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キーちゃんのページ #01〜10

 [第10回]    シリア編ー1     シリアは遠いな・・・       [2005年9月07日]

シリア '95年春、阪神大震災の後、JRもまだ不通区間の有る中、旅立ちました。お目当ては「シリア(Syria)」。
古代ローマではシリアとはヨルダン、パレスチナ等を含む広大な地域を言い、それこそ遺跡の素晴らしさでは世界一だと私は思います。成田に前泊しフランクフルトで泊まり、シリアの首都ダマスカスには何と3日目に到着。いやはや遠かった。翌日には国境を越えてヨルダンへ、このボーダーチェツク、今迄の何処よりも厳重で物々しく1時間近く掛かる。パレスチナがこの時期は今から思えばまだ平穏で、ヨルダンとイスラエルの和平条約が成立したばかりの時です。
陸路では団体客しか越境が難しいと聞いていましたが納得。軍隊が周囲をびっしりと囲んでいて、銃器を光らせているのを見ると、のん気に観光などして良いのか?と少し考えさせられます。しかし此処まで来たのだから気を付けて行くだけです。
ではいざ遺跡めがけてGO!

 [第9回]   イタリア編ー7(完)   さらばベネチア!       [2005年8月18日]

ベネチア 早朝の名物の霧の中、サンマルコ広場を歩いていて、ある本にベネチアほ11月に限ると書いてあつたのが正解だと知る。
霧に浮かぶ鐘楼などの美しい事。午前中の宮殿めぐり等の後、さぁ、今日のメインである船の博物館へ。
ベネチアが地中海の女王で有り続けたのは無給で国家に奉仕する貴族達と高い海軍力に有つた。私は10年間造船所に勤めていたから船にはうるさいのです。家族で海岸を歩きながら私のウンチクを傾けます。さすがに内容は充実していて息子も大満足。迫力の有る船の装備に14世紀にタイムスリップです。
最終日、満員のモーターボートで空港へ、それは沢山の橋をくぐり、海の都へのお別れに本当にふさわしいコースです。広い海に出るとゴンドラ漕ぎの練習している船も見えて情緒満点。空港へのアクセスでは世界一を保証します。
私たちの夢の旅も終わりました。

 [第8回]   イタリア編ー6   古都・ベネチアは遠かった!     [2005年7月18日]

ベネチア ウフィツィ美術館も無事見学出来て、さあー、ベネチア(Venezia)へとまっしぐら。
お昼の予定のボローニャには遅れて2時到着!有名なポルティコ(アーケード)の見事さを、ろくに見る間もなくレストランへ。さすがは"食のボローニャ"と呼ばれる料理に腹ペコの一行はガッガッと食べる。こういう時フランスと違って余り待たせずに出てくるのは嬉しいね。
大満足のお腹でポルティコも見物し、心はすでにベネチアに、アドリア海が見えてきて、島への長い長い橋も終わり、古色ただよう、まぎれもない海の都が姿を現した。
胸がドキドキの感動の中、バスはここ迄で、船でほの暗くなり明かりの灯もる運河の中をホテルに向かった。ホテルの途中の運河からは歴史的な建物、オペラ座も見えて大感激。サンマルコ広場近くの古びて、こじんまりしたホテルに到着。

 [第7回]   イタリア編ー5   フィレンツェでストに泣く        [2005年6月29日]

イタリア・ウフィツィ美術館 さあー、今朝は旅の目玉のウフィツィ美術館(Galleria degli Uffizi)を見てからベネチアへと旅も終りが見えてきた。
いそいそと列に並んで待つのも楽しい、しかし9時を過ぎても行列は動かない。なぜ? はい、イタリア名物の突然のストに突入、フィレンツェ中の美術館はすべてアウト、そんなあ、時間がないのにと怒ってもしかたなし。交替で列を抜けて近くの出店などを物色。素敵なワインレッドのバッグをゲットなんかして待つことに。1時間以上待って列は動き出し、ボッティチェッリの「ヴィーナス」にも「春の女神」にも無事御対面出来てメデタシ、メデタシでした。

 [第6回]   イタリア編ー4   フィレンツェへの道           [2005年6月12日]

フィレンツェへ、いよいよ出発! 
でも外は小雨まじりの悪天候。お天気女の私としては心外である。旅行中雨に会った事が無いのが自慢なのです。
イタリア半島の背骨とも言われるアペニン山脈は、思っていた以上の険しい山続きで昨日迄の平野はまったく無し。トンネルに入り、抜けたと思ったらそこは美しい青空!そうフィレンツェは最高のお天気だったのです。もう一同の気分は盛り上がり、何を見てもテンションは上がってしまいます、私のあまりの興奮振りに息子に叱られる始末です、トホホ・・・。まぁ、楽しいから良かったけどね。

 [第5回]   イタリア編ー3   誕生祝い                  [2005年5月27日]

今回の旅のハイライトの一つが末娘の14歳の誕生祝い。
アッシジは本当に宗教の町で、街全体がこの地方の石で作られた建物。落ち着いた中世の石造りの街並みを歩くとイタリアって良いなあと感動する。ここは聖フランチェスコの聖地、大聖堂内で憧れのジョットの壁画にもご対面。教会のそばが今日のホテル。高台なので、夕焼けに染まるウンブリア平野を見下ろしていると、人生良いことが有ると思えて来ます。
レストランで5人だけでハッピ−・バーズディーを小声で歌ったあの時の思い出が、胸の中を今でも温かくします。

 [第4回]   イタリア編ー2 感動のパスタ!と故・ヨハネ・パウロ2世  [2005年5月8日]

イタリア イタリアで何か食べたい? 息子いわく、イタ飯なら何でもOK。長女はやはりパスタよね。次女は何でも良いよ。とは言うものの食事はチョット心配。これが予想以上の美味しさ。特にパスタは何気ない材料なのに少し固めで何て美味しいの? メン類嫌いの私も納得の味。息子は「オレが今迄食べてたのは何だったんだ!」と言い出す。食事が待ち遠しい思いで、観光の足も軽くなる。
ローマの地下鉄の中。急カーブでよろけた時バックの口が開いている。気が付くとなぜか男達に囲まれていた。何の為のボディガード代わりの夫と息子よ、と怒ったが、まあ何も被害が無くてメデタシ.敵も誰がお金を持っているか良く知っていて、中年の日本女性はスリの良いカモだそうです。皆さんご用心。
バチカンのサンピエトロ大聖堂で入り口の服装検査が、やけに厳しいと思ったら何と法王様のミサの最中。こんな時一般の観光客が入れるのは今迄ないのでガイドさんに聞くと余り例が無いとの事、ラッキー!、この法王が先月亡くなられたヨハネ・パウロ2世で私達がお会いできたことを又思い出しています。

 [第3回]   思い出作り ☆イタリアへ(1992年11月)☆   [2005年4月30日]

家族 夫の勤続30年に旅行券と5日間の休暇!と聞いて祭日も入れたら大丈夫と即決定。家族5人で海外へ行こう、何処へ? 子供達も満足し、私の憧れの地、もちろんイタリアです。
何か騙された気分が半分の夫、OLの長女はブランド品へ、大学生の息子は車とファッション探訪、末娘には14歳のお誕生日をアッシジでお祝いと、私の遺跡と博物館巡りだけでない、2度と実現しないかも知れない家族旅行へ出発!
5人で見たスペイン階段の賑わい、アッシジの燃えるような夕焼けの中で静かに風景を眺める贅沢。教会の鐘が心に染みて来ます。フィレンツェへのトンネルを抜けると今迄の雨から青空が広がっていて皆で歓声を上げる。霧が晴れて行くヴェネチアの広場で5人でいる事の幸せ。
これから何が有っても大丈夫、乗り越えて行けると思った。空港までのモーターボートから見るヴェネチアの町並みは忘れられません。最高の思い出になりました。

 

 [第2回]   トルコに行ったよ!                 [2005年4月14日]

さて、最初は何処へしましょうかと。海外も初めてでなくて、パスポ−トが必要な頃の沖縄とか、テレビ番組のアップダウンクイズで賞金付きでハワイ旅行とかが有りましたが、歴史オタクとしてはやはり文明の十字路トルコでしょうと無理を承知で飛び出した。
トルコは予想以上の宝庫でコウノトリがミナレットに巣を作っているのに大騒ぎした最初から、ペルガモン、エフェソス、ペルゲ等、まさか自分がその場に立てているのが信じられない位、夢のようなローマ遺跡の中で舞い上がっていました。
ダンスと言えばカッパドキアのバスターミナルで休憩中、乗客達が円を作りタイコの音も軽やかに踊つていて、仲間に入って楽しみました。
又、イスタンブールでは探していた結婚式に出会え、眺めている私を手招きしてくれて、沢山の人とわけの解らない中で単純だけど、やけに楽しいダンスの数々を踊っているのです。若いイケメン君がとても優しくサポートしてくれたのは夫には言っていなかったね。遺跡観光だけでなく、何処ででも出会う人たちの輝く笑顔が最高のお土産となり、これで私は旅の深みにはまりました。

 [第1回]   キーちゃんのひとり言                 [2005年4月7日]

亡母の年、43才になって軽いショックを受けました。あと何年私に残されているんだろうと。そこで思い切ってやってみようと、旅に出かけることに。歴史のお勉強と心の準備に2年。子供の頃からの憧れの各地に飛び出しました。仕事、家庭(子供3人と連れ合い)、庭に咲く花々、そしてダンス、といつぱいご迷惑を掛けながら。

13日間のトルコへは17年前の春、アーモンドやアネモネが色どるエフェソス、ペルゲのローマ遺跡、イスタンブールのアヤソフィアと感動ものでした。そうそう、夜ホテルの近くを探検中、広いホールで何百人も踊っている結婚式!に出会え、中で一緒に踊ったのは最高でした。以来トルコでは結婚式を探して踊っています。旅の神様に魅入られて、無理を重ねては出かけ続けました。

今年の晩冬にペルセポリスへ行き、痛ましいほどに傷ついた壮大な遺跡を眺めながら、私の旅も終わりに近付いたと感じました。今まではツアーから離れて早朝から走り続けてきたのに、年と共にお仕着せの旅に満足しなければならなくなって来ていました。そこでこれまでの旅を振り返って、お気に入りを少し書いて見ましょうか。

☆   2005年4月よりスタート  ☆

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