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キーちゃんのページ #11〜20

 [第20回] 旅先変更 ー  ルーマニア・ブルガリアへ       [2006年06月14日]

ブルガリア 2001年の新春、今年は何処へ行こうか?
近年は年1回のペースなので慎重に考える。体力の衰えと共に気力と学習力も落ちたのが原因。10年前には5ヶ月で3回なんて頑張っていたのに・・・。気を取り直して原点のトルコ。東南部のアララテ山でノアの箱舟の夢を見たり、旧約聖書のアブラハムの故郷ハランを訪れるのも良いねとお勉強を開始。
そろそろ、いつもの旅行社に電話しようかな、旅慣れた高齢者が多く、珍しい所へも連れて行くここのツアーはゆっくりしていて自由時間が多いので、あちこちうろつきたい私にはピッタリ。
突然、加古川FDCがイブ・モロウ夫妻を呼ぶ事に。うそー!、イブ大好きの私としてはやはりブルガリアのコスチュ−ムでお迎えしたいと旅先を変更。
コスチュ−ムを買うだけではつまらない。やはりここは世界遺産も何ヶ所かは楽しみたいと、丁度バラ祭の頃のルーマニアとブルガリアを巡るツアーが有る、決定!、お勉強が今迄の空白区と有って大変。お陰でダンスの歴史にも通じるので、ちよっと得した気分。
5月末と気候も良し。成田で前泊し最後の和食に舌つづみを打つ。(私はひどい和食党なのです、トホホ・・・)
フランクフルトからチェコ機へ。スッチーさんの制服の素敵なのに目を見張ります。やわらかな小さな柄のプリントのワンピースやブラウスに、エンジのシックな上着だったり、ベスト、スーツだったりと様々で、とにかく動き易そうで、それでいて美しい。こんな良い感じの制服は始めて。機内食のコップ・スプーン等もセンスが良くてさすがです。(実は各機のスプーンを収集していたりして)。
ブカレストの高級ホテルのインターコンチネンタルには日付けが変わる頃に到着。もったいないけど本当に寝るだけです。まあ明日からに期待してお休みなさい。

 [第19回] シリア編ー10   シリアにお別れ            [2006年05月15日]

シリア ダマスカスのウマイヤモスクはエレサレムの岩のドームに次ぐ古さと荘厳さを誇っている。
広い長方形のモスクは朝の礼拝中で、私達はそっと歩いてお邪魔をしない様気を使う。沢山の男性達と少し離れて女性の集団が指導者の大きな声に従って、ひたすら床に座ってお祈りをしている姿にイスラムの一体感をを感じる。イランでも着なかった黒いフード付きのマントという姿(貸与された)でちょっぴりムスリム(イスラム信者)の気分も味わいます。ここは観光地ではなく信仰の中心地なのです。
考古学博物館の出口前の広場で音楽が聞こえます。何とアラブ人の女の子10人程が踊っています。何て事でしょう。これテレビ局のやらせかと思う程です。とにかく仲間にしてもらって踊ります。スカーフをかぶった人や現地風も。隣の大学の女学生達で休憩時間に楽しんでいたんです。後はサインと住所を書いてくれと大騒ぎでまるでスター気分?です。
本当に嬉しい時間でした。大きな瞳のやさしい彼女達はどうしているのかと時々思い出します。
午後の4時間の自由時間、さあー頑張らなくては。まず2qも続く最大のスークへ。中央に広い道があり左右はぎっしりと店が続きます。開放的でも店員はひげ面のアラブ男性ばかりなので買い物もちょっと緊張です。探していた古着屋は狭い階段の2階。恐々上がっていき、小さい店内で店員さん相手に色々物色します。現地の人の為の店の様で着心地の良さそうな赤やモスグリーンの長着で私のサイズが買えました。ラッキー!。どんな人が着ていたのか考えて見ます。
本でチェックしていたクラフトセンターは小さな新しいスークで観光客がお目当ての明るくて買いやすい。民族衣装の店は女性の店員さんでこれは嬉しい。午後の礼拝中で床で祈っていたのに私を見ると応対して下さった。傍らには3歳位の女の子も居て良い感じ。ミシン等も有り、彼女の手作りの様だ。2人でカタコトの英語でベトウインの花嫁衣裳になる黒地に赤の刺繍のドレスについて説明してもらい、やっと私のサイズに近い1着をゲット!。
沢山の思い出のこもったお土産品を手にさあー日本へ帰る。この旅ほど歴史を学ぶ楽しさを実感出来た地は無かった。夢の地、パルミラもこの目で見た。さて次は何処へ行こうかな?。

 [第18回] シリア編ー9  パルミラ − 夢の旅の終りと始まり  [2006年04月14日]

シリア 前方のベル大神殿の上にゆっくりと太陽が昇る。ホテルのベランダで朝の冷気と夢がかなった興奮で体が震える。
パルミラ最古にして最大の美しい建物でしたが、2000年の歳月は彫刻も形を崩しています。それでも堂々とした姿にはときめかずにはいられません。遠くに見える巨大な凱旋門や、はるばるエジプトの奥地から運ばれた、赤い肌もつややかな石の四面門がまるで幻の様に見えます。
小学生の頃からいつか行こうと思いつつ、いやまだまだ、美味しい物は後で食べる主義の私が待ちに待った、夢の旅の最終目的地です。
パルミラはシルクロードの中継地として絶好の地理に有り、水、塩が豊富で、政治もローマ帝国の傘下で安定して栄えました。女王ゼノビアは夫亡き後政権を握り、自らクレオパトラの子孫を名乗り、美しさと能力で大きく勢力を広げました。独立のチャンスとばかりローマに反旗をひるがえしましたが、相手が悪かったのです、時の皇帝アウレリアヌスは武勇優れた人でした。パルミラは絶頂期に自らの死を招いたのです。
砂漠の美しい都は破壊され、その後再建はローマ人に依ってでした。
大列柱道路を歩いていて、ゼノビアの得意気が解ります。まさにこの広大な都の王者としてローマも何する者ぞと思った事でしょう。後2年待てばアウレリアヌスは部下に暗殺され、ローマは弱体化し、ゼノビアの企ても成功したかも知れないのです。歴史を学んでいての「もしも」の楽しいときですね。
夕焼けに浮かぶパルミラもそれは言葉に出来ません。後方の小高い丘の頂に建つアラブの城塞が借景となり引き立てています。放牧の羊が家路へと集められ鳴いています。
突然ベドウィン(遊牧民)の女性に話かけられます。ゼスチャーで煙草をねだっているらしいのですが、言葉が解ればもう少し何とか出来たのですが、それきりで黙って別れたのが何か心残りでした。
3日間のパルミラは私に新たな夢を与えてくれました。パーム(ヤシ)の葉が涼風を運んでくれます、さあ首都のダマスカスへ帰りましょう。

 [第17回] シリア編ー8  砂漠の要塞都市 − そしてパルミラへ [2006年03月15日]

シリア ドゥーラ・ユーロポスはアレキサンダー大王の後継者が帝国の過半を戦い取り、トルコとイラクの2っ首都を継ぐ「王の道」の真ん中に有る、要所の地を守る為に、高さ10bもの城壁持った巨大な要塞でした。ユーフラテス川の崖の上にそびえ立っていたものの、2300年の時は大きな土の塊がそこかしこに有るただの荒地に変えている。神殿跡と言われて、それと解るのが不思議な位の痛み方です。修復作業も少しずつ行われていますが。  ポンポンと聞こえる川から水の汲み上げるポンプの音。そう、私はこれを聞く為にここに来たのです、20数年前NHKのシルクロード・シリーズで私の心に深く響いたこの音なんです。川は10b位下を流れているので、周囲の畑の灌漑には必需品なのです。春の草花が石ころの間につましく咲いています。
さらに東に向かいイラク国境近くのマリ遺跡へ。4000年以上も前の貴重なマリ文書とか、黄金の装飾品等多数出土した、シリアでも最古の遺跡です。何も知らなければ、ただの建設予定の造成地にしか見えませんが歴史オタクとしてはただ感激です。
あと少しでイラク国境です、一度は行かなくてはと思いながら、次の時にと延ばしていたのが、今ではもう永遠の遥かな地です。荒れた道路を引き返します。
前方からバックパッカーが歩いてきます。見渡す限り人家など無い砂漠の小さな道。バスが徐行した時、「日本人だ!」と解りました。小柄な青年が少しうつむきながら歩いて行きます。元カニ族としては胸がいつぱいになる羨ましさです(カニ族とは昔のリックは横長で列車の中を移動する時カニの横歩きで通路を通っていたので、昔のバックパッカーのあだ名です)。
気をつけて世界中を歩いて見て廻ったら、元気な顔を母さんに見せるのよと、母親の気持ちでも思いました。せいぜいバスでしか廻れない私にはただうらやましい良い時代です。
砂漠の道も良くなるとスピードを上げます。ラクダが一週間かけて通った道を2時間足らずで通り過ぎます。ラクダの一日の行程の所に有るオアシスを何度も過ぎ、ナツメヤシの林が前方に見えます、「ナツメヤシの街」の意のパルミラがとうとう姿を現しました。
女王ゼノビアの街。私の子供の頃からの聖地パルミラが!

 [第16回]  シリア編ー7  ユーフラテス川 − メソポタミアへ  [2006年02月15日]

シリア トルコ東部から流れる2つの大河チグリス・ユーフラテスの間の地、それがメソポタミアです。
6000年以前からウル・ウルク・ササン朝ペルシャ・イスラム王朝と続く、歴史好きなら垂ぜんの地域、その端っこですがやっと行けるのです。砂漠の道は単色ですが変化に富んでいます。今でも日干しレンガの家が並んでいると思えばユーフラテス川が見えては隠れたりと飽きることは無い。
川のすぐ近くなのに塩が浮き出て一面銀色の土地が有る。以前畑だったのが上流にダムが出来て川の氾濫が無くなり、地中からの塩分が滲んで長い間に塩の原となりました。なまじ人の手が入っている結果なのです。数十メートル先には川が有ってもそうなのです。緑の無い地の悲しい風景はとても美しい。
ナイル河の時も同じでしたが、大河と呼ぶには余りにも少ない水量に驚きます。21世紀は石油と共に水の争いと聞きます。トルコやシリア内でのダムで水量は減少の一途なのです。川辺をぶらぶらしていると大きな太陽が川の向こうに沈みます。遠くの石油掘削のガスを燃やす炎の煙と共に。
川では小さな船が何処へ行くのか一人の男の人が乗っています。いにしえの人々もこうして交易に励んでいたのでしょう。長い歴史に思いをはせる幸せなひとときでした。
明日はさらに東に向けてイラク国境近く迄行きましょう。

 [第15回]   シリア編ー6   アレッポの子供たち        [2006年01月14日]

シリア シリア第二の都市アレッポ、現存する最古の都市の一つです。
町のシンボルは高い岩山にそびえ立つアラブの城。2000年以上前にはすでに城が有り、その増改築と破壊の歴史はローマ、イスラム、モンゴル等の世界史の動きに直結していました。
大きな豪をめぐらせ、広い石段の通路が一箇所あるだけで、その堂々たる姿は周囲を圧倒しています。
金曜日で休日とあって、青空の気持ちの良いお天気の中、城の中も外も人、人です。特に子供の団体が走り回っていて、日本人とわかるとじっと顔を見つめます。小さい目と低い鼻が自分と違って珍しいんだと皆で納得します。カメラを目ざとく見つけ、写してと、なぜか男の子ばかりで大騒ぎ。始めは面白かったのですが少々困ります。
城の下は世界最古のスーク、薄暗く丸天井からスポットライトの光が差し込む趣の有る小さな店と狭い通路。ぎっしりといる人々が地元民だけに見えて、日本人を見かけないのもイスタンブールと違うと思わせます。
さぁ、時間との戦いです。短い自由時間でどうやって、この見るだけでワクワクすろ品を値引き交渉しながら買うんでしょうか。ともかく民族衣装だけに絞って買いまくろう。アラブの男性の黒い輪と赤いチェツクの木綿の布はホテルのお店では買えません。私があまりの勢いで選ぶので先客のおじいさんがにこにこ顔で先に譲ってくださって少し反省しました。
帰国後にパーティで友人達とその衣装でデモして大受けしました。ホテルが又立派でアラブの華やかさを実感出来ました。夜、近くの骨董店で念願のメソポタミア特有の丸い印章(シリンダーと呼ばれるもの)を買うことが出来て、これ又大喜びです。アレッッポはパルミラ人の通過点と考えていたのに最も心に残る場所の一つとなりました。
   ☆ デモに使用した民族衣装はここから

         (ここへ戻るにはブラウザの「戻る」で戻ってきて下さい)

 [第14回]   シリア編ー5   首都の兵士たち         [2005年12月14日]

シリア まだペトラに心を残しつつ、旅はシリア最北部をめざします。

砂漠の道はいつしか国境を越え、緑の見える町が続いています。西側のレバノン山脈の恵みの水がうるおし、シリアの穀倉地帯となり古くからの文明を育てて来ました。
3月末の雨季の終わりと有って、畑では色鮮やかな服の女性も混じって農作業が見られて、少しほっとする風景です。世界最大の水車を見たり、12世紀の十字軍が築いた立派な城塞を観光したりでようやく首都のダマスカスへ。

シリア、メモ 市内を見物していると10人位の軍人がいます、少し怖いなと側を通ると、ヤポン?と声が掛かります。私のカメラを指差し写してくれとのジェスチェアーをするんです。
良ーく見ると皆にこやかでやさしい目で私を見ています。
国境ではあんなに怖かったのに、口々にアリー、ハサンと名乗り、渡されたメモには写真を送る住所ではなく、皆の名前と今日の日付けが書いてあります。私の記念になるようにとの配慮なんです。
誰が好きで戦いに行くものですか。この若者たち全てが待っている家族の元へ無事帰れますようにと願わずには居られませんでした。
今日も中東の争いのニュースは続いています。

 [第13回]  シリア編ー4   バラ色の宝庫 − ペトラ      [2005年11月19日]

シリア 暮れなずむ砂漠のかなたに岩山が大きく迫って来る、ペトラです。心を残しながらまずホテルへ。
朝日を待ちわびて窓を見ると岩山の連がりが広がるばかりで心はやります。
馬に乗って出発と言えば格好良いのですが、周りの欧米人が早がけなのにこちらは恐々のポクポク歩き。この時期は初めてイスラエル側からペトラへ入れたのでユダヤ系の人が多数観光に来ています。
パスポートにイスラエル入国のスタンプがあればアラブ諸国に入国が難しい時なのにね、パレスチナのつかの間の平和の時です。
お陰で多くの人で馬はシクと呼ばれる狭い谷間の入り口迄となり、インディ・ジョーズのように馬で走り抜けるという事も出来ずテクテク歩き。でもそれって正解かも、と言うのは岩肌がマーブル模様でそれは美しいんです。高さが100m近くもある所なども有って、昔2300年前のナバタイ人も交易品を積んでこの道を通ったと思うと余計に胸も高鳴ります。
とうとうシクの切れ目です。そう、そこに有りました、バラ色の「エル・カズネ」と呼ばれるものが!小さな広場に出ると何と美しいのでしょう。赤やピンクの色彩を付けた神殿が、これが自然の岩肌とはとても思えない艶やかな色で輝いています。
写真で見ると素晴らしい遺跡も多い中で、これは実物でなくては味わえない光です。中はほとんど何も無いのですが、その美しさに大満足です。広い谷間に広がる岩壁の巨大な墳墓群、ローマ時代の多くの建物跡等がその色彩られた岩肌にマッチしています。
岩山をくり抜いた住居跡のお店でおみやげを買うのも楽しいね、私のお気に入りの遺跡です。
最近、テレビのニュースがテロの場面を流し続けています、私の泊ったホテルではなかったのですがあの穏やかなアンマンの朝を思い出して胸がいたみます。

 [第12回]    シリア編ー3   砂漠に舞う黒い影?       [2005年10月19日]

シリア さあー、一路ペトラだ! 心ははやるがバスの外は石ころの中にまばらな草の、いわゆるレキ砂漠が広がっている。
パレスチナ難民のキャンプの側を通り過ぎる時はその貧しさに思わず目をそむける。しっかり見なくてはと思いつつ・・・。
前に何かが舞っている、目をこらすと当地での買い物の必需品の黒いポリ袋、人家がまったく無い広い広い砂漠に無数の黒いポリ袋が強い風に吹かれている、これは人間の悪行を神様が見せているのか?と少し肌寒くなる。
今迄死海の周囲の岩肌の荒々しい風景に自然の美しさと烈しさを見せ付けられた後でのこの光景です。
死海で強い塩分の水がショッパイとか、泳がなくても浮いているのが面白くて大騒ぎで楽しんでいた事も、すっかり忘れ去られる恐ろしい時間でした。

 [第11回]    シリア編ー2   アラブの男の子達と踊る       [2005年9月27日]

シリア ヨルダンの最初の遺跡はジェラシユ。
日本では有名ではないけれど、その立派な事。大列柱が百数十本もズラーッと並んでいるなんて、歩くのもワクワクします。
草花が色彩りを添えて天気は上々(これはいつもの事)。
その時音楽が聞こえる。十数人の中高生とおぼしき男の子達が円形劇場跡でラジカセに合わせて踊っている!もちろん突入して、見よう見まねで一緒にまぜてもらう。
首に掛けていたカメラがそっと取られた。"やられた!" と思ったが、実は踊る私を写してくれるらしく色々やっている。疑ってしまつてごめん。
壮大な遺跡も捨てがたいが、春の日の中で踊るのは本当に気持ちの良いものです。
きらきら光る瞳でじっと見てくれる彼らに心から感謝しました。

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