれました。 ようやくツアーの皆の願い通の青空が広がり、可愛いい野花を掻き分けながらあちこちにたたずむ建物のそのまぶしい様な姿を夢中で撮ります。
深い川の向こうはアルメニアで国境警備の監視塔が真近かに見えます。 この遺跡の写真撮影が一般に許可されたのはつい最近のことなのです。 この季節ならではの雪山を見ながら青空の下の野花の咲く遺跡と言うこれ以上は無い風景にはるばる来た喜びで一杯です。
さあ次に目指すのはアララット山です。 5165mの頂上は常に雲が掛かりその全貌ををなかなか見せない手強い山ですがこのお天気ならどうかと気がかりです。 雲に隠れた姿が見えた時は歓声を上げましたが物足りません。 うれしいことに2千mにあるドウバヤジットのホテルの屋上から見えたのです。 直前の小雨の後虹が綺麗に掛かりました。 その左に見えるのがなんと一杯に広がるアララット山なのです。 1時間ほど見守っていてようやくこれでほぼ全体が見えたと思えるほどに雲が薄くなってくれました、大感激です。
かねて用意の「アール・ダー」の曲に合わせてツアーの仲間にもレクチャーして踊ります。 アールダーとはトルコ語でアララット山のことで、先崎さんの講習でのお気に入り曲で何時か名前の山を見ながら踊りたいと思っていたのですから。 何度も繰り返しても飽きることなく踊ってしまいました。 幸せな時間です。
[第71回] 私のチフテミナーレ エルズルムからカルスへ [2010年09月15日]
さあお待ちかねの旧市街へ。 目玉はなんと言ってもチフテミナーレで、青いタイルで飾られた輝くような二本のミナレット(塔)の有る巨大な門は緻密な彫刻が全面に有りただ感嘆するだけの美しさです。 12世紀からの元神学校ですが広くて古びた趣のある建物の奥のホールで若い人がクルアーン(コーラン)を唄っていたのに感動しました。 ココでこその素晴らしい声でした。 とんがり帽子型の3っの墓のユチュキュンベテでは野草摘みの女の人が満開のたんぽぽの咲く草原で熱心につんでいます。 青空の下で子供連れのピクニックも楽しそうです。
ヤクテメドレセは修復中で青い縄目模様のミナレットだけがどうにか見れるだけで少し残念でした。 私の思いはまだ残っているのですが名建築家のシナンの最東部にあるモスク(教会)を見る事が出来たので良しとしましょう。 名物の美味しい大きなシシケバブ(串焼肉)の実演を見ながらの食事の後、バスはひたすら東へと行きます。
雪をかぶった険しい山並みは声を上げるほどの絶景で奇岩の面白い所など見所だらけです。 この地にも北から東からどれだけの民族が豊かさを求めて押し寄せた事かと歴史の重みも感じる道です。
アルメニアとの国境近くのカルスをひたすら目指します。 19世紀からこの地方はロシアとの激しい争奪戦にさらされました。 小雨のカルスは小さな古びたロシア風の家が目立つわびしい町でトルコでも一番寒い所とか、早く着いたホテルも設備の古さが目立ちこれからの何日かは色々と我慢です。
近くのスーパーでちょっとのお買い物の帰り、急に降ってきた大雨の中、家々の雨樋がどこも一階の途中までしか無いものですから水が滝のように上から落ちてくるのにはあぜんとしました。 ロシア風なんでしょうか他ではこんなの無かったのですが。 それでも雨はカルスだけでしたからまあ晴れ女としては諦める事にしましょう。
明日はいよいよアルメニア王国の首都のアニの遺跡巡りです。
[第70回] 断崖の修道院 トラブゾンからエルズルムへ [2010年08月15日]
今日は長い移動となりそうですが、「青少年とスポーツの日」の祝日で子供たちのパレードがあちこちの町で見られた。 曇り空が気になるが晴れ女のパワーの見せ所です。
深い山に入る前にミニバスに乗り換え紫のしゃくなげや黄色のつつじが彩る新緑の山道を楽しみます。 やがて深い谷の向こうの崖にスメラ修道院が見えてきた。 6世紀からひっそりとこんな断崖に祈りの場が開かれ1400年も続いたのです。
小さな石造りの建物の僧坊群にはイコン(聖像画)も残っていてココからの眺めがまた絶景なのです。 しかし今日は祭日で地元のトルコ人で一杯!そして初めて日本人を見た人が多いらしくそれはそれは大変なもてようで特に十代の可愛い女の子達が一緒に写真を撮ってと大騒ぎをしてくれます。
東へと急ぐバスは時折の小雨の中、私の熱い思いを乗せてシルクロードをひたすら走ります。 回りの山々は雪化粧で言葉も無いほどの美しい風景が広がります。
古都エルズルムにようやく到着したのですが市街から離れたスキー場の豪華ホテルが今日の宿でがっかりしていました。 旧市街のセルジュク朝の建築群が私の今回の目的地でしたから。
しかし何時もついてる私です。 何とホールで結婚式が始まったのです。 見ていると招いてくれて席も用意してくれます。
トルコに来たら何時も踊るチャンスを探していますからタパン(太鼓)が鳴り出してダンスタイムになったら即参加です。 会場から盛大な拍手をいただいてあとは飲み物や食事を勧められ若い人たちに写真を一緒にだとか、アドレスを教えてとかもうこれ以上はいらないと言うほどのもてようでした。
名前も沢山教え合ってすっかり友達気分で別れを惜しみました。
本当に気持の良い人たちで益々トルコが好きになりました。 これも長年先崎さんのトルコの踊りの講習を受けていたからですね。 感謝しています。
こんな良い気分で一日が終えて最高の夜でした。
[第69回] 念願の東トルコへの旅へ トラブゾン [2010年07月15日]
何時か行たいと思いながら遥かな地であったエルズルム、デヤルバクル、アララット山、歴史好きなら必ず訪れたいと思っている名前の数々。 まさかその地に私が立てるとは良い時代になったものです。
関空を夜行便で出発。 翌朝のトラブゾンへの乗り継ぎ機の座席が手違いで無いと言うアクシデントが有りましたがなんとか無事に到着。 これから10日間お世話になるバスが大型で期待以上だったので23人のツアー仲間はほっと笑顔です。
黒海の重要な港町で古くからの遺跡が有りますが規模は皆小さくつつましいものです。 青空の中に滴るような新緑と色鮮やかな野花が彩りをそえて教会の古びたイコン(聖像画)もありがたい感じです。
丘の上の見晴らしの良い公園で名物のチャイ(紅茶)を飲みながら黒海を眺めるのは楽しいですね。 周りに咲く木陰を作ってくれる白いアカシアや紫の可愛い小花を見ながら花好きの人が多いので植物談義で話も盛り上がります。
昼食は黒海沿いの最新の豪華レストランで、評判だと言うキョフテ(小ぶりのハンバーグ)を食べたのですがさすがの絶品でした。 お勧めします。 3時にフリーとなり、ホテルは町の中心に有り市場の近くなので元気良く町歩きに出かけます。
ダンスに使う物を探すのですがこれが無いですね。 仕方がないので布地を何種類か買いましたがその重いこと!先は長いのにダイジョーブかな。
緑いっぱいの公園では子供連れの家族やお年寄りがくつろでいて、カメラを向けると笑顔でポーズをしてくれます。 ずらーと十数人も並んだ靴みがきに男性客がそれぞれゆったりと椅子に座っておしゃべりしながら磨いてもらっているのは面白いですね。 トルコの人はおしゃれです。
この地方はトルコで一番の雨の多い所で明日からは東に行くほど乾燥していきます。 この目に鮮やかな新緑と可愛い花達をしっかり覚えておきましょう。
[第68回] ギリシャの楽しみ アテネ [2010年06月15日]
夕方の帰国時間までのフリーです。 町に飛びだして向かうのは郊外のピレウスの港、古代ではこの港から地中海の彼方へ乗り出した交易船がアテネの経済を支えていたのです。
青空の下で美しく飾られた豪華客船が何艙も停泊していて壮観です。 一方では庶民の足のフェリーから車と人が吐き出されて行くのもおもしろいですね。 ゆっくり眺めていたいのですがそうもしておられず急いでアテネに戻りぶらぶら歩きを開始です。
静まり返っている古代アゴラに上り誰も居ない素晴らしいテセイオンの神殿から向かいの丘の、人で溢れているパルテノンを遠く眺めていました。 下町の市場などを歩いていてふと孔雀の羽根を沢山束ねて売っているおじさんと目が合ってしまい何故か一束買っていました。 実はその頃ポーランドの衣装を揃えたところで羽根を探していたのですが、まさかアテネからのお土産にするつもりは無かったのに、さあそれからが大変です。 結構長い羽根の束を抱えて半日歩く事になりました。
今日のお目当てのライキ民族博物館は地図をちゃんと見て何人に聞いても分からずおまわりさんに聞いてやっと見付けました。入り口は狭いのに其処は正に宝庫でした。
国中から勢揃えをした色取り取りの目を奪うような素晴らしい民族衣装がズラーと並んでいます。 他にお客も居ないようで私がこの素敵な場所を独り占めして贅沢な時間を楽しんでいました。
行く先々でもう少しフォークロアな物が有ると思っていたのにお土産にするものが殆ど見つからなくてがっかりしていたのでこの場所で各地の衣装を見られた事で気持ち良くこの国にお別れ出来ました。
[第67回] エーゲ海の薔薇 ロードス [2010年05月15日]
古来よりその美しさを甘い薔薇の香りとうたわれてきたこの島はまた戦いの島でもあったのです。
素晴らしい古代遺跡と共にキリスト教騎士団が対イスラムの最前線基地として強固な城壁を廻らせた中世の面影が濃い石畳の町でもあります。 現在は高級リゾート地として欧米では最高の評価を受けているのですが、私はその点が嫌で心配だったのですが行って見てびっくりです。 やはり贅沢は素敵です。 元カニ族のバックパッカーにも豪華ホテルの居心地は悪くないですね。
美味しい朝食の後は青い海に向かって立つ遺跡めぐりです。 ロバに乗ってのんびりと丘の神殿まで行きますが、なんで5月でこんなに暑いのと言う強い日差しには困りますね。
眼下の紺碧の美しい海が輝いています。 この風景を古代の人々と共有している気分です。 お目当ての騎士団長の宮殿はいかにも質実剛健な石造りの風格があります。 この町の城塞は見事なもので巾が12メートルも有る頑丈な城壁は世界一の素晴らしいものです。
翌日は夜までのフリーです、さあ楽しみましょう。 港で古代の七不思議の一つ巨人像が有った所に今ではこの島のシンボルの鹿が可愛く建って居ます。 お店を冷やかしながら石畳をぶらぶら散歩していてダンスにぴったりのギリシャらしい布地が見つかりやれやれです。
以外にお土産に良さそうな物が見つからず困っていましたから。 ぶどうの木の下の小さなレストランの一人切りの食事に旅の醍醐味を感じますね。 ワインが殊の外美味しく飲めます。 この旅の最大の良い所は人数が少なくてフリータイムが多い所で自分の旅と思える時間があるのは貴重です。 城壁の前の公園でのんびりとベンチで風景を眺めるなんて贅沢な時間を過ごしました。
この島をこんなに好きになるとは、やはり出合ってみなければ分からないものです。 名残惜しい気持ちで夕闇の中をアテネへと一っ飛びです。
バラの香りが漂ったような2日間でした。
[第66回] 迷宮への招待 クレタ島 [2010年04月15日]
朝日の中、庭に出てこのホテルがこんな素晴らしい所だったと嬉しくてあちこち歩き回ります。 白い建物は花と緑で飾られ、大小のプールが花が彩りを添える木陰の中にあるのは贅沢な感じですね。 移動の時大型バスで6人のお客と添乗員、現地ガイドの総勢8人が移動するのが何かもったいない感じです。
この島のハイライトはクノッソスの遺跡で3700年前の宮殿が復元されて、迷宮と言われた1200もの部屋があり柱は紅と黒で彩られ、飾られていたすばらしい壁画は本物は博物館ですがレプリカがちゃんと代わりを勤めています。 ここで発掘されたミツバチを模倣したそれは素敵な金のブローチを売店で値段も考えずにゲットしました。 金色に輝きペンダントトップとしても良く私の旅の思い出の品のベスト1になりました。
博物館の品々から平和を謳歌していた頃のエーゲ海の文化水準の高さにただ目を見張るだけです。 ぎっしりと並んだ御土産屋の店先の品もセンスの良いものが多くて選ぶのに考えてしまいます。
夕食後にロードス島へ1時間のフライトのはずが空港で待っているのに乗るはずの飛行機が来ません。 今日サッカーのワールドカップがアテネであり、イタリアとスペインの好カードのため押し寄せた観客のチャーター機にアテネ空港が麻痺して空の旅は大混乱のようです。 2時間遅れでようやくロードス島に到着です。
そうだ今日が行きの機内で知り合ったあの2人の結婚式だったなと、同じホテルで喜びをかみしめているだろう感じの良かった二人のお幸せを祈りました。
[第65回] 崖の上の白い町 サントリーニ島 [2010年03月15日]
まだ暗いうちに港で大きなクルーズ船でさあ出航です。 あくまで青いエーゲ海を静かに進む船に揺られ
ながら目指すのは火山の噴火により島の中心部がほとんど無くなってしまい、残った部分が高い断崖の
ある島となったのです。 失われた大陸「アトランテス」と思われている島です。 赤茶の遥か崖の上が白
く見えるのはいかにもギリシャらしい暑さを防ぐ為に白く塗られた家並みです。 この風景がよくコマー
シャルなどでお目にかかるのはこれだけ美しいからなんですものね。
4時間ほどのクルージングで到着で
す。上の町までは曲がりくねった道をバスで。 そこはおとぎ話にでも良さそうな白い壁がまぶしくひか
り小さな教会の青い屋根が彩りとなり可愛い家並みが続きどこを撮っても最高の被写体です。
午後のフ
リーにはこの島の最古の遺跡アクロティへ。 3500年前の大噴火で埋もれたこの町の文化の高さを表す素
晴らしい壁画などが沢山出土しています。 下の港へ帰ろうとして歩いていると道に迷い広いなだらかな
農地に出ました。 海と反対側に居るようで畑の人に「ケーブルカー」は何処かとたずねても通じません
。 この辺りはイタリア領だったことが有るのを思い出し、イタリア語の「フニクラ」と言ってみると方
向を指差してくれて無事にその近くまで行くとツアーの3人と出会え、記念にとロバタクシーに乗ること
にしました。 石段を一歩ずつ下るロバは余り乗り心地の良いものではないですね。
やっとクルーズ船に乗り込んであかね空の中のこの島にお別れです。 船内のアトラクションでギリシャ
のフォークダンスを見せてくれて観客も舞台に上げてもらって一緒に踊ります。 勿論私が楽しんだのは
言うまでもありません。
長い一日がようやく終わりました。
[第64回] アテネからクレタ島へ [2010年02月15日]
青い空にパルテノン神殿の大理石が輝いてもう私達は感激で胸いっぱい。 アテネでまず行く所は町の何処からでも見える丘の上の巨大な白い遺跡です。 矢張り真近で見るのは迫力がありますね。 修復中の痛
々しい所も目立ちますが歴史の証人としてここを見ずにはアテネは語れません。
眼下に広がる市街がどれだけ変わろうとどの時代にもシンボルとして国の内外から憧れられたのですから。 写真スポットとしても最高なのは言うまでもありません。 良い彫刻の飾りは19世紀にほとんどがイギリスに持ち去られ、大英博物館の有名なエルギンマープルとして大きな部屋に展示されているのを私も見ましたが、現地
ではレプリカしか飾られていない事に割り切れない思いもします。
国立博物館でのゼウス像などの彫刻も見事な物ばかりで時間が無いのが惜しいですね。 明日から現地へ行く各地の遺跡の素晴らしい出土品
が数々展示してあるのでもう直ぐ行くよと期待は高まります。 そうは言ってもまだ市街を観光して夕方の国内便でクレタ島まで飛ぶんですから、効率がツアーの良いところでしょうが少し寂しいんです。
クレタまでは50分の空の旅で到着です。 エーゲ海最大のこの島は3千年以上も前から交易の中心地として高い文化を誇ってきました。 貴重な遺跡が沢山有るのは分かっていましたが、リゾート地としても素敵に
発展しているのです。
暗くなって着いたホテルの白がまばゆいくらいの感じの良い事。こんな所でのん
びりするのも良いなあと思いますが明日は早起きでサントリーニ島までの1日クルーズです。
お楽しみは始まったばかりです。
[第63回] エーゲ海への憧れ ギリシャ [2010年01月15日]
'94年5月、待ちに待った成田発21時のオリンピア航空機は1時間遅れで売店も閉じて人気の少ない待合室で不安と期待で一杯です。
ツアーなのに航空券が送られてきたのでチェックインから全て一人でして、しかも成田でも添乗員が居ない。 どうにか一人同行者を見付け安堵して機中へ。 この旅は探し回ってやっと見付けたエーゲ海のロードス、クレタ、サントリーニの島々へ8日間で回る最高のコース!。 どきどきする気持ちを抑えるのに一苦労です。
やっと機内で添乗員から新婚さん2組、長年の海外勤務有りの話題豊富な60代男性との全員で6人!という贅沢なツアーと分かり嬉しくなる。 お隣の席の2人がロードスでウエデイングをする良い感じの若者で、私たちが2泊する同じホテルに泊まっての挙式とのことでロードスの情報などを教えてあげたりですっかり仲良くなった。 最初がこれですからこの旅の幸先が良い気がして私のテンションも上がります。
ギリシャへはやっぱりオリンピア航空でと思っていたのでこのフライトにも大満足です。 ちなみにこのあとしばらくして成田から撤退してしまいました。 いつもなら学習するその国の言葉もあの複雑な文字を見たらお手上げで諦める事にして、替わりに少しでも英語をと思うものの本当に何時もながら語学の苦手な私です。
楽しく機内を過ごして翌朝にアテネ空港に到着です。 さあこれからがギリシャをどう楽しむかです。 今までお勉強してきたことへのお返しをしっかり見てきましょう。
[第62回] タランテラの似合う海 タオルミナ 2 [2009年12月15日]
部屋から見える青い海に豪華客船が何処へ行くのでしょう。 谷の向こうが15世紀の修道院跡の豪華ホテルで雰囲気最高なのがちょっと羨ましい眺めです。
ガイドの案内で廻るこの町は小さいながら色々の時代の顔を持っているのが分かります。 この町のシンボルはエトナ山をバックにするギリシャ劇場で、小ぶりですが青い海とエトナ山との借景で最高の被写体となり皆を興奮させます。
路線バスで急カーブ
の山道を登って行く小さな村は絶景が売りの観光地ですが、中世の時代からの激しいサラセン(イスラ
ム)の海賊達から逃げるための隠れ里だったのです。 ローマ滅亡後治安の悪化で庶民は悲惨な長い時代
を過ごすのです。
海賊を見張る為の監視塔(サラセンの塔)がイタリア各地に見られますが、シチリア
が特に多いのはそれだけ被害を受け続けたからです。 18世紀まで続いた被害は今も(海は恐ろしいも
のを連れてくる)と言い伝えが残っている位で、この地にも在るのが悲しいですね。
お昼はびっくりの
大きなピッツアで満腹の後、可愛いロープウェーで海岸へ。 もう泳いでいる人を尻目に小さな船でクル
ージングに出発!。
エトナ山からの溶岩が黒い巨大な塊となり起伏に富んだ魅力ある海岸線を作ってこ
の辺りは最高のリゾート地となっています。 船長のセバスチャンは赤いTシャツが似合う陽気なメタボ
のおじさんで、ずーとタランティラの曲を流し続けている。 冷たいアーモンドワインのサービスの後は
片手運転で女性客と曲に合わせて踊っています。 勿論私がトリでにぎやかに踊ったのは言うまでもない
でしょう。ホテルでのラストデナーは美味しいワインとマグロのソテーで乾杯です。
いよいよ帰途のロ
ーマへの国内線の航空機からは目の前にエトナ山の大きな山頂が見えるのです。
これ以上は出来ないお
別れになりもう心残りは無いですね。
[第61回] 遺跡の町から絶景の町へ タオルミナ [2009年11月15日]
朝日に誘われてホテルの近くを散歩すると清掃の人が仕事中なだけで穏やかな静けさでこの島を独占した気分です。 朝食の6階のテラスからこの島の様子が良く見えるので豪華な品々をゆっくり食べるより外を眺めるのに夢中です。
急いで自分だけのオルテジニア島の探検へ。 古びて見捨てられていたのが10年前からの美化運動の成果で、今の様な輝くばかりの町並みへ蘇りました。 本当に素敵な事です。
今はバロック時代に建て替えられた建物ですが私にはギリシャ時代の歴史への思いが湧くばかりです。 この小さな島と周辺部こそが1500年以上もシチリアの首都だったのですから。
9時からツアーで訪れたのがこの島の守護聖人聖ルチア修道院、物々しい警備に驚くと何と内陣の後ろには至宝といわれるカラバッジョの(聖ルチアの埋葬)の絵が飾られている! 今朝までの特別だとか感激です。 大聖堂は元のアテナ神殿を改装したものなので他と違い重々しい列柱の堂々とした風格に圧倒されます。 お待ちかねの考古学地区では少し寂しくなります。
ここでゆっくりしたいのにツアーは無情で、ギリシャ世界最大の規模を誇る大劇場や、名高い石切り場、神への巨大な祭壇、円形闘技場と目まぐるしく廻っていきます。 もう少しゆっくりと楽しませて欲しいところですね。
名残惜しい私におかまいなくバスが急ぐ先はエトナ山が青空にくっきりと映え、紺碧の海を見下ろす絶景の地タオルミナです。 麓でミニバスに乗り換えたのは町が断崖の上に在り、当然ホテル近くは昔ながらの狭い道です。 しかしこの地はただのリゾート地ではないのです。 日曜日とあって人で溢れるメインストリートはぎっしりとお店で固められているように見えますが、ギリシャ時代からの長い文化もしっかりと残っていて重みも感じられます。 治安が特別に良いとかで夜の外出も問題なさそうなので気分良くブラブラと歩けます。
さあ明日は最終日! 楽しみます。
[第60回] 今日がハイライト シラクーサ [2009年10月15日]
今か今かと出発を待ちわびます。 この日が私の特別の日で20年以上待っていたのです。
地中海の砂浜
に来ましたよのご挨拶をした後でひたすら内陸部へ急ぎます。 ローマ時代の大邸宅の床に素晴らしいモ
ザイク画が発見されてからまだ数十年、モザイクおたくの私としてはこれは現地で見なくては。 やっと
ご対面のモザイクの数々の素晴らしさ!広い部屋が続きその床一面にとても保存状態が良く、しかもデ
ザインが様々で神話や狩猟の様子、ビキニ姿の娘たちなど多種有り昨年アフリカのチュニスで見た物に
遜色無いくらいで、多数の人を掻き分けるようにして透明の狭い通路の足元の下のモザイクを見るわけ
ですが、時間が無くゆっくり見ることが出来ないのが残念。 こんな素晴らしいものなのに時間をかけな
いのがツアーの悪い所です。
何処までも続くオレンジ畑の向こうに雲の帽子を頂いたエトナ山が見えて
きました。 ヨーロッパ最高峰の活火山で広いこの地方一帯に溶岩の被害と豊作をもたらす土壌を与え続
けて今も夜になると赤い火が見えるとか。
海が見えて来ました。 さあ待ちに待った私の憧れの地シラク
ーサに来たのです!。 マグナグレキアと言われる古代ギリシャ世界からパレルモが中心となる中世まで
、シチリアの首都は常にこの町でした。 歴史に燦然と輝くこの町こそ地中海の要であり続けたのです。
旧市街は島にあるので小さな橋を渡り海沿いに狭い道を抜けた広場の前が今日のホテルです。 古風な外
観と淡いピンクの素晴らしく可愛い内装でお姫様気分にさせてくれます。 そしてなんと神話に出てくる
アレトーザの泉が直ぐ横に在るという好立地の上、窓から港が見渡せて歴史を思い起こすのにぴったり
です。 日本人のお店でお寿司とシーフードのグリルですがやはりお寿司は日本で食べるものですね。 広
場でサンセットを楽しみながら今ここに来れた感激で胸が一杯です。
お目当ての一つの大聖堂のライト
アップを見に出かけました。 ホテルから直ぐ近くなのでこれなら明日も一人で楽しめるとうれしくなり
ます。 土曜日とあってとてもにぎやかで治安の心配が無いのでゆっくりと楽しめて最高の夜でした。
[第59回]シチリア縦断 アフリカの海に向かって立つ神殿たち アグリジェント [2009年09月15日]
今日から移動するので港を散歩したりしてこのバロックの町パレルモにお別れです。
美しい海にひっそ
りと守られている宝石のような可愛い町がノルマンの大聖堂で有名なチェファルーです。 映画の舞台に
もなった素朴さが残っている優しい感じの石畳の小道が迷路のようですが、私は急いで小さな美術館へ
。メッシーナの評判の「ある男の首」の絵を見たいからです。 とても小さい絵なのに何と言う迫力なん
だろうと時間が無いのに動けません。 私一人が不思議な微笑の彼と対峙していました。
お昼のレストラ
ンはこれ以上は望めないほどの海沿いの絶景のバルコニーに在り、勿論シーフードでなすのスパゲッテ
イーやイカとエビのフリッターなど周囲の青い海の美しさで味も引き立ちます。 バスで内陸部の緩やか
な山並みの中の畑やオレンジなどの果樹園を抜けて3時間近く、突然遺跡の高い柱が見えました。 アグ
リジェントの神殿の谷にようやく着いたのです。
アーモンドの広い森の中に色々の遺跡が点在していま
す。アフリカ、スペイン等の交易の船の目印にもなっていたのですが今は海は遠く彼方になってしまい
ました。 ユノー神殿の素晴らしい広大さ、ほぼ完全な形で残るコンコルデア神殿の勇壮さ、6本の柱だ
けだが存在感があるヘラクレス神殿、極め付きは4本の柱だけなのに何と美しいカストルとポルクスの
神殿には魅了されます。 よくぞこれだけでも残っていてくれたと感謝です。
遺跡に程近いホテルはモー
テル風でさえないのに食事だけは美味しいので、赤い水しか出ないお風呂にもまあ我慢しましょう。 こ
の辺りはマフィアが水を支配していて公共水道の普及を妨害しているとかで、特に水不足と聞いていた
のになぜかプールには水が満々と有り、水マフィアとの話は付いたのかしらと思ってしまいます。
夕暮
れ後のお楽しみが遺跡のライトアップ!遺跡の中には入れませんが周遊できる道路から昼とはまた違う
神殿がライトの光で金色に輝くのが綺麗に見えて、写真スポットとして最高です。
[第58回] 紺碧の海とギリシャ神殿と パレルモ 2 [2009年08月15日]
朝日の中、ホテルの前の港に豪華客船が入港するのを眺めます。 朝8時にタクシーで向かうのは市場!です。 目的はここが産地のマグロを見るため。 有りました!長い槍を付けたようなカジキマグロの大きな頭がふたつ誇らしげに魚屋で光っています。 赤いマグロが美味しそうですがここは写真を撮るだけで我慢です。
黄色や赤の可愛いい草花が咲き乱れる道の向こうに見える、思わず声を上げる美しい海を見ながら行くのは絶景で知られた断崖の城塞の小さな町エリチェで、写真マニアにはたまらない場所のようです。 狭く曲がりくねった石畳の小道が中世の世界そのままの雰囲気で、夏はすごい人出と聞いていましたが今日もかなり混んでいます。 思いがけず石塀の中を地元の方の好意で案内されましたが小さな庭に古風なお家が可愛くしつらえてありこんな素敵なところで、観光だけでなく普通に生活されてうらやましい限りです。
お昼も美味しい物だらけで日本人とシチリア人しか食べないと言う有名なウニのパスタはさすがのお味でパスタ嫌いの私でもOKです。 お待ちかねのマグロもグリルで出されて何時もとまったく違う味わいです。
高速道路でしばらく走って深い山の中に在るのが世界最高の保存状態を誇るセジェスタのギリシャ神殿です。 暑い中石段を上って行くのですが両側の龍舌蘭の林は7メートルにもなる木のような花が沢山咲いていて南国を感じさせます。 こんな山の中にぽつんと巨大な神殿が在る事に歴史の面白さを感じて、ここまで来れた事を感謝してしまいます。
夜は有名なグルメスポットのお店でそれこそ今回最高の美味しく手の込んだ料理で、円筒形にしたニョッキ、いわしのロール巻き、なすが何とも言えないお味です。
ピスタッチオのアイスクリームはこれでもかと言うほどの濃厚さで迫ります。 ワインも美味しくて皆さんの話も盛り上がります。 なにしろ旅の達人ばかりなのですから興味は尽きません。
[第57回] ノルマン時代のモザイクが輝く パレルモ 1 [2009年07月15日]
美味しいハムの朝食を済ませ市内観光へ。 シチリア名物の路上駐車の凄い事。 両側に2重駐車も当たり前で、どこも交通渋滞だらけです。
赤い石造りの城壁の中にノルマン王の城がそびえています。 有名なパラテーナ礼拝堂はそう広く無い空間が黄金色に輝いて、キリスト像を初め聖人たちがモザイク画で鮮やかに現されて荘厳な雰囲気は想像以上で、今まで各国で色々見た中で最高のものです。 元はイスラムの教会だった大聖堂は幾多の時代の歴史の現われた複数の建築の見本のようで面白い。 30分ほど山間部へ入ったモンレアーレの大聖堂もノルマンらしさが際立ち広い空間は見事なモザイクでキリスト教の世界が広がっています。
にぎやかな広場前でのレストランの昼食は期待通りの美味しさでかぼちゃのリゾットの濃い目の味付け、薄切りの豚カツのパリパリ感、名物のせんべいで巻いたようなクリームチーズにもう満足です。 市内に戻っての考古学博物館でお目当てのセリヌンテ発掘の沢山のメトーブ(神殿の飾り)もしっかり見られました。 シェスタいわゆるお昼休みが3時間もほとんどのお店や教会にまで有るのには何時もながら呆れます。 日本では考えられないですね。
歩いてバロック建築巡りと狭い路地のような所にも行きますが、そんなに危険な感じもなく綺麗に修復された所も沢山有りガイドブックと違い治安もそう悪くなさそうで一安心です。 スーパーで山積みの野菜は包装して無くて、必要なだけ自分で計りにかけて選べる合理的なシステムが良いなと思いました。
ホテルの庭に鳥のくちばしの形をした赤い花が満開の大きな木々が茂り、隣の植物園には板のような大きな根の木がうっそうとした木陰を作っています。
文豪ゲーテが熱狂的に愛した南国の植物たちは本当に興味が尽きないくらい魅力的です。
[第56回] 念願の海の十字路へ イタリア シチリア島 [2009年06月15日]
昨年の春、アフリカのカルタゴから紺碧の海へ向って、もう直ぐに行くからねと思ったのが対岸に在る
シチリアです。
歴史好きには多様性がたまらなく魅力的な古代ギリシャからのその長い歴史の面白さは
最高なんですが、伝えられる話では治安の面で悪い事ばかりで今まで待っていたのです。 ギリシャ本土
よりも素晴らしい遺跡群や古代ローマの世界一の邸宅のモザイク画、こんな遠くまで来ていたバイキン
グの末裔のノルマン人の時代の目を見張る大聖堂やモザイク画等が待っています。 地中海の真ん中とい
う地の利が四国より少し大きなこの島を各時代の文明が行き交う十字路として来ました。 日本ではマフ
ィアばかりが知られていますが、FDではタランテラが何曲も踊られていて陽気なリズムは私のお気に
入りでも在ります。 シーフードが豊富で特にマグロの産地で、有名なアイスクリーム等のスイーツと共
にグルメに大好評と食事も期待度大です。 この島だけ9日間で回るなんてこれこそ待っていた旅です。
孫育てのお疲れを癒すのにぴったりと即決定。 季節も春盛りの5月5日、お天気女ですからまあ晴れに
は自信有りです。 折からのインフルエンザ発生はちょっと嫌だけど、方向が違うからと余り気にしない
ことにして成田からローマで乗り換えて、実に家から26時間も掛かる長い子供の日と成ってようやく
州都のパレルモのホテルに到着です。 ドキドキしながら朝を待ちます。
[第55回] プラド美術館で名画にどっぷり マドリッド [2009年05月15日]
夕闇のセビリアを後に30分の飛行で首都へ。 寒い!先ほどより20度も低い13度であわててTシャ
ツの上にセーターを羽織る。 ヨーロッパでも標高の一番高いに在る首都だそうで寒いはずです。
ここで
のお目当てはプラド美術館。 連泊なのでフリーにしてもらい朝一番でかけつける。 夢だったベラスケス
の絵の前で見知らぬ人にシャッターを切ってもらう幸せ!ゴヤの黒い絵シリーズは外国に貸し出し中で
残念でしたが一人気ままにこの豪華な時間を楽しみます。
もう一つのお目当ての戦争の悲惨さを描いた
ピカソのゲルニカは別の所なので、何度も道を聞いてたどり着きます、実はこんなのが旅の醍醐味です
ね。 ソフィア王妃センターの大きな絵の前で感動ひとしきりです。 据わり込んで見ているといつの間に
か小学生30人ほどに囲まれて先生らしき人のスペイン語の説明を聞いていました。 社会見学でしょう
ね、言葉は分からなくとも指を指す方を見て大体のところが判ります。 戦争の残酷さを子供達も学んで
います。
午後は皆と一緒にトレドに行きましたがツアーの悪い所で私がゆっくりしたい所は少しだけで
、折角素晴らしい所に来たのに味気ない思いでトレドを後にします。
ツアーの2人がガイドに衣装の店
に連れて行って貰うはずがキャンセルされたので私に連れて行ってと頼んできました。 外は暗くなり、
セビリヤーナスの先生のくれたお店の地図も無くしたとかで半べそ状態。 ここならとタクシーを飛ばし
たのは一番の繁華街。 やっとその手の店を見付けて手当たり次第に買い物です。 私はカバンが満タンな
ので見てるだけでちょっと残念。 サルダーナの靴とか無理をすれば持てたかなと後でじっくり後悔もし
ました。 また来た時にと思ったのがもう15年も経ちました。
おみやげもたっぷりでカスタネットも沢
山買えたので楽しく帰国しましょう。
[第54回] 大聖堂の華麗さに驚くだけ セビリア [2009年04月15日]
今朝は少しゆっくりの出発、ホテルがアルハンブラの直ぐ近くなので9時の開門を待って一番で無人の宮殿へ入場!アルハンブラを独り占めした気分です。 最高のお別れになりました。 コルドバへの道は野の花が咲き乱れ、赤いひなげしが特に際立って揺れています。
11世紀に世界最高の文化と人口を誇っていたコルドバは、さすがと思はせるメスキータ(イスラムの教会)が在ります。最高の技術で作られた赤と白で彩られたアーチが引き立つ内部には深い祈りの場としての雰囲気が素敵です。
今はひなびたこの町へ当時は世界中からその文化を学ぶ人々が押しかけたのです。 バスは赤い大地を走りセビリアに。コロンブス以後の発展でスペインがどれだけの富を得たかの証明が大聖堂です。
大きさもさることながら黄金で溢れ、ここまでやるかと嫌味になるほどの装飾にただ呆れるだけ。 ほとんどの富を乱費し庶民は貧しさに耐えていたその後の歴史を知るものとして寂しく思わずにはいられません。 ここの港から世界中に略奪の船が出て行きました。その船の目印のヒラルダの塔へ。 息を切らして登るとそこにはセビリアの町が一望です。 実はこの町は海に面しているのではなく河を少しさかのぼった港で、驚くほどの小さな船で世界に乗り出していたのです。 街角でよく目にする陶板のマリア像に、家族の無事をただ祈る事しかできない庶民の悲しみを感じます。
夜遅くになって本場のフラメンコが始まりました。 こじんまりしてダンサーも5人程ですが、さすがに迫力充分で昨夜とは違います。 薄暗い中にカンテとよばれる良く響く男性の歌声にこれこそがフラメンコの真髄だと言われるのに納得です。
[第53回] アルハンブラは凄いぞ グラナダ [2009年03月15日]
国内線の航空機で何処までも続く広い広いオリーブ畑を越えます。 ここは昔からの5人の大地主が独占していてまだ貴族が勢力を持っているとか。
1時間ほどでグラナダに到着。 やたら日本語の上手なおじいちゃんのガイドが待っていた。 満開の藤の花が彩るこの赤い城こそイスラムがスペインに残した美しい夢だったと思う。 愛らしいライオンの噴水の広場、何気なく見える建物一つ一つのその内部の圧倒的な、緻密な彫刻で覆われた天井や壁のすばらしさ!。 これでもかとの迫力で迫ってきます。 鍾乳洞にも見えるイスラム独特の様式で、アラベスク(アラブ風)と呼ばれるものです。
何も無いところに居た砂漠の民が空間を埋めつくす装飾を欲しがったのは面白いものですね。 これだけの見事なものを残しこの地を追われ、アフリカに逃れたイスラムの悲しみが思われます。これで長く続いたレコンキスタ(国土回復戦争)は終わり、イサベラ女王は夫のアラゴン王と共にスペイン国王となったのです。
午後のフリーにイサベラのお墓のある教会で、コロンブスを支援し大航海時代の幕を開けた偉大な女王に敬意を表しました。 歴史上でも人間的でも私の好みの人なんです。 南部のアンダルシア地方は15世紀からのジプシーの文化が広く染みて、フラメンコを生み出しました。
狭い洞窟のようなジプシーの家で、家族総出といった踊りも見ましたがあまり好きとは言えませんでした。
ルーマニアでもそうでしたね。 アルハンブラが見渡せる丘でジプシーのおばさんと長いやり取りの末にカスタネットを何個か買うと言う体験もしました。
品質よりここで買うのが面白かったのです。 旅は色々の楽しみをくれます。
[第52回] サルダーナで胸いっぱい バルセロナ [2009年02月15日]
朝は早起きに限ります。 朝飯前と直ぐ近くの港へ、コロンブスの記念塔がお目当てで、治安がどの程度か分からないので少しどきどきします。
午前は市内観光で昨年のオリンピック会場とかに行きますが、やはりここならガウディの建築物が皆のお目当てです。 グエル公園のおもちゃ箱を開けたような楽しさにすっかり魅せられます。 サグラダファミリア教会の尖塔の迫力は見上げるだけでも大変なものですが。 階段を息を切らして上って見える景観と丁度鳴り響いた鐘の音には感動するだけです。大聖堂では日曜のミサの最中で美しい賛美歌に聞きほれます。
しかし何と言ってもサルダーナの音楽が始まって慌てて駆けつけます。 このツアーを選んだ理由がこの日のお昼にカテドラルの前で踊られるサルダーナに参加出来そうと思ったからです。 100円ほどを払って紙のバッチを胸につけ、思い思いのサークルを作り荷物は真ん中にまとめます。 6人ほどのバンドの音合わせも終わって始まりです。 独裁者フランコ将軍に40年以上も禁止され、彼の死で復活してからまだ10数年しかたっていない、自主独立のカタローニア人のシンボルがこの踊りなのです。
日本と違い生バンドのメュー?が手書きで黒板に書いてあり、恐ろしく腰の曲がった老人たちが曲が始まると生き生きとリーダー格となり、文字どうり飛び跳ねるように踊る様子には驚くと同時に胸が熱くなるくらい感動しました。 世話役らしい紳士が愛想よく話してくれているのがカタローニアの素晴らしさだと少しだけ分かります。皆が手をつなぎ心を合わせて踊る事の素晴らしさにここに来てよかった!。
その後のピカソ美術館や、夜のガウディの建物のライトアップ巡り等の素敵なシーンが沢山でもっと居たいよーと思わずには居られませんでした。
フォークダンスのサルダーナはここから>>
[第51回] カスタネットを買いにスペインへ [2009年01月15日]
長女がフラメンコを始めたのは08年の春からで、なんでFDでないんと聞くと、前からの念願だったとの事で、すでに練習用の素敵なスカートまでネットで買っていたので納得。 私に似てビジュアルから入っているね。
もう一度スペインに行きたいなー、セビリアのフェアリ(春祭り)の時にと言うのを聞きながら、そうだ私はカスタネットを買いに行ったんだと思い出した。 93年の初め頃加古川でホタをするらしい。 それならカスタが要るので、何時かはと思ってしっかりお勉強もしていたイサベラ女王の国へ3月の終わりの頃出発。
何しろこの国はイタリアと並ぶ歴史好きにはたまらない国だ。 古代ローマ、キリスト教、ゴート族、イスラム、、大航海時代の発展とその規模の大きい事は他では見られない素晴らしいものだ。 そして今回のもう一つの目的のサルダーナを本場のバルセロナで踊る事の元は、古代ギリシャの植民地だったサルディニア島から伝わったものだ。 決して新参のフラメンコばかりがもてはやされる国ではないのです。
早朝より列車、バス、国内線、国際線と6回の乗り換え!でバルセロナのホテルに着いたのは何と深夜の一時過ぎ。 時差の8時間を入れて28時間掛りのご苦労さんでした。 バスを降りる時の遅く着いた私達の話し声がうるさかったのか、上の階から突然水が掛けられて一同びっくり。何か怖いとこに来てしまったのかと少し気を引き締める。
もう日付けが変わり日曜日です。 今日からサマータイムで1時間早まるとの事で、午前3時に時計をセットし直してやっとベットへ。
カスタネットはここから>>
[第50回] 幻のカルタゴ チュニス 3 [2008年12月15日]
緑豊かな住宅街の中に静かにカルタゴの遺跡は在りました。
まずトフェと呼ばれる貴重な墓地へ。 年代を経た歴史がしのばれる小ぶりな墓石の並んでいるのを見てやっと私の胸のつかえがとれました。 まさしく石に刻まれた、崇拝されていたタニト女神の印があちこちにあり、カルタゴの息吹が感じられます。小さな洞窟もなにか由緒有りげで去りがたい思いです。繁栄の基となった港の跡に立ったときただ唖然とするばかりです。 予想はしていたのですがここまでとは思っていなかったからです。最先端の設備を誇った軍港と商業港の跡は、海岸の形が変わったせいもありますが、今は手入れの悪い池の在る公園となっていました。こんなのを観に来たんじゃないんだけどとため息が出ます。
後のローマの時代に作られた広大な町も、10世紀以降港があるのが災いして大理石の彫刻や立派な柱は船でイタリアなどに運ばれ、宮殿や教会の材料とされました。 今に残る物は土の下に隠れていたものがほとんどであまり良いものはありません。 まあこんなもんでしょうと思いながらも、長年の夢が淋しく消えて行く気分です。
チュニス湾の向こうのコウネリウス陣地が光って見えます。 ツアーを離れもう少しと遺跡を歩きますが暑さも在って早々に電車でチュニスに戻ります。
ぶらぶらと町を歩き、スーク(市場)に買い物へと行きますが週末とあって大混雑。仕方が無いので周りに出ている地元の人相手の露天で、観光用で無い庶民の暮らしを見て回ります。 タクシーに乗りドライバーさんの混雑する町でのテクニックとその料金の安さにびっくり!,しかもとてもフレンドリーで少しのチップに喜んでくれる。
心配していた食事と治安が予想外に良くて気持ち良くこの国にお別れ出来ました。
[第49回] フラミンゴとスーク チュニス 2 [2008年11月15日]
のどかな麦畑の中を進むバスの先は開発などで環境が危機的と言われる国立公園で、海につながる二つ
の湖に野生の鳥や魚、かわうそ等の動物も居ますが何といってもスターはフラミンゴ!。
今は移動の時
期なので心配しましたが居たんです、沢山の鳥達の鳴き声が遠くなのに良く聞こえて最高。
しかし水の
色は岸近くは濁っていてこの先が案じられます。 近くに大きな工場なども見えるんですから。
チュニス
の旧市街はグランドモスクを中心とした広いもので、スーク(市場)は祭日に土日を入れ四連休となっ
た買い物客で溢れています。 表からはそれと分からない立派な石造りの古風な装飾のレストランは時代
をタイムスリップさせて、表の喧騒とは程遠い穏やかな寛ぎの空間です。 さあフリータイムは時間との
戦いですから呼び込みのお兄さん達をかわしながらお目当ての品を探します。
タイコを叩いて呼び込み
をしているお店が在り、つい道草を食って一緒に踊ったりしてしまいました。 無茶な値段を言う店員に
こちらも負けじと頑張ります。 ダンス用の生地やスカーフ、おみやげの小物等まあ沢山の品で重い事。
明日もここに来るのですが楽しみですね。 バスで出かけたディナーはなんとカルタゴの遺跡の直ぐ近く
なんです。 待ちかねている私としては早く行きたくてうずうずしているのに、明日までお預けです。
今
は高級住宅街となっているこの地のレストランの優雅で素晴らしい雰囲気と料理にはすっかり参ってし
まいました。 暖炉に燃える火を眺めながら(夜は寒いんです)のシーフードは恋人と来る様なお店でし
た。 きれいなお庭から見た星空も忘れられません。
明日こそカルタゴとの対面です。
[第48回] 首都へ帰ってきたよ チュニス [2008年10月15日]
地中海から昇る朝日をベットから眺めるハマメットのホテルは贅沢そのもの。まずは評判のフリーマー
ケットへ。
広い草原に何百と言うお店で、早くも大勢の人だかり。急いでスカーフを探します。地元民
らしい女の子とこれどうかしらとわいわいと盛り上がり六点を買い上げ。野菜から家具までの何でもあ
りで面白いですね。
地中海に面したケリビアのビザンチン時代の砦跡は、高台から眺めると港に広がる
民家が白く光っていて絶景です。遺跡に満開の黄色や紫の野の花が咲き乱れていて絶好の写真スポット
で皆を熱狂させます。カルタゴ時代の唯一とも言われるケルクアンの遺跡は海に囲まれた風景は最高で
すが、つつましい規模でとても私を満足させてくれません。後もう少しでチュニスへと来た所で二本の
角の形の山が見えます。ここがローマ軍の名将スキピオがカルタゴとの戦いの基地としたコウネリウス
陣地なのです。チュニス湾の向こうのカルタゴの町を望んでどんな思いを抱いたのだろうと自分の事の
ようにわくわくします。これは今までどんなにお勉強していても感じなかった事で、やはり現場に来て
初めて分かる事です。ここに来て良かった!
初日と同じホテルなので気が楽なので、近くのスーパー
をのぞきます。お土産に何が良いかと探しますが、やはりあれだけのナツメヤシの素晴らしい林を見た
のだからナツメヤシ製品をと、干し柿の味のする干した実と、匂いは強いが地元の主婦ご推薦の石鹸に
しました。
食事が美味しいので日本から持ってきたおやつなどが全然減りません。何か食べるものを買
う気にならないのは本当にうれしい誤算でした。何時もならあれこれと物色するのですが。ディナーに
出た煮付けの魚!がまた美味しくて嬉しくなります。明日も楽しそうですね。
[第47回] 地中海の古都へ スース [2008年09月15日]
サハラ砂漠にさよならをしてバスはひたすら北を目指します。荒地の山の中に地下の町で有名なマトマ
タがあります。侵略者のアラブ人から身を守るために土着人が作った地下の家で、スターウォーズのロ
ケ地にもなったので今では観光地となっています。
民家を訪問などもしました。トルコのカッパドキア
の地下の利用はとても広くて色々ありますが、ここのは小さくて簡単なものです。ロケ地の一つのホテ
ルなども素朴な作りが返って人気らしいですね。荒涼として風が吹きすさぶこの地は実は地中海からそ
う遠くなくて、小さな国土に多様な風景が楽しめるチュニジアの魅力の一つです。土埃が少なくなり道
が良くなって周りがオリーブなどの畑の緑に彩られ、民家などの建物が立派になってきました。
赤く大
きな建物が眼に入ります。ローマ時代の世界で三番目の大きさのエルジェムの円形闘技場です。剣闘士
とライオンなどの猛獣の戦いが繰り広げられ観客を熱狂させていました。三世紀当時のハイテクを使用
した設備が自慢だったようで、土地柄、猛獣には事欠かなかったでしょうが地下の設備跡はなにか不気
味です。
青い海が見えます。サヘルと呼ばれるこの沿海地方は穏やかな気候が特産のオリーブをはじめ
として豊かな農産物をもたらし、交易に適した港を持つので古代より争奪戦の中心でした。ここからあ
のハンニバルが決戦の地ザマへ向かい、英雄カエサルが北アフリカ支配の拠点とした地、それがサヘル
の真珠と称えられたスースなのです。
白砂の海岸が広がり観光にも良くヨットハーバーやビーチはとて
も整備されていて立派です。今夜のビーチ沿いのホテルは豪華で気持ちが良いのですが、とにかく大き
すぎて何棟もあるので迷子になりそうです。
広い庭を抜け夕日をビーチで眺めていると、遠くに来たな
あとの思いで少しおセンチになります。これからは食事も期待できそうで楽しみ楽しみです。
[第46回] サハラ砂漠は楽しいな ドゥーズ [2008年08月15日]
まだ真っ暗闇の中、道なき道を4WD車はヘッドライトを頼りに大きくバウンドを繰り返しながら進み
ます。 目指すは砂漠に昇る日の出!。 腰痛の私にはチョッと怖い展開です。 ドライバーのモハメット君
、大きな身体に似合わずおしゃべりでなかなかのサービス屋です。 私がパリダカールラリーのようだと
言うと、いや大阪ダカールラリーだと返してくれる。 特にひどい道で大きくバウンドする時はマッサー
ジ!と叫ぶ。
冷ややかで静かな砂漠の彼方の薄い雲を茜色に染めながら陽が昇ってきます。 歓声を上げながらアフリ
カに来たことを実感します。 この辺りは{スターウォーズ}のロケ地だとかで撮影のセット跡が観光の
重要ポイントのようです。
アルジェリアとの国境近くの山岳地帯の、深く切り裂かれたような渓谷美は砂漠とは又違った面白さで
す。 沢山の子供も交えた物売りの品は、置物に使う砂漠のバラと呼ばれる本当にバラの花のような褐色
の大小の岩なんです。
鏡の面ような平らな白い大地が何処までも続く一本道は広大な塩湖の中道で、きらきら光る塩に強い日
差しがまぶしく照り返して、不思議な世界を作っています。 昔サハラは海だったのですね。
さあようやくこの旅の南限、オアシスの町ドゥーズです。 ラクダに乗っての夕日ツアーへ出発。 三度目
になるとさすがに気楽に乗れますがそれでも一こぶラクダは背高なので、ゆれるに任せるのも気を使い
ます。 風が作る美しい風紋が砂漠を彩り、空には観光用の複葉飛行機が飛んでいて、いまどの時代なん
だろうと浮き浮きしてきます。 時間が過ぎ諦めて帰ろうとする頃、頑固な夕日がゆっくりと沈んでゆき
ます。
昨日と違い大きくて豪華なホテルで、なんといわしを初めとしてシーフードがとても沢山あります。 こ
こでこんな美味しいものに出会えるなんて嬉しい事です。 心配していたのが嘘のような毎日です。
[第45回] ローマンアフリカの果て ドズール [2008年07月15日]
ドアをノックする音で目覚める。電話が無いとモーニングコールも素朴そのもの。
聖都の観光は命の水
とも言える古くからの貯水池から。グランドモスクはアフリカ最古の風格を見せて堂々としている。近
隣のローマ遺跡から運ばれた大理石の素晴らしい列柱のアーケードが圧巻です。
マグレブで一番美しい
と言われるシデイサハブ霊廟は祭日とあって色取り取りの目を奪う民族衣装の沢山の人が楽しんでいる
ので、ゆったりとしたその美しさに観ていてドキドキしてしまいます。中央アフリカからでしょうか色
鮮やかな揃いの衣装のバンドも居て、チップを上げてにぎやかなアフリカの音楽を楽しみます。
バスが
土埃を巻き上げながら行くオリーブ畑の先に在るのがビザンツ帝国のスベイトラの遺跡です。イスラム
軍に破壊されましたがその規模といい、保存状態といいかなり良いものです。赤い岩で作られた三つの
神殿は想像以上の大きさで迫力充分です。道は南へと続き、サボテンで囲まれた畑から一面にとげのあ
る草の砂漠へと変わっていきます。遥か彼方の緑の帯が近ずくとオアシスのナツメヤシの広大な林だと
分かります。ローマ時代の南の果ての町、チュニジア一の大オアシスのドズールです。スーク(市場)
の近くのホテルなので買い物に飛び出します。
民族衣装を買おうとしてもサイズがかなり大きくて、品
質にも問題ありありで珍しい物も有るのですがどうにも買う気が起こりません。学校が春休みに入って
いるとかで町もホテルの中も若者で溢れています。夜遅くまで騒ぎ声が響いていました。
[第44回] モザイクの海の中で チュニジアーチュニスー2 [2008年06月15日]
古風な建物も立派なバルドー博物館は世界一の名に恥じないモザイクの宝庫です。
その膨大な量だけで
なく、細かい無数の色石で描かれたモザイク画は色も美しくてデサインの斬新な事と保存状態の良さは
、今まで各国で見て来た物との違いに驚きます。すべて国内の遺跡からの発掘品ですが、古代の人々が
いかに沢山の宝物をこの地にもたらしたか、その文化の高さが分かります。
カルタゴ発掘の大小の有名
な仮面達が輝く様に私の心を虜にします。まだまだ見たいけどツアーの時間は無情です。のどかな田舎
をひたすら南へと急ぐ道の周りは、麦畑の青々したふちをアーモンドの白やピンクの花が彩っている。南に行く程に乾いた大地にオリーブ畑が広がります。
前方の白い煙が何かなと思って見ると、何と対向
車の上げる土ぼこり!です。ドゥッガの遺跡への道は遺跡そのものより旅を楽しませます。暑い日差し
の中を見学です、ローマ時代の農産物の集積地だったドゥッガは、予想に反してこじんまりして見るも
のが少なくがっかり。パンフレットで必ず観る門の向こうの神殿も規模の小さい事。これが一番の遺跡
なら後が分かるなと少しブルーな私です。しかし歴史好きなら胸がときめくカルタゴの将軍ハンニバル
のザマの合戦場の近くで休憩。小さなお店のオレンジジュースの味と安さにもうすっかり上機嫌。
バス
が急ぐ先はアフリカ最初のイスラムのモスク(教会)が在り、メッカ、メディナ、エルサレムに次ぐ聖
地のケロアンです。今は農地も少なくなり砂漠に近い荒地の中、アフリカに於けるイスラムの拠点は、
当時は交易の中心でした。
古びたホテルの部屋は正に質素な巡礼にぴったりで、バスタブ付きなのが観
光客用と思わせるだけで何にも無い。テレビも無いから明日に備えて早寝しましょう。
[第43回] 遥かなり、カルタゴ チュニジアーチュニス [2008年05月15日]
カルタゴ、 私の旅もそろそろ終わりと考えて決めたこの地は、地中海の青い空と海に映えて、溢れる
ばかりの黄色のミモザの花盛りが迎えてくれた。2500年前、小さな船で地中海はもとより、遠くア
フリカ西海岸や北海地方まで貿易して、海運国として最強を誇っていましたが、ローマとの百年間に渡
る、世界史に有名な三度の壮絶な戦に破れた末滅びたのです。レバノンのフェニキア人はアルファベッ
ト文字の発明で有名です。
カルタゴはレバノンのチュロス市のアフリカ北部での植民地だったのですが
母市を凌ぐ大国になりました。アフリカも当時は農業が盛んに出来るだけの雨に恵まれて、小麦やオリ
ーブ、果物などの大生産地でした。
さあ真夜中に関空を出発。ドーハで乗り換え翌日午後首都のチュニ
スに到着。日本よりだいぶ陽射しが強く暑いようです。青い空に風が少し埃っぽいのがアフリカを感じ
させます。夕方までのフリーにホテルの近くの街をぶらぶら。バス停で可愛い中学生位の女の子二人と
仲良くなりお話なぞして幸先が良さそうです。
夜はディナーシヨー。民族音楽のマールーフは、アラブ
人がスペインを支配していた頃からのもので、ザクロウ(立て笛)とメズエット(ガイダ)の二人がと
ても良い音を出して皆をワクワクさせてくれる。ベリーダンサーも出てきて踊りを促すので腰が痛いの
に、少しだけよと楽しんでみます。
シーフードを食べながら気になるのは明日からの、砂漠へまっしぐ
らの感じのスケジュールです。日本食大好きの私の心配は食事!。どうにもアラブの料理が苦手なんで
す。夜景が昼間の埃っぽさと暑さを忘れさせてくれます。明日も暑くなりそうです。
[第42回] アンコールワットよ永遠に [2008年04月15日]
連日の遺跡めぐりですっかりこの地の素晴らしさに魅了されました。朝日に輝くワットはまさしく地上
の楽園です。
しかしこの国はまだ内戦中、銃などの武器が溢れているとか。あちこちに居る兵士は銃を
手放しません。ワットの夕日見物に皆が上階に行き、人の気が少ない第1回廊の2百メートル程の4辺の
周囲を回って観ようと歩き出します。すぐに人が近くに居ないと、とても恐ろしい事に気付きました。
あたりは薄暗く、角を曲がった所に銃を持った不審者が待ち伏せていないかと恐々で、壁のレリーフも
ろくに見れません。しかしこんなチャンスは2度と無いと頑張りました。この時の勇気がその後の旅で
の困った時の自信になったのです。
ホテルでのアプサラ(天女)ダンスのショーはNHKテレビで紹介
していた先生の教え子達。ポルポト時代の数少ない生き残りの踊り手で、貧しい孤児達の自立の為、自
費で活動をしているとか。14,5歳位までの子供達の精一杯のダンスに盛大な拍手を送ります。仲良くな
ったバイクタクシーのリャイ君のお陰で、フリーにはあちこち出かけて楽しめます。ワットの第三祠堂
の急坂も手離し!でかけ上がります。
最後の朝、大急ぎでワットにお別れにいきました。もう、物売り
の子供達の姿が見えます。いつかこんな光景が無くなって欲しいと思いながら、がんばってねとひそか
なエールを送ります。 さよなら。
[第41回] クメールの微笑み アンコールトム [2008年03月15日]
ナーガと呼ばれる大蛇が守る「大きな町」が、素晴らしい彫刻の宝庫トムです。隣国のチャンパ人との
戦いの中、仏教で国を守ろうとした王の意思がこの広大な石の都を作りました。
インド神話が中心のワ
ットと違い、珍しく庶民の様々な生活が見える、チャンパとの戦いのレリーフが埋め尽くす第一回廊の
、崩れた壁の向こうに見えた別世界、それがバイヨン寺院です。百七十以上もの巨大な仏像が見渡す限
りにあり、一様にクメールの微笑みと呼ばれる不思議な表情を浮かべて静かに私を待っていた。全ての
民を救う観音像は4面の顔を持ち、異次元の雰囲気を放っている。物音も無く人影も少ないせいか、恐
れ多いとはこんな気持ちかなと手を合わせる。ここに来られて良かったと素直な心の私でした。
フリータイムに町中に行こうと、勇気を出してバイクタクシーを止めた。危険だと言われていたが、ここでは
バイクが頼りのようなので、人の良さそうな若い人をさがす。それがリャイ君だった。オールドマーケ
ット迄1ドルで交渉成立。荷台にまたがりドライバーの服を握り締める。風が吹き抜けるその気持ちの
良い事。危ないなんてもう頭のどこにも無くなった。
バラック建てのそれでも奥行きのある薄ぐらい市
場の、私のお目当てはダンスに使う布地です。シルクなのになんでこの値段なのと、気安く買う私を上
客と見たおばさんが、奥から出した黒地に金のプリント地には、本当に飛びついてしまう。物価の安い
所は気持ちが良いですね。買い物好きにはたまりません。思っていたのと違い気の良い人が多いと分か
り安心。
地雷が怖いから道路からはずれないけど、どんどん、あちこちと歩き回ります。.朝まだ暗い中
から人が働いています。日中の暑さを考えたのですね。雨季に備えた民家は2階が居間の造りになってい
て、ろうそくを明かりとしている家も見かけた。ホテル近くの川沿いは気持ちの良い散歩コース。雨季
にはこの辺り一面を水浸しにするほどに降る雨のお陰で、アンコールの6百以上もの寺院等が作れたので
す。水こそ農業の基盤なのは今も昔も同じです。治水は歴代の王が最も苦心を重ねた事でした。
マダマダお楽しみは続きます。
☆ 上記の黒地に金のプリント地で作ったコスチュームはここから >>
[第40回] 天女の舞が溢れている アンコールワット [2008年02月15日]
小さなプロペラ機でひとっ飛びのタイ国境近くのシェリムアップへ。
内戦の続く政情不安の為、陸路、船では強盗が多発しているので、カモの観光客はこれが頼りらしい。ようやくあの有名な五つの塔を見るのです。しかし全体が見えるまでには周りの大きな水堀の橋を渡り、広い境内の中をかなり歩いてよ
うやく池の前に立つと、其処が最高のビュウポイント。息を呑むほどに素晴らしい姿です。
クメール人の9世紀から14世紀に掛けて、歴代の王たちの権力の象徴です。インド文化の南端としてのヒンズー教
の伝説による浮き彫りが特に迫力が在りますが、仏教の時代の物もあり、ガイドの話が興味深く目が離せません。
私の好きな飛天が無数に描かれています。敦煌も良かったけどこれも最高の飛天達です。浮き彫りは広い第一回廊が特に見事で見飽きる事がありません。上部へ行き、第三回廊への石段を見上げて絶句しました。高所恐怖症の私が手すりも無い急斜面を登るのですから。さすがに見晴らしは良く、緑のジャングルに囲まれた石の都が夕日に浮かんでいる様は喜びでいっぱいです。
ホテルが曲者でした。植民地時代からの建物は、高い天井や大きなフランス窓、広い階段と当時はさぞ素敵だったでしょうが、なにせ古すぎます。4月から改装のため休業とか。一年後は超豪華ホテルに変身したそうです。実はここで、私の数多い旅の中で唯一、盗難に会いました。娘たちへのおみやげの宝石とお金が少々、残念!
前には広いフランス風庭園のホテルの隣がなんと軍隊のディスコ会場!といってもただの草原です。
明け方近くまで大音量の音楽が聞こえるのには参ります。3泊でカンボジアの人気曲にすっかり詳しくな
りました。
明日にも近くの戦場へおもむくだろう若者達を考えると、せめて踊って死の恐怖を紛らわす
のも必要なんでしょう。平和な日本に居ては考えられない世界です。
明日もお楽しみは続きます。
[第39回] 未知への旅 カンボジア [2008年01月15日]
カンボジアのシェリムアップ{アンコールワットの在る町}への、関空から定期チャーター便の開通と
の新聞広告を見て、感慨に浸ってしまう。
95年12月、旅行会社からお正月のウズベキスタンの旅が
人数不足でキャンセルとの知らせ。やむなく同日出発のカンボジアへ潜り込む。まったく予想外の地区
なので、お勉強が大変なんだけどなーと、仕事柄それでなくても忙しい師走に図書館へ。
無い、ほとん
ど無い資料にお手上げ状態。わずかの情報の中になんとまだポルポト派との内戦中で、タイとの国境近
くに在るアンコールワットは戦場から程近いとの事。バラ撒かれた地雷の数もはんぱではないらしい。
そんなの聞いてないよと言ってる内に1月1日のタイ航空の旅が始まった。
クリスマスと正月両方のイル
ミネーションが彩る華やかなバンコックは、6年前の正月に訪れた時より格段に街がきれいになり、な
により世界最悪と言われていた交通渋滞が良くなっている。地下鉄も出来たようだ。相変わらず人でい
っぱいの中心地で美味しいタイしゃぶに満足して1泊。
ようやくお待ちかねのカンボジアの首都のプノン
ペンへ。これが国際空港かなと思うほど古びて小さな暗い建物の設備はまだましで、係員達の横柄な態
度にはあきれるだけ。売店の店員までがそうなんです。社会主義国時代の悪い癖が消えていません。
タイも暑かったけど、ここの暑さはさすがです。汗を拭きながら見上げる高いやしの木に空の青さが目に
染みます。
さあこれからです。心を真っ白にしてなんでも楽しんでみましょう。
[第38回] 首都からイスタンブルへ [2007年12月15日]
赤ガワラの古風な可愛い家並みが谷間に広がるサフランボルから首都のアンカラへと急ぎます。ヒッタイトの遺物では世界一の考古学博物館へ。アンカラ城そばの15世紀の隊商宿跡で、大きな石造のライオン像のとぼけた顔が沢山並んでいる、私の大好きな場所。ヒッタイトの遺跡を見てきた後では余計に有難みがあります。以前の熱狂からさすがに2度目になると、大分落ち着いてあれこれ楽しめるものです。
さあ、空路ひとっ飛びで最終地のイスタンブルです。色とりどりの明かりに照らされたこの町に、3度目の訪問です。ヒルトンホテルのベリーダンスショー。二人の若手の華やかな踊りに続き、壺を持った男女の踊りなどのフォークロアショーの後、舞台に上る観客を募っています。勿論手を上げて楽しくダンスに参加。なにしろトルコに来る度に踊れる機会を探して歩いていたのですから。ツアーの皆がとても喜んでくれたのがうれしいことでした。
トリのダンサー、当代一と言われるだけの素晴らしい踊り手で、以前NHKTVでも紹介されていてぜひ見たい踊りだったので、もしかしてこれが今度の旅のハイライトかなとも思うほどです。しなやかでいて力強い美しい腰や肩の信じられない位の動きに満場の観客もただ魅入られるだけ、心に染みました.。
最後の日のグランドバザールでの買い物中、ツアーの方がパスポートを夫婦二人分摺られるという大事件が発生。三時を過ぎていたのに警察、大使館と事が順調に運んだようで、夕食には今夜皆と一緒に帰れると分かり一安心。ご本人はしょんぼりしていました。今までこのような事態に会った事が無かったので、もし一人旅なら対処出来ないなと、これからの旅を考えてしまいます。
19年振りで田舎も見てきましたが、観光客の多いことにまず驚き、経済活動が活発になり、豊かな部分が増えた事が良かったが、お気に入りの静かなたたずまいが、お土産屋さんだらけになってしまうのは困ります。素朴さを無くさないでと思うだけです。さよなら、私のトルコ!
[第37回] ヒッタイトの幻の都にて ボガスキョイ [2007年11月15日]
奇岩の谷にお別れしてバスは北へ行きます。念願のヒッタイトの都を見て、サフランボルまでの600
キロ!。長年の夢の達成に心ははやりますが先はまだまだ。乾燥した緑のまばらな荒れた野原から、緑
が少しふえてきました。白い岩肌が目に付き始めます。
さあいよいよです。まず、ヒッタイトの聖所の
ヤズルカヤへ。紀元前13世紀の神殿跡の壁に残る多数の神々の行進像、王たちの凛々しい姿が浮き彫
りになって待っていました。感激です。周りの外国人たちと、その素晴らしさに思わず感嘆のことばを
言い合うほどです。
急いで都の跡のハットウシャへ。今は小さな村ですが、エジプトとも対等に戦った
、世界で最初に鉄で武装した大国ヒッタイトの中心地です。見事な石組みの幅の広い城壁と敵に対する
突撃のトンネル、門を飾る王やライオンの像など、夢にまで見たものばかりです。
大城塞から眺めるこ
の広い遺跡をくまなく見る時間が無いのが残念。風化してほとんどが壊れた大きな貯蔵用の壺が並んで
いて寂しい気分もします。おまけに多数のおみやげ物屋のしつこい押し売りにあきれます。でもがんば
って交渉して楔形文字の粘土板を手にいれました。バンザーイ!後はもうどうでも良い気分です。
バス
の外は川に水が沢山流れ、木々の緑が色濃くなってきました。夕焼けの中にサフランボルの可愛い町並
みが見えます。ホテルは古い木造の民家を素敵に改造したもので、オスマン朝時代の暮らしに浸れます
。
夕食後、皆と石畳の路地をショッピングして良さそうなスプーンも見つけました。中々欲しいのが無
かったのでうれしい。写真に詳しい方にレクチャーを受け、満月の町の写真撮影にも挑戦します。
今日
は夢の旅のハイライトの1日。大仕事の後の気分でおやすみなさい。
[第36回] 見てはならないもの カッパドキア [2007年10月15日]
大昔、火山噴火の溶岩と現在まで続く風雨が作り出した不思議な形の岩が、見渡す限り広がっています
。
あまりの異様な風景に、ギョレメ(見てはならないもの)と言われているのです。3貴婦人と呼ばれ
る3本のきのこ岩の前でお久し振りと手を振ります。自然の傑作の奇岩がアーモンドの樹陰の彩りで引
き立っています。前は満開の白い花の時でした。奇岩をくり抜いて色々に使います。案外柔らかいんで
すね。人家、家畜小屋は勿論、昔キリスト教徒の密かな修行の場で、小さな教会が沢山有り、11世紀
からの素朴な宗教画が良いですね。古くから作られた地下都市も有るんです。何十層もの巨大なもので
、水の補給、外敵への備えも万全で驚かされます。
何処でもまず目に付くのはお土産屋さん!多いんで
す。名物の魔除けの目玉をあしらった品々とか農家の女性お手製の人形、レース編み付きのスカーフ等
つい手がでてしまいます。
さあこのツアーの目玉、奇岩の谷を見下ろしながらのトレッキング!看護婦
さんまで同行です。若い優しそうな人でした。緑が目にうれしいポプラやぶどう畑を抜け、ガタガタの
車で山の中ほどまで送られます。
さあ歩きましょう、川筋に沿って涼しい風の中をひたすら登ります。
皆が無口になる頃、明るく見晴らしの良い崖の上に出ました。そして驚くのはその眺めです。奇岩の谷
が眼下にどこまでも広がり、遠くの山も珍しい色と形をしています。足元には野の花が咲き乱れて、「
ずーっとここに居たいよね」、「気球に乗るよりいいかもね」、と楽しい声が響きます。
今から人気の
出るコースと言うのに納得です。下りが又素敵なんです。尾根道の周りはこれがパノラマだと言える素
晴らしい眺めが続き、足に自信が無い私でも難なく楽しんでしまいました。
自然の芸術に酔いしれた1日でした。
お手製のトルコ人形はここから>>
[第35回] シルクロード遥かなり トルコーコンヤ [2007年09月15日]
朝早くからバスは東へとひた走りに広いアナトリアの大地を急ぎます。黄色に白、赤に紫と咲き乱れる
道端の花々が彩る畑や、遠く、近くに見える山々をもっとゆっくり眺めたいんだけどなぁ。白くキラキ
ラと輝くのは塩湖で、行けども遥か遠くまで光って美しい風景を見せます。
以前に比べて道が良くなっ
た分、どの車も飛ばすのでちゃんとスピード違反の取り締まりもしています。やっとコンヤの町が近付
いたようです。なんと高層ビルが建ち並んでいます。落ち着いた宗教的な古都として私のお気に入りの
地だったのに、今は大麦等の農業センターだけでなく、大学を中心とした近代的な工業都市へ変貌しつ
つあります。華やかに彩られた町並み、しかし人々は素朴で日本人と判ると笑顔で話しかけてくれます
。地方から来たのでしょう、馬車もまだ元気良く通り過ぎていきます。
11世紀からこの町の興隆と共
にアナトリアにイスラムがひろがりました。さすがに観光客だけでない熱心な信者の姿をメブラーナ寺
院等でも沢山見かけます。さあまだ道半ば、急ぎましょう。バスは東へ東へとスピードを上げます。
ど
こまでも真直ぐな道、今も大昔も人や文化が通って来たこの道。あたりは乾いた大地が広がって羊の群
れがそこここに。それでなくても半砂漠状態のこの地は今年記録的な暖冬で降雪が少なかったのです。
高い山にも雪は無く、雪解け水を頼りにした大麦畑には、育ってない大麦が無残にわずかな緑を作って
います。あれれ、大変!前方の干草を山のように積み上げたトラックがよろけ荷崩れを起こし急ブレーキ。良い気分で
寝ていた干草の上の男は大慌て、さあこの後どうなったかな。
先を急ぐ私達。夕焼けがすっかり暮れな
ずむ頃、奇岩があちこちに観えてきました。ようやくカッパドキアに到着です。
[第34回] 温泉で遊ぼう トルコーパムッカレ [2007年08月15日]
黄金色に熟れた大麦畑の向こうに連なる山並み、中腹が白く見えてきます。お待ちかねのパムッカレで
す。古代より豊かな地で温泉まであると言う恵まれた条件で、健康を願うお金持ちの人々の保養所的な
町が出来たのです。
ローマ時代の遺跡はざあっと見て、棚田のような白い石灰岩の無数のプールがお目
当てです。前は3月末で寒くて入りませんでしたが、青空の暑い5月の昼間、足だけの温泉ですが、時
間いっぱい遊びましょう。
景観保護のため、以前のようにどこでも良いのでなくて、決まった所だけで
すが急いでお湯が勢い良く出ている所へ。この温泉が周りに流れて、長い年月を懸けて見渡す限りの白
く輝く階段状の石灰棚を作り上げています。また其処にたまった温泉が青空と同じ色なんです。自然は
とんでもなく美しいものを見せてくれます。歩いていると下が滑るので、近くの人(各国の観光客やト
ルコの人)と自然に助け合って笑顔のお返しがすてきです。
子供達のはしゃぐ姿にこちらまでうれしく
なります。ここからの眺めは白い石灰棚の向こうに広い畑がどこまでも広がっている。直ぐにホテルへ
。
美しい庭にあるジャグジーの温泉は木の葉の浮いたグリーンのいかにも効きそうな感じ。腰にも良さ
そうだね。水着を着ているからあまり温泉と言う気がしないけど。しかし何でこんなに深いのよ。いく
ら背高さんのドイツ人が主なお客さんだからって、チビの私はおぼれそうです。
明日は7百キロ近くを
走るとの事。バスの旅はまだまだ続きます。
[第33回] トルコーイオニアの春 ペルガモン、 エフェソス [2007年07月15日]
下から吹き上げる風に転がり落ちそうな急傾斜の大劇場の客席に18年前の健康で意欲に満ちた私がい
た。よく飛び出して来たねと、お疲れの今の私が心からの感謝を込めてつぶやく。ここが私の旅の原点
。歴史好きなら聞くだけでもゾクゾクするイオニア地方に来ることが出来たのです。
仕事も家庭も置い
て出かけるには迷いがありましたが、今となっては大正解だと思うのです。あの頃は勉強も楽しく、旅
の一部と思ってがんばって来た意欲が今はどこかへ。忙しいからこそ旅で自分自身を見詰め直すのです
。目に入るもの全てが新鮮でまばゆい思いを感じたものです。さあ、今の私も気持ちを新たにしてこの
旅を楽しもう。
さくらんぼが彩り良くゆれています。大麦畑、オリーブ畑や果樹園がどこまでも続くエ
ーゲ海を望む道からは、トルコの食の豊かさが分かります。パンが美味しいんです。広大なエフェソス
の遺跡ですが、とにかくすごい人。大型のクルーズ船が3隻も寄港して、ここに押し寄せているとか。
日本人も大勢なのは前は無かった事。アネモネの花がひっそりと咲いていて、静かだった面影はもうど
こにもありません。
木綿の産地で有名な当地でのお目当ては可愛いブラウス。細かい刺繍と手編みレー
スがとても綺麗で、丈夫でお洗濯にも強くてダンスにぴったりなんです。以前より10倍は多くなった土
産屋を探し廻ってやっと何枚かをゲットできましたが、良質の手仕事の品をほとんど見かけないのがと
ても残念です。あれほど店先に溢れていた素敵な品々は今は幻です。でも、どこにでも居た子供の物売
りが居ない事。これは進歩でしょう。バスに群がるような姿は見たくないですから。これから先、どん
な変化を見せて呉れるのでしょうか、楽しみ、たのしみ。
[第32回] トルコー19年目の総括 [2007年06月15日]
ハッツトウシャーヒッタイトの都の丘に立って、とうとう来れたと胸がいっぱい。
昔、旅のはじめをトルコにしようと決めたのは、この謎の民族について少しでも近ずき
たいとの想いから。私の旅もそろそろ終わり頃なので原点に戻って見ました。以前は国内線でイズミー
ルまで飛んでしまった道を、マルマラ海に沿ってバスでのんびり。青空に麦畑の黄色を取り囲む草花が
鮮やかで、心をなごませます。
古代からの交通の要、ダーダネル海峡をフェリーで渡る時、どれだけの
戦いがこの地を得る為に繰り広げられた事か。歴史上最も有名な海峡ですが、地元の子供達と笑顔を交
わしていると直ぐにアジア側に到着です。トロイ戦争もこの地の利権をギリシャが奪おうとしたためで
した。そのトロイに着くとなんてことでしょう、雨粒がぽつり。聞いていたよりは広い遺跡を小雨の中
、古い年代からの発掘の跡を、心ときめかせて見回します。
このヒサルリックの丘はすべてシュリーマ
ンの功績で語られますが、事実はとんでもないものなのです。歴史は大きな声で主張したものを認めて
しまう好例です。木馬の前でも複雑な気持ちです。トロイの木馬は本当に当時のことなのか?。大いに
疑問視されるものなのですから。と思いながらも喜んで写真にポーズをとる私。天気予報はこれからも
雨の様。ようし、晴れ女の出番です。ホテルは松林の中のリゾート用のコテージ。浜辺で水と戯れ、し
ょっぱい味も楽しみます。
エーゲ海に赤く大きな夕日が海面を彩りながら沈んで行きます。明日からが
センチメンタルジャーニーの始まりです。
[第31回] 首都ソフィア コスチューム三昧 [2007年05月15日]
ブルガリアの首都ソフィアはアドリア海と黒海を結ぶ交通の要として、古代より栄えていました。当時
の遺跡が地下鉄の通路から見える所に有り驚かされます。ヨーロッパではマドリットに次ぐ高原都市で
、あわてて上着を取り出す肌寒さ。中年の女性ガイドはいつも不機嫌そうでサボってばかり。治安が良
くないと何度も脅すように言うので、にこやかだったルーマニアのガイドが懐かしくなります。事実ど
こへ行ってもジプシーの一群に取り囲まれるので気が抜けません。これほど雰囲気が悪い所は初めて。
のんびり笑っていられません。
4世紀の古い教会やバルカン一豪華な教会を見てもなにか心が燃えてこ
ないのです。フリーで街をあちこち歩き、中央市場でチーズ等を買ったり、民族衣装の店を探してみた
りとしますが、この街との相性はもう一つ。
ところがバスで出かけたディナーショウですっかり上機嫌。カザンラクで求めたコスチュームが皆に褒
めてもらえるし、舞踊団の得意はトラキアらしく、同じような衣装が溢れています。もう夢心地。お馴
染みのダンスも次々で、そうこなくてはねと、内心踊りたくてうずうずします。ダンスの休憩に歌手が
ネベストを歌っています。今なら良さそうと踊りだしたら、観客からすごい応援の声!歌が終わって席
に戻るとなんと隣の外人の男性から大輪のガーベラをかわいくアレンジした小さな花束と、プリマドン
ナへというイキなメッセージ!まあ、日本では無い事でしょう。ホテルに帰ってもうれしくて、つい笑
顔になるんです。
翌日はバスで険しい山道を2時間、岩肌も見える森の中、ブルガリア人の魂の拠り所と呼ばれるリラの僧
院へ。10世紀から続くブルガリア正教の大本山で、幾多の火災などにもめげず、民衆の祈りの場とし
てだけではなく、民族の文化を守る砦でもあったのです。壮大な建物すべてに深い思いが溢れています
。
午後のフリーに民族博物館へ。有りました、目を見張るほど美しい沢山の衣装たちです。館内では衣
装やベルトなども買うことができたのです。欲張ってもっともっとと、街の小さなノミの市で古そうで
すが品質の良い衣装を見つけたりもします。やっと気持ち良く日本に帰れます。イブ! お待ちしてい
ますね。
☆ ☆ カザンラクで求めたコスチューム(民族衣装)はここから >>
[第30回] 黒海の風に吹かれて ブルガス [2007年04月16日]
バラの谷にお別れして、ひたすら東へ東へ。
今はサクランボの季節のようでどこへいっても道端の農
家の庭の木が大きく茂り、赤黒く熟れた実が風にゆれてバスの窓から手が届きそうでワクワクしてきま
す。
さあ黒海の港町ブルガスです。古くはギリシャ人によって黒海沿岸貿易が盛んでしたが、今も港町
として、物資の流通の要、石油コンビナートなどが林立しています。
今日も最高級の高層ホテルとの事
ですが、建物が大きなだけ。3基しか無いエレベーターののろい事。部屋からの眺めは良く、連泊なの
で少しゆっくり出来そうです。
翌朝浜辺へ出かけてみます。少しかすんだ遥か遠くがウクライナかな、
なんて考えては楽しめます。遅めに行っ食堂にはもうほとんど何も無し。まあルーマニアと違って食べ
る楽しみが無い国ですから、これまで美味しいもの0でした。世界遺産ネセバルへ。海に突き出した半島
が要塞化して紀元前3世紀からの町を守り、繁栄してきたのです。
古い教会があちこちにあり、なかば崩れたれんがの壁に歴史の重みを感じさせます。海に面して立つ、
海のバシリカは小さな船で世界の果てまでも行こうとするギリシャ人の心の支えだったのでしょう。ブ
ルガスに戻ってのフリータイムです。
急いで民族博物館へ。4人に聞いてたどり着いた小さな建物は正
に宝庫でした。沢山のコスチュームは私を熱狂させます。静かで心行くまで味わえました。大通りのオ
ープンカフェで回りの人に合わせてビールを頼み、その安さにあきれます。大ジョッキーが1Lev,
50円くらい!ツアーで払う飲み物代がいかに高いか、が判りました。相席した二人の男性とカタコト
の英語でお話なんかも、楽しい思い出になりました。
翌朝ソフィアへの空の旅。空港のおんぼろさに驚
いていると、、あれに乗るの?とつい笑ってしまう、さびの浮いたプロペラ機!、機内でのびっくりは
、シートベルトの壊れている席があちこちにあり、チケットに座席番号が書いてないのに納得。一度は
こんなおんぼろ機に乗って見たかったので、風の谷のナウシカの気分で大はしゃぎして楽しみます。旅
も終わりが見えてきました。
[第29回] バラの谷へ カザンラク [2007年03月14日]
ヴェリコ・タルノヴォは12世紀から14世紀迄、ブルガリア王国の首都でした。バルカン山脈の東、
ヤントラ川が作り出す切り立った崖に守られた要害の地で、起伏に富んだ美しい町です。
崖の上の巨大なホテルはサービスもいまいち、メンテナンス不足が凄まじく、レストランのバンドの音楽が古いスピ
ーカーのせいで割れて、唯の騒音となっています。眺めは絶景で、翌朝早く広い庭で、持参の音でブル
ガリアは私のものとばかり、踊って楽しみます。城跡への坂道は白い花の花園のよう。小学生が10数
人歓声を上げて走り回わっています。春の日差しがはるか昔の栄華の跡をやさしく包んでいます。バス
へ帰る道で男物のシャツとヴェストを店先で発見、急いで買ったのにツアーの姿が無い!。坂道をあた
ふたと迷子の私は走る走る。しかしこの品、極上品でしたからまあ良かったね。
一路南へ、バラの谷へ
。遠くに緑の山並みを眺める広い盆地、見渡すばかりのバラの畑が続いていますが、花は少しだけ、そ
れでも観光用だそうで、早朝に開花したもの全部を摘んでしまうのです。聞いてはいたけど詰まんない
ぞ。私の3大あこがれのひとつだったのに。、まあこんなものでしょうと中輪のピンクを摘み取ると、
痛い! 枝から花を包むガクまで棘だらけ!花にはうるさい私もこれにはびっくり。ダマスクローズの
原種を大切に育て今に至って、世界中の香水の基になつています。花を見つめながらこの谷中のバラを
摘むのはさぞ手の痛むことだろうと、我が家の大きな一本に毎年苦心している私は同情してしまいます。
カザンラクのホテルで遅い昼食。今はバラ祭りの期間中でこのホテルが中心のはずなのに、町もホテ
ルもひっそりしていて、数軒の土産屋があるだけ。それでもコスチュームが有るので大喜び。やっとゲ
ット出来ました。
[第28回] ドナウを越えて、バラの国へこんにちは! [2007年02月15日]
バラの国へこんにちは ドナウ河
ドナウ河に架かる長い鉄橋{友好の橋}を渡るとき、感動せずにはいられません。ローマ帝国が如何に
この河を重要視していた事か。長く続く属州防衛ラインの要なのですから。昔パンノニアと呼ばれたこ
の地は蛮族たちの国で、ローマを悩ませ続けたのです。今はすっかりどこにでも在る田舎町ですが、バ
スの窓からの眺めもなにか違って見えます。ドナウに架かる数少ない貴重な流通の要でもあります。
いよいよブルガリアに入ってきました。ここの手前側でガイドさんとお別れです。いかにもルーマニア人
らしく、明るくて、笑顔の絶えない好青年でした。これからはラテンの国からスラブの国になります。
文字もローマ字からキリム文字へ。これには本当に困ります。そうでなくても覚えにくい頭に、Rの反
対だとか、Nの逆になったのとか、まるで漢字の山そっくりだとか、読み方もアルファベットと違って
いたりで覚えられません。旅行者泣かせもはなはだしいです。ツアーにただ付いて行くだけならまあい
いでしょうが、私の様にあちこち一人でうろつきたい人には、言葉とか街の標識なんかがとても大切な
んです。
10世紀にギリシャ文字から作られたこのユニークな文字は、初めブルガリアからスラブ人の
各地に広がりました。本来の目的のギリシャ正教と共に。それぞれの国で独自に発展した教えは今に続
く熱い祈りで、特に厳しい生活を余儀なくさせられた庶民に、生きる希望となって今に続いています。
道はひたすら南へと続きます。小麦畑の黄色のじゅうたんが鮮やかで心も軽くなります。次第に緑の森
へと入っていきます。曲がりくねった山道の様子が河の傍の崖に沿って続いて行くのに変わって、崖の
上に町が見えて来ました。古都、ベリコタルノボです。
[第27回] さようならルーマニア ブカレスト 2 [2007年01月16日]
首都ブカレストはかって東欧のパリと謳われたと言われますが、今はその面影は無く、多くの歴史的建
造物を壊してチャウチェスクが作った、味気ない大通りや国民の館が街の様子を変えてしまいました。
少し広々し過ぎで寂れた感じがします。街のシンボル的なインターコンチネンタルホテルは、スパイ小
説などでも出てきますが、さすがに老舗の重みを感じさせる設備とサービスで良い雰囲気です。
さあ、
以前にゲットしたコスチュームを着て、夜景が素敵な21階でのディナーショーへ。10数人のダンサ
ー、バンド共に衣装も煌びやかなフォークダンス!。聞き覚えの有る曲もあったりで大いに楽しめます
。
翌日、お昼迄の自由時間。さてとホテル前に立ってびっくり、なんとマクドナルドの看板が3方向にあ
る。この街にもう3軒も出来ているなんて!。コーラの看板がどんな田舎にも在るのと同じです。自由
化ってこんな形になってしまいました。まずデパートへ。古びた大きな建物の中は商品の質、量共に見
て回ると寂しい思いをするだけです。
この国のこれからの経済発展の道程の厳しさを思いました。なん
とか少しでも良い物をとコスチュームの売り場の品をあれこれ物色します。しかしそんなに豊富と言え
ない上に、踊りには向かない物ばかり。あれこれなんとかブラウスと小物など数点ゲットします。まだ
まだ満足できず、それならと土産物屋へ。あるには有るが探している上質なのは無い。あたりまえだね
、私が探しているのは、ここの人たちにはとんでもなく高価な物。中々置いてはないようです。
街を行
きかう人たちは春の日差しを楽しんでいるようです。賑やかで、明るいルーマニア人にこれからの発展
を願わずにはいられません。
ルーマニアにお別れして、ドナウ河を渡りブルガリアを目指します。
[第26回] 樅の国から大平原へ ー ブカレスト [2006年12月15日]
樅の木の森の中、瀟洒な離宮が目を見張らせるシナイアは国内一の別荘地で、昔は貴族達、今はお金持ちが豪華な別荘を競っていて、ランチをしたレストランも建物、味も一級品でサービスも申し分なし。あたりに滴る深い緑に心もゆったりです。
思い出が一杯の森を後にして、なだらかな畑がどこまでも続くワラキア平原に入ると、ひなげしの赤い
花が風にゆれて、見渡す限りの広い広い、黄色く色付いた絵画のような小麦畑を彩っています。
とうもろこしやひまわりの広い畑も続き、食の宝庫ルーマニアの食料生産の要です。今まで良く見かけていた
馬車を見かけなくなったと思っていると、製油工場なども見えて来てちょっと興ざめ。ちなみにこの国
はヨーロッパ随一とも言われる石油の産出国なんです。
環境破壊の酷い所も各地にあります。チャウチェスク時代の悪の遺産とも言えるものです。
首都のブカレストの見所の一つ、農村博物館の地方色豊かな建物は本当に見事です。
木造の高い塔の教会は各地で何度か見ましたが、素晴らしい雰囲気を持っていて、
世界遺産になっている所もあります。
門構えが立派なブコビナの家のたたずまいに、あのライラックの花の風景が思い出され、少しなごり惜しい気分です。
今までの旅のおさらいをしている様でした。
[第25回] "森の彼方"の中で(その2) ブラショフ [2006年11月15日]
青空の中に中世の町並みが輝いてみえます。広場を囲んだ木造の建物群はみな、
趣のある中世以来のたたずまいが素敵です。
一際目立つ黒の教会。大きくあたりを圧していますが、
15世紀の国内最大のゴシック建築で、17世紀の戦禍で
外壁が焦げて、この名で通っていて観光の中心です。
ドラキュラ城の別名のブラン城は、樅の木の森の奥に、
周囲に睨みを利かせています。
ドラキュラが住んでいた訳でもないのですが、
そのモデルとなった伯爵は、もっと面白い存在です。
対トルコ戦で勇名が高いのですが、
仲間内でのゴタゴタが原因で、最後は哀れです。
敵だけで無く、気にいらなければ誰でもとらえ、
長い棒に串刺しにしてしまうんですから、まあ自業自得
でしょうか。歴史には興味深い人物が溢れています。
今日のハイライトは2世紀のダキア時代を再現したレストランのショー
でした。建物の素晴らしいのも然る事、バンドのおじさん達のバイオリン他
5人の見事な演奏に聞きほれます。リクエストでアルネルを口ずさむと、
大喜びで腕前を見せてくれます。予習をしていたツアーの友人たちと踊ると、
場内が盛り上がります。
夜は例の黒の教会でのコンサート。
ゲットしたコスチュームを着用したら、会う人毎に褒めてもらえます。
内部は15世紀からの絨毯のコレクションが有名で,冷え冷えした中、
アレルギーの私は、テノールの歌声よりも、カビ臭い匂いが嫌で楽しむ
どころではないのです。
南への旅は続きます。
☆ 上記の写真中央で演奏している楽器「パンフルート」はここから>>
[第24回] "森の彼方"の中で(その1) ブラショフ [2006年10月15日]
国の中心部、大きくカーブしたカルパチア山脈に囲まれた地、トランシルバニアは「森の彼方」の意です。
その中心のブラショフは国内第二の都市ですが、12世紀からのドイツ人が造った古い立派な町並みが見事です。
1000年もの間この地を支配していたのはハンガリー人でしたが、人口増を計って、ザクセンから多数の人々を招いて、以来両国人は政治、経済を独占し多数派のルーマニア人を圧迫して来ました。第一次世界大戦の戦勝国としての立場を利用してルーマニアがこの地を奪還したのは、まだそう昔の事ではないのです。古いハンガリーの文化が深く根ざした地でも有ります。
町一番のホテルに着くなり目に入ったのは、いかにも踊るのに適した、薄い生地にビースの刺繍が輝いているコスチュ−ム!まずお店の人に買う気ビームを発しておいて、大急ぎでドレスアップ。古城レストランのディナーショーなんです。残念ながらフォークロアでなく、ヨーロッパテイストの洗練された、バレー、ソプラノのアリア、バイオリンのチゴイネルワイゼン(これは良かった)、料理やワインも申し分なく、これはこれで楽しめました。
後であのコスチュームもゲット。ホテルショップは値段は高めでも品質はさすがに良く、他のブラウスも上質で、まあ良かった良かった。
今晩はドラキュラ伯爵の夢でも見ましょうか。明日はドラキュラ城に行きます。
☆ 上記のコスチュ−ムはここから>>
[第23回] ルーマニアはおいしい ー ビガス渓谷 [2006年09月14日]
ライラックの香りに包まれての修道院巡りも終り旅は南へと続きます。
ルーマニア人の誇りである縦の木の森が何処までも続く道。ウクライナ、ポーランド迄連なるカルパチア山脈は国の中心部を貫いていて今その端の山道を美しい緑のかもし出す、匂う様な眺めに見とれるばかりです。
ごつごつした岩肌が狭く深い切戸を作っているビガス渓谷で一休み。特産の縦の木の民芸品がおもしろくて荷物になるのに買ってしまう。今では大切な思い出の品となった。肩をぐりぐりもんでくれる、まあ、マッサージ器。本当に可愛いんです。
近くの湖にあるレストランで昼食。メニューは地元産のますのフライ。これが又何とも言えないくらい美味しかったのです。
今回のルーマニアには食事だけは期待していなかったのに何処で食べても外れ無し。和食党で魚大好きの私が全部OKで食べた国はイタリア以外無かったので本当に嬉しい限りです。同行の超ベテランの旅行人が「食事もうまいし人間も良さそうだし、こんな国に別荘を持ったら良いだろうな、だが少し遠いかな」と話され皆んなでうなずきました・海外旅行も良いけど食事が段々口に合わなくなってきた(年のせいかな)私としてはこれから先が余計に楽しくなって来てテンションも上がります。
いよいよトランシルバニアに入って来ました。
[第22回] 五つの修道院 ー ヴコヴィナ地方 [2006年08月14日]
時折り、馬車とすれ違うのどかな田舎道の家々を彩っているのはライラック!
私の大好きな花々が迎えてくれる先は、モルドヴァ公国が超大国トルコとの苦しい戦いの中で、戦勝を祝って(願って?)建て続けたルーマニア正教の大小の修道院群で、世界遺産となっているのは五つ、いずれも外壁まで色とりどりのフレスコ画で埋め尽くされ見る人を驚かせます。
文盲の民衆に神の教えを示す為で、特筆すべきは中央の大きな赤い天国への階段!天国に召される徳を積んだ人々と、地獄へ落ちて苦しむ悪人。悪人の顔はなぜかトルコ人、恐怖のオスマントルコ軍への憎しみが良く解る絵です。
内部は今も祈りの場でイコンとフレスコ画で隙間の無い小さな空間に無数のローソクがゆれて祈りを照らしています。
圧巻とも言える緑の中、白色から濃い紫色と満開のライラックの花が庭を飾っている。長年の風雨に耐えて色も少しあせた外壁のイコンに良く似合っています。地中海文明の豪華絢爛な遺跡と違い小さな公国の勢い、いつぱいの頑張りに心が動きます。
行き交う人が又皆やさしく、道端で地元の人が土産物を売っていても特に押し付けるでなく気の良い感じで好感が持てます。中古のコスチュ−ムも色々出ていますが良いものは少なく日本ではダメだろうという物が多く悩みます。
広場の向こうは緑に溢れ、花で飾られた墓地。老夫婦が草取りガマを手に、私を見付けるとにこやかに会釈して行き過ぎます。大通りを老人と子供がいつぱいの荷を積んだ馬車で通りかかり、カメラ片手の私を見ると手を振ってくれます。どんな遺跡より私には美しい風景に見えて大好きな国になりました。ルーマニア人バンザイです。
[第21回] 首都から最北部へ 一っ飛び! [2006年07月14日]
ブカレストで白く巨大な建物、それがチャウチェスクの「国民の館」。
大理石が冷たく光り、名前と裏腹な独裁者の宮殿は、すでにあちこちひび割れが生じ、建設直後から動かなくなったエレベーターと共に虚しさだけが巨大な空間に広がっている。
それに引き替え、ルーマニア正教の大主教座教会は丁度祭日と有って沢山の人々で賑わい、熱い祈りに満ちています。黒ずくめの老女の一心にささげる祈りの姿に激動の時代を生きてしまった人々の激しさを思いました。
ここで一日過ごしたいけど、まず最北部の「スチャバ」迄国内線で一っ飛び。「森の国」トランシルバニアもあっという間に過ぎ、ウクライナとの国境近くで、スチャバは14世紀からのモルドヴァ公国の首都でした。
近づくオスマントルコ軍を恐れながら、それでも戦いぬいてルーマニアの最盛期を作り上げたのです。大城塞と名前は良いのですが、同時代のロードス島の見事な城塞の好きな私には笑ってしまう程度の城塞と城跡に、この小さな国力で最強のトルコ軍と戦った人々の苦しみと絶望が感じられます。
街中の市場もつつましいもので、いつもならあれこれ見て廻る私にしても何か気が滅入ります。ホテルが又スゴイ! 12階の古いホテル、私達は9階、10階なのに何て事でしょう、ゴトゴトゆっくりのオンボロ、エレベータは気が向かないと扉が開かないんです、お陰で一人の時は階段を昇り降りと本当に疲れます、メンテナンス不足はホテル中に目立っています。まぁ、それはそれで旧東欧の世界を見れた感じです。
さぁ、お目当ての「五つの修道院」が間もなくです。